ダラダラ泣き、でも次ぎの日はケロッとして

 

 

 佐野洋子 作・絵 「100万回生きたねこ」挿画より (講談社刊)

 

 

 

      ダラダラ泣き、でも次ぎの日はケロッとして、思い出すときだけダラダラ泣きました

     佐野洋子先生 追悼

 

 追悼文が続きますが、乳癌の闘病を続けながら、敢然と立ち向かっておられた佐野洋子先生がついに、11月5日午前中に逝かれました。何処となく背筋が寒いのは立冬が過ぎたという時節だけではないのでしょう。最近までお元気だったご様子だったのに、「ヨウコさん 逝っちゃったぁ」と心の底から淋しさが込み上げて参りました。無論大ヒットした幾つかの絵本の作者であるばかりでなく、私は彼女が書かれた多くのエッセイに勇気づけられました。美しさとか優しさとか、先生には無縁なリアリストであったのかも知れませんが、厳しい現実と正直さだけが先生の記憶として残ります。「わたし いる」(講談社文庫)、「あれも嫌い これも好き」(朝日新聞社刊)、「神も仏もありません」(筑摩書房刊)、「シズコさん」(新潮社刊)、「役にたたない日々」(朝日新聞出版刊)など代表的なものですが、どれを読んでも真正直で、それが喩えこちらの受け取り方がそうではないんではないかと勘繰ってみても、決して正直でない筈がないと納得させるに充分だからで、私は自らが不埒で、嘘八百で、不実で嫌な男ではないかと、先生が書いたものから何時も質されたものでした。

 例えば「シズコさん」ですが、散々に母親シズコさんの悪口を書いています。そればかりか身内に対しても遠慮会釈なく、存分に悪態をついているのですが、シズコさんが呆けてから、生理的にも大嫌いだった娘が覚醒致します。「母さんの目が急に少女マンガの星がやどる様に光る。喜びが爆発、顔全体が、まるで赤ん坊が笑う様になる」、「あの母さんの目と顔の表情を見る様になって、私は母さんをさわれる様になった」と。佐野洋子の母親はちっとも優しくなかったのに、そして生理的にも大嫌いだったのに。家事や社交や裁縫や、何よりも他人に親切で有能な方だったらしいシズコさん。母親が弟の家から追い出されて、77歳で佐野家にやってきた母親を、たった2年半でなけなしのお金を叩き、特別介護老人ホームに入れてしまう。長い長い確執の末のことでした。「母さん、呆けてくれて、ありがとう。神様、母さんを呆けさせてくれてありがとう」、「何十年も私の中でこりかたまっていた嫌悪感が、氷山にお湯をぶっかけた様にとけていった」、「私はほとんど五十年以上の年月、私を苦しめていた自責の念から解放された。私は生きていてよかったと思った。本当に生きていてよかった。こんな日が来ると思っていなかった」。

 誰に対してもズケズケ物を言い、言いたい放題なのですが、どこかに正直さと繊細さの両方を合わせて持ち、どのエッセイや小説や童話にも何処かに救いがあったように思われます。私にとっては、特に正直さという点においてはお手本になる方でした。シズコさんは2006年8月に93歳で亡くなるのですが、その数年前から佐野洋子さんは乳癌に侵されており、母親のお葬式の時は車椅子でありました。乳癌を摘出しても骨にまで癌が広がって闘っていたからです。この「シズコさん」はその年の1月から12月まで雑誌「波」に連載されたものでした。「硯水亭歳時記 Ⅱ」では、あんなに憎んでいたシズコさんの年まで生きて欲しいと、やや残酷なるお励ましの言葉を書かせて戴いておりました。長男広瀬弦さんによりますと、後日お別れ会があるようです。私にもきっとそのお知らせがあることでしょう。北京で生まれ、戦後の混乱期を生きた佐野洋子さんは実に180冊もの本を出版され、今頃シズコさんにでも出会っているのでしょうか。心からご冥福をお祈り申し上げます。1938年北京生まれの、72歳という若さでした。80歳には80の景色があり、90歳には90にならないと見えない景色だあったのに、とっても残念です。

 癌は細胞と同じで、幾ら医療が発達しても同時に正常な細胞まで破壊してしまうので、新薬の開発は甚だ困難なようです。出来るだけ早期発見に努めてまいるべきだと信じます。皆さまにおかれましても、どうぞお気をつけ戴きたく存じあげます。今癌で闘病中の方々がたくさんおられますが、佐野洋子さんのように自ら葬式の差配をし、お寺を決め、墓を建て、永代供養までして、何の後腐れもなく最期を迎えられる方が少ないことでしょう。生き方も人それぞれですが、どうやら死に方も人それぞれなご様子なようです。狭い国土をつまらない40年の生に、お墓は要らない戒名も要らないと言い放って、突然死したこの櫻灯路の亡き主人の生き様も時期が経てば経つほど、その素敵な人生の様々が思い出されることであります。南無大師遍照金剛!

 

 

佐野洋子さんのご遺影 生前 友人のカメラマンに遺影として撮ってもらっていた

 

 

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