能・『三輪』 (小書き 白式神神楽)を観て

 

      

 

名人・梅若玄祥師の演ずる『三輪』 簡素で華麗で荘厳で 見所聞き所満載の舞台であった

 

 

 

            能・『三輪』 (小書き 白式神神楽)を観て

 

 七月は暦の上では最早秋なのであろう。この18日の日曜日に、秋の人気曲である能・『三輪』を教育テレビで観た。小書き(こがき=特殊演出)に白式神神楽とあったから余計に期待して観入った。確かこの小書きは観世流でも、京都の片山家だけに伝わるものとして記憶していたが、何と梅若流の名人・梅若玄祥師によって演じられると言う。師は当代随一の人気・実力を持っているので開演前からワクワクドキドキ。

 舞台上、運ばれて来た作り物(三輪明神のご神木)は、笛方の一噌仙幸師がまるきり見えない位置に斜めに置かれ如何にも意味ありげ。やがて奈良、三輪山麓に庵を結ぶ玄賓(げんぴん)という一人の高僧(ワキ)のもとに、三輪の里に住む中年の女(前シテ)が毎日樒(しきみ)と水を供えにやってきます。女はただ徒に年月日を送った身を嘆き、罪の救いを求めて庵へ通います。秋の日、いつものように救済を願う女は僧に衣を所望します。観世流(梅若流は観世流の一派)では「夜寒になり候へば」の詞章の通り、寒さから衣を所望するしますが、他流では「わらわに御衣を一衣賜り候へ」としか告げないため、佛弟子の衣を拝領して佛徒になると解釈し演じられているようです。実は前シテの女は三輪明神の化身ですが、これで神が佛に帰依するという意味あいになり、古代人の神佛混交に対する、古雅な薫りを感じさせてくれるものです。そこが現代人には複雑怪奇で難曲の一つになっているのですが、実は筋書きは至って単純で、舞や囃子の秘儀の限りが尽くされており、毎度どの流派にも興味津々となる大曲なのです。衣をもらった里女は帰り際に住み家を尋ねられると、「三輪山の杉の立っている門を訪ねよ」と言って姿を消し中入(作り物の中にシテが入る)となります。

  里人(アイ=狂言)が三輪山に参詣すると、御神杉に玄賓僧都の衣(栗渋のような美しさ)が掛かっているのを見つけ僧に知らせます。玄賓は杉に掛かっている衣に、金字で記された御神詠を読み上げると、御神杉の陰から三輪明神(後シテ)の「神にも願いがある、人に逢うことは嬉しいこと」と声が聞こえ、シテは純白の狩衣を纏い女姿で現れます。明神は「神も人間同様に罪を背負っている」と嘆くと、僧は「神は人間を救う為に人間と同じ立場になっているだけですよ」と慰め諭します。すると明神は神代の昔物語として、神婚説話や天の岩戸の神隠れ伝説の神楽を再現して見せ、伊勢の神と三輪の神は本来一つであるが、佛が衆生の為にと仮に別々の姿で現れているだけだと告げると、そこで僧が見ていた夢が醒め、夜が白々と明けて行くのでした。

  驚いたのは作り物から出て来た時の三輪明神のお姿です。本来は男神であるはずなのに、女神となって出て来ることです。特に今回の前シテは深草色の渋い狩衣ですが、後シテでは鬘帯もなく冠もなく、前シテの深井(中年の女性の面)は後シテでは、何とそれはそれは美しい増女の面を被っているではありませんか。どんなに神々しく見えたことでしょう。(因みに他流では小面が使われる場合が多い)。更に通常なら巫女スタイルで緋袴を穿き冠を被るところ、白袴と銀箔の唐織か厚板かの狩衣で、よく見ると金箔の刺繍が施されていて、黒々とした髪が神に見紛うほどでした。更に舞台上で演じられる囃子方の面々は皆さん名人揃い。裂帛の気合が感じられ、参り申した。総合的にどんなにうっとりとして見学させて戴いたことでしょう。三輪明神境内には伊勢の地へ向かう途中の天照大御神の化宮が現在でも残っています。三輪明神はそもそも渡来帰化人の神でしたが、ご神体は三輪山自身で、今でも神秘的なオーラを漂わせています。岩盤(いわくら)の存在もやがて日本化した証ではないでしょうか。梅若流の総帥で、前の梅若六郎師(二代目玄祥)に改めて酔いしらされました。だんだん!

 

 

 梅若玄祥師演ずる大曲、『三輪』

 

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