日本人の衿持

 

 

 聖徳太子に似せてつくられたという「救世観音像」

 

 

 

                  日本人の衿持

 

 戦後平和憲法がもたらされ、米軍が沖縄に居座り続け、ドップリと平和を享受してきた結果、世界各国から奇跡の復興と煽てられたのは随分時間が経ってしまった。今やアメリカの妾国と揶揄され、小学生、中学生、高校生、おろか大学生まですっかり学力が堕ちてしまっている。勤勉な国民のイメージは見る影もない。晩婚が一般的になり、少子化に歯止めが掛からない。ユニクロを代表とする安売り合戦だらけで、デフレから脱出するメドが立たないで苦しんでいる。バラマキ型予算は国家破綻を容易に想させ、政治的なプロセスは一向に根本的問題や長期的などの展望が立っていない。最も深刻なことはモラルの低下である。モラルの低下は若年齢層に限ったことではない。性的な氾濫は恐ろしいまで満ち溢れ、おぞましいことである。

 アメリカとの安保条約は、一方的な片務主義であり、アメリカは日本を守ることが大前提である。憲法九条までの、八か条はすべて天皇制のことで、宮家を潰し、壊滅的な打撃を与えている。かのドイツでは戦後51回もの憲法改正が行われており、各国の憲法改正も同様である。「自衛隊は軍隊ではない」とされた子供騙しのような苦衷に満ちた選択は果たしてどうだったのだろう。日本の文化を否定し、あの多くの都市へ対する絨毯爆撃や原爆も隠蔽し肯定するような、アメリカの意図と日本国は果たして合致するのだろうか。甚だ疑問である。アメリカ合衆国はたった235年の歴史でしかなく、2000年以上の歴史がある本邦とは明らかに違う。そのような国家にただ隷属するだけの日本であってはならないことは明白である。一方的な日米修好条約がいまだに生きているとも言えようか。

 聖徳太子以来、「和」を尊しとした、日本の文明は一定の進化と成熟をして来たが、昨今では、何もかも否定的で、ウチ向きであり、縮こまり、全く気に入らない。あの極東軍事裁判も殆ど気にいらないのである。不当で平等にはほど遠く、謂わば戦争犯罪を一方的に断罪することに終始した帰結であった。何と言っても日本側の弁護士が一人も入っていなかったのである。かく言う私は右翼でもなければ左翼でもないが、実証的に判断するのに甚だ窮屈になるからである。ハーブ条約にあったように、一般人を犠牲にしてはならない観点から言えば、都市への絨毯爆撃も原爆も、アリメカは大罪を犯していることになるだろう。

 日本人の衿持とは、「もののあはれ」を知り、紐帯(ちゅうたい)から己を知る各種の制度にあった。例えば「長幼の序」や、「盟友の信」であったのだろう。現代は落ちぶれたものである。遂最近まで貧しいけれど幸福な国民であったのだ。武家支配の時代に身分制度は厳しかったけれど、それはそれで幸福であったろう。要は忍耐と我慢を全く知らない国民になっているのが今である。稽古、つまりは必死になって耐え忍ぶことがなくなってから、日本民族の自滅が始まったのである。隷属するんなら誰にだって出来る。アメリカに本心を述べ、本音から問い掛けなければ何一つ解決出来ないことであろう。日本の尊い衿持と誇りを取り戻すべき絶好に機会ではなかろうか。

 

 自宅に咲いた百合の花

 

 

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