稽古の心

 

 

 小石川植物園にて 早春のイカリソウ

 

 

 

 

稽古の心

 

 

日曜日に東京マラソンがあって、やっとの思いで水道橋・能楽堂へ。

三川泉師の「弱法師」を観るためである。齢88歳のご老体がこの難曲をどう演能するというのか。

 

河内国(大阪府)高安の里の左衛門尉通俊(みちとし)は、さる人の讒言を信じ、その子俊徳丸を追放する。

しかし、すぐにそれが偽りであることが分かり、不憫に思って、彼の二世安楽を祈って天王寺で施行を行う。

一方、俊徳丸は悲しみのあまり盲目となり、今は弱法師(よろぼし)と呼ばれる乞食となっている。

彼は杖を頼りに天王寺にやって来て、施行を受けるが、折りしも今日は、春の彼岸の中日にあたり、弱法師の袖に梅の花が散りかかる。

彼は、仏の慈悲をたたえ、仏法最初の天王寺建立の縁起を物語り始める。

その姿を見ると、まさしく我が子ではないかとはっしと想う通俊は人目を憚り、夜になって名乗ることにする。

そして日想観を拝むようにと勧めるのだった。天王寺の西門は、極楽の東門に向かっている。

弱法師は入り日を拝み、かつては見慣れていた難波の美しい故郷の風景を心に思い浮かべ、

心眼に映える光景に恍惚となり、興奮のあまり狂い盲目の舞を舞うのだが、往来の人に行き当たり、物狂いから覚める。

物を見るのは心で見るのだから不自由はないと達観しても、やはり現実の生活はみじめなもの。

やがて夜も更け、人影も途絶えたので、父は名乗り出る。親と知った俊徳丸は我が身を恥じて逃げようとするが、

父はその手を取り、連れ立って高安の里に帰るという一見何ともキテレキなお話なのだが、

 

世阿弥の嫡男・元雅が創った凄い能である。盲目にして、扇を持って舞うが、結局盲目である印の杖に持ち返る。

その寸分の隙間に、三川師の極論から言えば生涯の至芸の到達点を観た。

大鼓・安福建夫、笛・一噌仙幸、ワキ宝生の宝生閑、いずれも人間国宝で、まるごと至芸を堪能して余りあった。

型通りの演能にことさらの情感が宿っていた。恐らくこの演能は、我が生涯で忘れ得ぬことになるだろう。

 

88歳になられても、しっかりした型を持っている三川師は最高の能楽師であり、演能者として幸せの極みであるだろう、

さすが日ごろの修練の賜物であろう。修練とは現代で最も忘れ去られた習慣で、本当は教育の現場にあるべきである。

 

宝生流名人・三川師は、若い時分からの修練のが徹底されている思いがする。

私はいいお手本を常に観ていると感謝する。 高い次元の三川師、本当に感動を有難う!

演能も文芸もご自身の生き方そのもの、あなたへの目標で私は生きていたい。

 

 

 

 手賀沼 夕景 鴨独り堂々と行きたり

 

 

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