草の庵の静けきに

 

亡き主人の油彩 200号 『小田代ヶ原』

 

 

 

草の庵の静けきに

 

 

夏、否応なく誰にでも訪れる原爆慰霊祭や終戦記念日や、旧盆も終わり、ようやく静かな落ち着きを取り戻したかに見える。

祭りの喧騒を、寧ろ惜しむかのように、明日、地蔵盆。京都の街のロージ(路地)ではあちらこちらで子供たちの歓声があがることだろう。

忍びよる秋の気配。既に吾亦紅の花を我が家に活けてある。静かな夏の終わりの宵。天橋立で、お精霊さま流しも終わったに違いない。

待ちかねる収穫の時季はもう直ぐ。長月・白露の前には越中・八尾の風の盆。すっ高い歌声が響き、胡弓や三味の音が聞こえるような、

静かな闇の中、水路のせせらぎ、酔芙蓉の花が益々紅の色へと。街流し、夜を徹し、小集団が踊り回る。薄っすらとした明け方、

下の井田川の岸辺に生るグミの実、興奮冷めやらぬ顔を水辺で漱ぐ。あの踊りは何だったのか、幻か、仄かな憧れか。

 

すっかり挽歌となった本ブログにも、未だにたくさんの読者さまが訪れて下さって、どんなに感謝していることだろう。

愈々櫻山計画が動く。岐阜山中に、山を求め終わり、かの笹部新太郎翁の夢の跡を追いつつ、主人の夢を果たすことだろう。

今、辛うじて公共施設への苗木の無償提供をコツコツとやるだけであったが、笹部翁が目指したように、山櫻か江戸彼岸を植えたいと、

我ら一同気合入れ給うが、染井吉野のみ植えたき意向が目立ち、ままならぬ現状、深く嘆き給いぬ。櫻の苗木より、

先ずお人さまへのご理解が必須となれり。嘆くまいて、染井吉野の寿命が証明することだろう。無為でいるのがいい。

下手な目的なぞなければないほどいいのかもと、我と我が身に言い聞かせ給ひぬ。千年の夢を追うがため、焦りは一切要らぬ。

 

吉野山・中の千本に、笹部翁の『櫻頌』あり。瀧のように上の千本から櫻舞ひ盛れり。

花見倉、水分(みくまり)神社、竹林院群芳園、蔵王堂前の四本櫻、吉水神社、義経・静の別れし惜別の彼の地、南朝の悲劇、

愛染明王、漆黒の黒門、櫻の花びらの神紋、西行庵、芭蕉も飲めり苔清水、鬱蒼と繁れり吉野杉、奥千本の楚々たる華やぎ、

我ら一同めくるめく花の聖地への再生と復活。この秋より一層激しく追い求め給はんぬ。

 

真夏、暑き中に、来期の櫻が花芽つけいたり いといとおしや

 

 

櫻と歳時記のブログ 櫻灯路

(主人代理 庵の軒下こころして記す)

 

 

智積院蔵 国宝 長谷川九蔵『櫻図』

広告
カテゴリー: パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中