茶花と同行二人

 

 

 

 

 

茶花と同行二人

 

 

 

茶花は古くは 比較的限定されたものであった 近年様々な工夫をされ 新しい洋花も茶席にあがっているようだ

何でもいいわけではないが 春先花の少ない時に咲いてくれる花は貴重であり 根締めなどを工夫すればいいだけのことである

例えば角笛草(つのぶえそう=キルタンサス)や寒芍薬(かんしゃくやく=ハルサキクリスマスローズ)などがそうである

 

節分草・雪割草(州浜草=スハマソウ)・櫻鏡(ヒマラヤユキノシタ)・万作(マンサク=満作とも)・梅・水仙・鬼縛(オニシバリ=夏坊主)・蝋梅など

それらの花々は 今の時季には丁度適切であるのだが 初春一番の初釜に ツクバネ(羽子の木・胡鬼の実)などがあったら嬉しい

だがこのツクバネは半寄生植物なので 栽培は難しく 五月頃雌花は枝の先端に一つ 四つずつ緑の翅をつけて咲き

 雄花は枝先にたくさん花をつけて咲いている 実だけは長く持ち 初釜にそれが間に合えば 何とも幸せな気分になれる

 

利休は禅の世界で 自分の世界観を固めた そして削ぎ落とせるものすべてを削ぎ落とし 必要最低限度を重視した

従って茶席に似合う花も ひそやかで 楚々として たった一輪かも知れないが それなりの存在であるようにした

にじりから入る時 帯刀では入れない 武器はご法度 

僅かの広さの中に少人数 みな対等の立場であり 質素ながら心の豊かさを説き示した

茶花でも 太閤秀吉との朝顔の話は有名であろう いざ秀吉が来るとなって たくさん咲いていた朝顔を

全部摘み取って たった一輪だけを残し 茶室に用意した 

贅沢三昧の秀吉に如何なる感慨を抱かせたのであろうか 単に奇異に感じさせたのであろうか

花一つを取っても求道の心は失ってはいない 仏心を花に譬(たと)え その心が残るよう演出をした

 

櫻の花も茶席にはいいが 飾りようがある ど派手に大きく大きな枝を置くのではなく

たった一輪か二輪か そうあの二輪草も茶花になるので そんなところがいいところだろう

活ける花器にも工夫が肝要だ 古銅か 竹一重切りか 釣り船か 或いは唐津や備前などの陶器か

その日のお客様によっても 花や花器や茶器が選ばれる 一種のサプライズ的おもてなしなのかも知れない

 

いっそない方がいい訳でもない なくてはならない あってもいけない その『あ・うん』の僅かな間尺が大切だ

仏道も足りると言うことはない どこまでも茶の湯を通した求道の心が 利休であろう

春夏秋冬 僅かな花々に宇宙を観て 暗く質素な中に茶の湯があって然るべきだろう

有為翩々 一瞬のときめきに永遠を得る 遍路旅のようにどこまでも歩き続ける

茶の湯もまた同行二人の関係だ 別に弘法大師でもなければ 道元でもない 釈尊の理法が同行してくれる

そうして利休は 覚悟を決め腹を召された 大なる覚悟 茶の湯はそう容易いものではない証左なのだから 

 

 

http://outouro-hananoen.spaces.live.com/blog/cns!BA05963D8EB5CC5!4845.entry?_c=BlogPart  当ブログ 2006/03/02 『 茶の湯のこころ』

                                                                                                                                         (2005/03  旧暦2月28日 利休忌に)

 

 

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