日本の紋章

 

 

日本の紋章

 

 

家紋の歴史

 

その家のシンボルマークとしての家紋は どこの世界でもあるが 日本のは特に発達し発展して来たのではあるまいか

最初は公家の意匠であった 牛車などにつけた意匠はそのまま衣服や調度品にまで使われるようになった

どこの誰々と言うように分かるようにしたのである それが平安末期 武家社会の到来と同時に飛躍的に発達して来た

武家社会=封建社会になって 家柄が固定化されて来ると 身分や家柄を明示する必要性が強くあった

公家社会と同様に 武家社会でも衣服や道具や調度品 或いは旗指物に至るまで ひと目でそれと分かるようになって行った

 

然し更にその起源を探ると 多神教民族の日本人独特の紋章に対する考え方が分かって来る

有史以前の人類は魔除けの意味で 刺青をしたことが周知の事実であろうが

恩恵ももたらすが災厄ももたらしてくれるのが 原始多神教の世界における神々であった

シャーマニズムとしての刺青は 魔除けであると同時に神々とともにあると言う証明でもあった

刺青を『文身(ぶんしん)』と書いたのも そんなような意味で この場合の『文』とは所謂神であり

その意味での文様 すなわち紋章の起源は刺青とも言えるのではないだろうか

 

 

文様の発展

 

古墳時代に入ると 古墳の頂点やふもとの周囲に並べられた埴輪には 様々な文様が見える

然も洗練された文様で 三角文・円文・同心円文・わらび手などで 日本的な文様の原型が既に表現されていた

中には騎馬民族からもたらされたものであろうと言う杏葉文(きょうようもん)・忍冬(すいかずら)文などの文様もあって

既に大陸からの影響が見て取れるのである

 

飛鳥・白鳳時代(6~8世紀)は 中国・唐代文化の流入期を迎えるが シルクロードを通って中国に伝えられた

ギリシャ・ペルシャ・中央アジアのものも含み 夥しい数々の文様が入って来るようになった

従ってこの時代の文様はエキゾチックで 複雑で 耽美的で 華美で種々雑多で 統一性はなかったと言えよう

 

 

貴族社会の紋章

 

平安時代には一旦遣唐使が廃止され その為に国風文化が異常に発展を遂げ やがて最盛期を迎える

この時代に日本独自の個性溢れた文様が 多数考案され創り出された

先ほども述べたように牛車や衣服 更に輿(こし)などに広くつけられ やがて家のシンボルマーク化されて行った

こうして日本の紋章の起源とも言うべき家紋が成立したのであった

 

 

武家社会の紋章

 

戦いに際して 旗じるしとしてなど敵味方の識別 それぞれの武将の存在を示す必要があるとともに

貴族社会から学びながら 家門・家柄を誇る為に紋章が使われた

一族郎党に至るまで誇りを与え 団結を図る必要があり その意図はありありであったと言えよう

神道の千木紋 仏教の卍紋 儒教の太極紋・十字紋など 精神的紐帯(ちゅうたい)を示すものとして多用された

然し江戸時代になると自由奔放であった家紋は 一転して定紋として届けさせられ 武士の裃(かみしも)などに小さくつけられ

そんな規定上から言って 勢い活気が失われて行った 届け出た正式な定紋(正紋)以外全くつけなかったかと言うとそうでもない

裏紋とか 別紋とか控紋などと呼ばれ 密かに女性たちにも多用されるようになったのも この時代であった

 

 

町人の紋章

 

皇家の菊のご紋 徳川の葵のご紋以外は規制がなかった町人社会では 看板・暖簾・生活用品・おもちゃ・楽器・蚊帳などに

盛んに使われるようになり ひいては歌舞伎役者や文楽関係者などの芸能人にも使われるようになって行った

それらの意匠を一手に引き受ける業者が大活躍したくらいである その絵師の心意気と言うのだろうか

斬新で 意匠を最大限に嗜好を凝らす文様も出て来るようになった

その手法は のぞき紋とか くずし紋とか言われ それら新形式は異常な活気を呈していた

この中から現代にも通じるシンボルマークが誕生したが 考えてみると原始以来から永く続く

精神的紐帯の意味が色濃く反映されて来ていたのだろう

 

口絵の写真は歌舞伎十八番『暫』の一場面の錦絵だが 八代目団十郎の袖口の四角い紋にご注目戴きたい

千葉大学の服部幸雄先生の説によると 初代団十郎は甲府の出身で 甲府には大きな升(ます)があって 三升のもあると言う

そこから初代団十郎が発想したのではないかと言う説を持っておられる 確かにそうかも知れない

一個のひと升だと大きいのか小さいのか分からないから 三つの升にして 団十郎家の定紋としたのではなかろうか

今回遠慮のないところで団十郎家の家紋を使わせて戴いたが ○代目!とか 屋号で叫ぶなら 団十郎家で成田屋!とか

大向こうからタイミングよく掛け声を発するのであるが 一番さまになる見得はやはり団十郎の歌舞伎十八番『勧進帳』の飛び六方であろう

見得とは大袈裟にその場を決めるストップモーションのことで 六方(ろっぽう)とは手を大きく振り足を強く踏んで 演技を強く印象づける演出のことである

 

ちなみに我が家の定紋は 日本人なら誰でも知っている家紋の真ん中に 複雑に連翹の花が咲いている怪奇な文様である

定紋の裏に隠れた非公式の紋で裏紋・別紋・控紋と呼ばれていたが 現在確認出来ない紋が多数あり 多くの文化があったのではなかったか

ほとんど美しい日本の四季折々や動植物や虫獣や経典や論語などから取られていて みな残っていれば面白かったのにと残念に思う

 

尚イスラエルのカベナウムのダビデの星の紋章と皇宮の菊のご紋章がそっくりで 何かの関係があったのだろうか 不思議である

 

団十郎家『三升の家紋』

 

 

 http://www.harimaya.com/o_kamon1/kamon2kg.html 公家の家紋のサイト

http://www.e-sozai.com/mon/index.html 日本の紋 家紋データショップのサイト

                                                                      (2005/1/18)

 

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