日本の色彩と季節の色目

 
 
 
 
 
 
 
 
日本の色彩と季節の色目 
 
 
 
 
 
日本の色彩
 
 
 
古代人の綾なす色彩は殆ど自然の物質によるところが多い
 
水が豊富で山川草木に恵まれ しかも四季折々の変化の激しい日本では 
 
多種多様の草木から取った染料で色を創り出した草木染めが 圧倒的に多い
 
中国や遠くペルシャなどから伝えられた色彩も多いが 
 
いずれに日本の気候風土に馴染んだ日本の草木染めが 新しい日本の文化に合わせて発達して来たものである
 
またそれぞれの色に染められた布地を重ねて着る為に 重(襲)色目~かさねのいろめ~と言う配色法が発達した
 
これが日本美を形成する原型となったのであるが それは染料として使われただけではなく 
 
顔料としても使われ 大和絵や芸能衣装や化粧品としても 当然使用されていた
 
言わば 海外から多くの技術を学び取りながら 日本独自の色彩を生み出して行ったのである
 
 
 
紫(むらさき)
 
 
603年 聖徳太子が冠位十二階を定められ 階級によって着用する冠や衣服の色を違えたが
 
その最高位を紫としたのであった その紫は 貝紫と紫草があって それぞれの起源は違っている
 
貝紫とは乳白色だが 日光にあてると赤みがかった紫色になる 貝紫とは珍しく植物ではなく 紫貝の内臓から色素を取り出したもので
 
紀元前1600年頃地中海沿岸に住んでいたフェニキア人が開発したものが 東洋に伝わり 中国を経て日本に渡って来たものである
 
これに対して紫草とは 初夏に白い花を咲かせ 多年草で その繁殖地では周辺まで紫色に変わると言われ 古くから用いられた
 
この植物はもともと野生の草だったが 冠位制になると多用され出し 積極的に栽培されるようになった
 
 
≪冠位十二階制 徳・仁・礼・信・義・智をそれぞれ大小に分け十二階とし上位から 紫・青・赤・黄・白・黒を大小に指定した≫ 
 
 
 
紅(べに)・唐紅(からくれない)
 
 
単に「くれない」と呼ばれるが 中国の呉(くれ)から来た藍と言う意味で「くれあい」から「くれない」になった
 
原料は6月から7月に掛けて 主に山形県の内陸部で取れる紅花から取られる 花のうちは黄色だが 酸化させて紅となる
 
始めは黄色のうちから使われたが 花びらを団子状にして乾燥させると鮮やかな紅が出来上がる
 
淡い黄色から 鮮やかな紅色まで繰り返し染め重ねると この紅花ですべて出来てしまうのである
 
一般的には紅花に 灰汁・酢・烏梅(うばい)などを媒染剤として使用し 鮮やかな紅色が出せるようになった
 
この手法は中国伝来だったので 唐紅(からくれない)と呼び 紅花に梔子(くちなし)を加えると一層鮮やかになり 単に紅(べに)と言われた
 
 
 
藍(あい)・二藍(ふたあい)・萌葱(もえぎ)
 
 
藍は日本の代表的な色とされるまで発達したが 原料は徳島県産の蓼藍(たであい)で 
 
二藍とは紅花と蓼藍を合わせて創った色で 紅花を紅藍と書かれた形跡から 蓼藍と組み合わせて二藍と呼ばれたようである
 
萌葱(萌黄とも書く)はキハダを合わせたもので 薄緑色になる
 
麻や木綿など植物から取る繊維によく染まり退色しにくいので 一般庶民の色として広く普及した
 
 
 
黄(きい)
 
 
黄色は抽出液をそのまま使えるキハダ・クチナシ・ウコンや
 
媒染剤を必要とするカリヤス・コブナソウ・ヤマモモなどを原料とする
 
他に防風林として活躍した福木など 沖縄や八丈島で取れる 
 
それを使って染め上げて創った織物があり 黄八丈(きはちじょう)として有名であろう
 
 
 
茜(あかね)
 
 
赤にほんの少し赤みがかった色で 日本独特の色とされ 夕焼け空を茜色とも呼ばれる
 
赤と黄色の二色を含むニホンアカネの根っこが原料であるが 高度な技術がないと巧く取れなかったので
 
室町時代には急速に衰え 江戸時代になってからインドアカネを輸入して染料を創っていた
 
 
 
蘇芳(すおう)
 
 
黒味を帯びた赤色で 奈良時代に中国から輸入されたスオウから取る
 
この色は深紫(ふかむらさき)とも呼ばれ 紫がかった色彩に発色する場合があったらしい
 
藍染の上に蘇芳染めをすると紫色になるが これは似紫(にせむらさき)と言われた
 
 
 
茶(ちゃ)・黒(くろ)
 
 
殆どの樹木の幹や葉 そして果実にあるタンニン酸に アルミニュゥム塩を入れると 茶になり
 
鉄塩を加えて黒になるから 無数に出来る色である
 
 
 
尚近年草木染めが流行っていて 様々な色彩に挑戦している方が大勢おられて頼もしい限りである
 

    羽衣

 
 
 
 
 
 
 
季節の色目
 
 
 
色目とは
 
 
服装や装飾品乃至調度品の色合いのことを色目と言うが 文字通り二色以上の色を合わせることである
 
日本人は飛鳥・白鳳時代から中国文化の影響を強く受け 割合ゴテゴテした色調を好まれた時代もあった
 
さて日本の色彩の歴史はいつの時代から始まったのか定かではないが 高松塚の絵は今のところ別格であろうが・・・・
 
然らば現存する染色で最も古いものは 中宮寺の『天寿国曼荼羅繍帳(てんじゅこくまんだらしゅうちょう)』ではなかろうか
 
中宮寺の漆黒の弥勒菩薩さまの近くに置かれてあるが 中国の絵師に下絵を描かせ 様々な色糸を使って刺繍された豪華なものだ
 
奈良時代に入ると キョウケチ染め・ロウケチ染め・コウケチ染めの三種が完成し 染色技術の祖形がほぼ出来上がったのである
 
 
 
平安時代に入ると 中国や朝鮮から伝来した技術をほぼ吸収し 日本独自の染色スタイルが出来上がって来た
 
つまりそれまでのゴテゴテした模様を排除し単色化の傾向をたどり 使用される色は様々だが それぞれの無地の布に染められて行くようになった
 
然しその間に 衣服の表地と裏地の色を換え 二色の色あわせを楽しむ『合色目(あわせいろめ)』の習慣が発達した
 
例えば 春の代表的な色目と言われる薄紅梅(うすこうばい)は 表地が薄紅色で裏地が紫 それが若い男性の服装とされた
 
更に時代が進むと裏をつけた袷(あわせ)よりも 裏をつけない着物の単衣(ひとえ)が流行り それを何枚も重ねて着るようになり
 
上流階級の女性には十二単衣まで登場し こうなると合色目だけでは間に合わなくなり 品よく色々な色彩の着物を着る重色目(かさねいろめ)が出た
 
その上色んな色彩の色糸を使った織色目(おりのいろめ)まで発達して来るようになったのである
 
要するに色目とは 色んな配色をよく合せることで 四季折々の風情に恵まれた日本では 
 
古代から草木染めによって それぞれの色合いを楽しんだものである
 
 
 
 
 
春の色目
 
 
 
春は旧暦の正月から三月までで ウメ・コウバイ・ロウバイ・サクラ・スミレなどが咲き出す季節である
 
それら花の感じに合わせた色目を梅重(うめがさね)と言うように 草木を基本にして呼び 風情ある出で立ちをよくした
 
多くの草花が咲き出し 若草の香り漂うこの季節の色目は 爽やかで明るく新鮮でなければならなかった
 
 
 
 
夏の色目
 
 
夏はウノハナ・ショウブ・シャクヤクなどが主役で 無論ここでも旧暦だが 色目も初夏から盛夏 そして晩夏へと
 
如何にも夏らしい風物に託し 色目のシンボリズムを決めて来た 暑い夏だけに逆にカラッとした涼しげな色合いも
 
工夫されて来た 面白いことに夏にピンク系の色合いが女性たちに好まれ 多く夏の女性を彩った
 
 
 
 
秋の色目
 
 
秋は月が冴え渡り 涼しさを増すとともに 遅くなって紅葉が色づいて来る
 
その間 キク・ハギ・リンドウ・キキョウなどが咲き 草の葉は薄くなってやがて枯れて行き ススキが風になびき風情を添える
 
台風や長雨のシーズンが過ぎれば 急にひんやりとして来て静かで物寂しげである そのような風情を
 
花薄(はなすすき)とか 朽葉(くちば)などと表現し それにふさわしい色目を工夫して使われていた
 
 
 
冬の色目
 
 
冬は花の種類がぐっと少なく ツバキの種類やスイセンなどしかないが すっかり枯れた草木・こがらし・降る雪・積雪などが
 
代表的な風物と言えようか 従って椿・枯野・松の雪などが冬の色彩の名称になって来るが シンシンと肌寒く厳しい自然の中で
 
密やかに咲く寒椿や寒牡丹や太陽に映える雪景色など 冷え切った人の心を慰めてくれる風物も少なくない
 
或いは松を代表格として常緑樹がひと際目立つのも冬なればこそだろう そんな静かでひんやりした色目が冬の特徴と言える
 
 
 
四季に通じる色目
 
 
このように我が国の色目は四季折々に合わせて登場し 日本人の美意識の根底をなして来たものであるが 一方四季を通してのものもあった
 
葡萄(えび)・松重(まつがさね)・海松(みる)などである 一年中使うのではなく 
 
四季折々の合間にそっとさりげなく使って 息抜きの役割を果たし 又それが実によく効果的なのである
 
草木に恵まれた日本では このようにして草木染を発展させて来たのである
 
 
 
尚今回は残念ながら割愛させて戴くが 和の色彩のすべての名前が余りにも素敵なのである ご参考までに
 
  それと色見本を出せないことが残念で 悔しいです ご理解下さいね
 

                                          大宰府 天満宮の梅花祭・曲水の宴

 

http://www.sachio-yoshioka.com/2002jp/index.html 和の染め師・第一人者 吉岡先生のサイト

 
 
 
                                                                                                                               (2002/5/24)
 
 
 
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