今年の漢字「命」

 
 

 

 

今年の漢字「命」

  

「今年の漢字」のイベントは、財団法人日本漢字能力検定協会が、

その年をイメージする漢字一字を公募によって行い、最も応募数の多かった漢字一字を、

その年の世相を表す漢字として、12月12日「漢字の日」に清水寺にて発表される。

今年は「命」が第一位、第二位は「悠」、第三位は「生」であった。

1995年にスタートしたこの企画は、毎年12月12日の「漢字の日」に、京都の清水寺奥の院舞台にて、

貫主により巨大な半紙に漢字一字が揮毫される。今年は森清範貫主で見事な「命」の揮毫。

その後大晦日まで、ご本尊である千手観世音菩薩さまに奉納され、展示される。

 

何とも言い難いが、言い得て妙で、まさしく今年の世相を凝縮し端的に表現される。

幼児虐待あり、親の子殺し、逆に子の親殺し、イジメにより子供の自殺あり、ひき逃げ死亡事件も多発した。 

世界に眼を向けるとイラクでは連日何百人の人々が死んでいる。北朝鮮は飢餓地獄だ。内戦のない日はなかった。

そんな暗い世相の中で、秋篠家に、悠仁(ひさひと)親王さまがご誕生され、一国民として大慶びをしたものだ。

 

「命」、釈尊の初期の言葉の中に、次のような言葉を発せられた

怨憎会苦
愛別離苦
求不得苦
五蘊盛苦

実に、生まれも苦しみ、老いも苦しみ、病いも苦しみ、死も苦しみ、

憎い人と出逢うのが苦しみ、愛しい人と別れるのはもっと苦しみ、

人々それぞれは求めるものがあっても、欲するものを得られないから、苦しむ。

貪りに対する妄執があればこそ、生存に果てしない虚無感が生まれ、

妄執を完全に離れ去って断ち切り、本当に解脱を出来るのだろうかと言う意味だろう。

それを救う方法は、諦念であると。道は、煩悩をなくす道という意味もあるらしい。

諦めろと言えば聞こえは悪いが、それは積極的な理法の会得だとも言っているようだ。

果たして来年、「命」の命題で、煩悩と苦難や、様々な災厄から逃れられるチャンスが来るのだろうか。

 

主人が生きていたら、ただ指を銜えて観ていることは絶対になかっただろうが、

ただこの「命」の字は、我々にはとってはひどく重過ぎるし残酷だ。

七月の櫻氏の死は余りにも呆気なかったし、それが本当に「命」と言うものなのだろうかと考えざるを得ない。

せっかく生まれて来たんだもの、もっとゆったりと仕事をして欲しかったし、せめてご両親さまより長生きして欲しかった。

後の祭りであってもただ背筋が寒いような気分は治らない。あの日からずっとずっと冬至のような暗黒の日々が続いている。

あの発作から、未だ半年も経っていないんだもの。じっとしていると失った大きさだけが先に立って震えが止まらない。

でも彼は「私への哀しみはいい加減になさい!それより世の為人の為の道が幾らでも大きく開かれているじゃないか」と言うに違いない。

一同結束し故人の思いを果たすべく、あらゆる関係する事業にそして櫻山に頑張ろうって、ヒシと考えている。

 

南無大師遍照金剛さま!

 

(庵の軒下 謹書)

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