雅楽 いにしえの雅

                                                         可憐な豊栄の舞

 

 

雅楽 いにしえの雅 

 

これから春日若宮さんの御祭りがある 暮れから正月に掛けて 雅楽を見る機会が多かろう

宮廷を初めとし 寺社仏閣の正式な行事では必ず演じられる雅楽

それって何だと言われて 直ぐには言いだせない

何故なら 中国伝来のものであっても 

今や重要な日本文化の担い手だからである

今日は解説抜きで 雅楽のことを書いてみたい

 

 

1 催馬楽(さいばら) 更衣(ころもがへ)

 

 平安時代の初めに大陸系の音楽の影響を受けて作られた歌謡で 

唐楽器等の伴奏で歌わされる日本の民謡を歌詞とする声楽である

天皇の御遊(ぎょゆう)(宮中で催された管弦の遊び)等で演奏され 

鎌倉時代以降に衰微して一旦は絶えてしまったが

江戸時代以降に少しずつ再興され 現在は演奏可能な曲が七曲ある

 「更衣」とは 催馬楽の中で最も有名な曲で もとは民謡から始まり 

後に貴族の娯楽音楽になって芸術的に高められた 

特に外来の管弦合奏を伴奏とするようになり 平安時代には盛んに演奏された

全体として のびのびした優雅な感じを与える声楽曲である

 

(歌詞)

更衣せんや シャ公達

我が衣(きぬ)は野原 篠原

萩の花摺りや シャ公達や

 

(訳)

衣更しましょう 季節や人にさきがけて

私の衣装は 野原や篠原の萩の花を

摺り染めにしたもの 流行の先端でしょう

 

注:「シャ公達や」は 「梁塵秘抄」口伝承巻第十には「左支旡太知也」とあり

多くの催馬楽の歌詞の中で間投詞や感嘆詞として用いられた

 

 

2 越殿楽(えてんらく)

 

 平安時代に最も流行した音曲で 今日でも世に広く知られている名曲である

平調・黄鐘調・盤渉調のものがあり 平調のものが最も有名である 越天楽とも記す

 「楽家録」によると 唐楽ともは平調の曲であり 漢文帝の作で一説には帳良の作とも

大神惟季の時までは平調であったのを 法勝寺金泥一切供養の日 錫杖衆の下楽に初めて盤渉調を用いられた

盤渉調に小楽が少ないので この調のものとしたという

 古くには舞があり 破の曲として「安城楽」を 急の曲として「越殿楽」を奏したという

 

 

3 胡飲酒(こんじゅ)  破(は)

 

 唐楽で 酔胡楽・宴飲楽ともいう 林邑(りんゆう=今の南のベトナム)の僧・仏哲が

天平八年(736)八月に 我が国に伝えた林邑の八楽の一つであり 現在では「序」と「破」の曲が残っている 

胡国の王が酒を飲んで酔って舞った有様を 班蚕が舞にしたものといわれる

仁明天皇の御代に舞は大戸真縄 楽は大戸清上が作ったとも言われ 我が国で改作されたものと考えられている

 本来であれば舞があり 壹越調(いちこつちょう)であるが 通常は管弦の形式で雙調に移調したのものを演奏する

 

 

4 豊栄舞(とよさかのまい)

 

 乙女舞とも称し 神社本庁が祭祀舞として制定したものである

作詞は臼太甚五郎 舞人は榊又は季節の花等を採物として 四人で可憐に舞う

 

(歌詞)

明けの雲分け うらうらと

豊栄昇る 朝日子を

神のみかげと 拝(おろが)めば

その日その日の 尊しや

 

風車(かざぐるま) 風の まにまに めぐりなり

止まず 止まず めぐる

 

土に零れし 草の実の

芽生えて伸びて 美しく

春秋飾る 花見れば

神の惠の 尊しや

 

 

5 蘭陵王(らんりょうおう)

 

 唐楽である 壹越調(いちこつちょう)で 天平年間に仏哲により伝えられた八楽の一つ 陵王・羅陵王とも称す

 その昔 北斉の勇将で 蘭陵の王・長恭は武勇才智に優れていたが その美貌の為に味方の士気が揚がらない

而して獰猛な仮面を着けて出陣し 周の大軍を撃破したことから その勇姿をたたえて作られた舞である

 舞人は一人 金色の大型の面をつけ 毛べりの裲襠(りょうとう)装束を着て

右手に金色の桴(ばち)を持って勇壮に舞う 

およそ舞楽のうちで最も軽快華麗なもので 走物のうちで最も有名なものであろう

 

 

6 抜頭(ばとう)

 

 太食調(だいしきちょう) 林邑の八楽の一つ 髪頭・撥頭とも書き 宗妃楽とも称す

唐楽であるが 右方舞としても舞われる また管弦としても奏されることが多い 特に厳島神社のものが有名であろう

 親の仇である猛獣を討った胡人の子が喜び勇んで山路を駆け下りて来る有様を模したものとされる

然し他に 嫉妬のあまり鬼と化し その復讐を遂げた女の舞であるなどとも その起源については様々な説がある

 走物で舞人は一人 桴(ばち)を持ち 鼻が高く長髪が前に垂れた朱面を着けて髪を振り乱して舞う姿は凄愴である

 

 

7 長慶子(ちょうけいし)

 

 唐楽で太食調 「ちょうげいし」「ちょうげし」とも読まれる

 醍醐天皇の皇子で笛の名手・源博雅(918~980)の作曲と伝えられる

曲調の整った格式のある名曲として 今も盛んに演奏されている

舞は舞うが 主に舞楽の会の最後に人々の退出を促す最終曲として奏される慣例があることから

「退出(まかで)音声(おんじょう)」とも称される

 

                                   蘭稜王の舞姿 

 

 

他には 太平楽・納曾利・青海波・振鉾・胡蝶の舞・浦安の舞・安摩・二の舞などがあるが 

上記の項目は上演数が比較的多い方をあげた 尚一つ一つの言葉について解説を心掛けたいが 先ずは雅楽とは

こんなものが上演されるのであると言うご認識さえ戴ければ 幸いなことである 近頃雅楽の倶楽部が増え 結構なことである

また東儀秀樹氏の出現によって大幅に見直されたことは 敬服に値するものであり 今日盛んになった契機となった

中国から渡来したものであるが 本国には既になく 日本において大切に伝承されて来たことに意義深いものを感じる

まだまだ如何なる時代になっても こうした文化は大事に伝えて行く我々の重い義務があろう

闇雲に昔のものだからと言って葬り去ることは あらゆる意味から言って 決して許されないことであろう

                                                                                                     (2003/12/3)

                                              (原稿のまま、手を加えず貼り付けす 庵の軒下)

 

 

 

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