日本の歳時記小論

                                       今年元旦未明から降り続いた雪の下鴨神社(楼門) 

 

 

日本の歳時記小論

 

『歳時記』と言えば 中国では年中行事やしきたりのことを言うが 我が国では主に『俳諧歳時記』となっている

短歌は人間の諷詠が主な内容で 俳句は自然の諷詠と言うことに尽きようか

俳句を詠む時 人事や宗教やその他年中行事やしきたりなど 更に春夏秋冬の時候のこと 天文・動植物など

それらを詠み込む習慣が 自然発生的に出来上がって来ていた

従ってそれを知らないと詠めないことになり 当然その手引き書が必要になって来る

それが『俳諧歳時記』と呼ばれるようになった切っ掛けであった

 

 

 

中国の『荊楚歳時記』について

 

日本は広い意味において 中国の文化圏に入ろう

欧米の影響を受ける明治ご維新までは 千二百年以上に亘って中国の影響を受け続けて来た

習慣・習俗にしても 中国のしきたりをどれ程取り入れたか 非常に類例が多い

そのうちで最も古く永い間影響を及ぼして来たのが『荊楚歳時記』と言う書であった

この書は中国の年中行事やしきたりをまとめた最古の書である

原著者は宗懍(そうりん 保定年間の人で64歳没)の『荊楚記』と言う書である

それを大業年間に 杜公膽(とこうせん)が詳細に注釈を施してから『荊楚歳時記』と呼ばれるようになった

荊州は 春秋戦国時代(前770~前221)の雄であった楚の国に位置し その地方を荊楚と言い 

この地方の歳時記を小まめに集めて『荊楚記』を創っていたのを 杜公膽がこれを全面的に補足し 

尚且つ南中国と北中国の風俗の違いを徹底して比較しつけ加えて『荊楚歳時記』としたのであった

これによって『荊楚~』と言うものの 実際には中国全土の風俗の集大成になったのだ

 

我が国に伝えられたのは 奈良時代初期の頃で 朝廷では『荊楚歳時記』に習って年中行事を定めた形跡がある

時は下って平安時代に書かれた『本朝月令』 更に下って鎌倉時代の『年中行事秘抄』の両書とも 『荊楚歳時記』を参考にしたものであった

 

このように我が国における『荊楚歳時記』の影響は非常に大きく 今に到っているものも決して少なくない

正月元旦の食事や門松飾り 七日の七草粥 十五日の小正月に小豆粥にお餅を入れて食べたり

三月三日の雛祭り 四月八日の潅仏会 五月五日の端午の節句 七月七日の七夕 旧暦八月十五日の観月会などなど

数え上げたら切りがない でもそれはそればかりではなく 我が国独自の土俗的な風習と上手に融合し整えられて来たものが圧倒的に多い

 

 

 

『日本歳時記』のこと

 

中国では『荊楚歳時記』以来 年中行事や故実を記録した本を 単に『歳時記』と言った

『秦中歳時記』や『輦下歳時記』などが発刊されたが 我が国には どうもこの歳時記と言う言葉が馴染まなかったらしい

何故かと言えば この歳時記なる言葉が最初に出て来たのは 実に千年後の江戸時代になってからであった

それは時の大学者・貝原益軒の指導のもと 甥の貝原好古がまとめた『日本歳時記』(全七巻 貞享五年 1688年刊)である

 

貝原が至極当然のように『荊楚歳時記』に着目したのは かの中国にある故実や年中行事を集めたものならば

本邦にもあるのが当然であると考えられる 従って日本は日本で集めたものであったのが 『日本歳時記』となった

但し『荊楚歳時記』が導入されてから 実に千年近い時間を費やしている 永い時の流れは 実は勿怪の幸いで

日本的に消化された中国伝来のしきたりも 進化したり咀嚼されたりしながら 数多く採用されている

 

公家の本である『延喜式』『西宮記』『江家次第』『北山抄』などのような 宮中の礼法や有職故実だけを述べたものではなく

広く民間の生活に分け入ってしきたりを紹介し その由来を内外の古典から引用する方法が採られた

この点『荊楚歳時記』と方法を同じくするものであるが 本書は更に 十二ヶ月に分けて

我が国の草木・魚鳥・虫獣類まで紹介し その食用や薬用の解説まで施しているところに特徴がある

如何にも『養生訓』の著者らしく 生活上の留意点や健康法の伝授まであり 簡単な「生活百科典」になって各方面に多大な影響を与えた

 

 

 

『俳諧歳時記』のことなど

 

以上のように『刑楚歳時記』『輦下歳時記』『秦中歳時記』など中国のものと 

日本の『日本歳時記』は一年中の年中行事や故事来歴やしきたりを記したものだが

処が我が国では 歳時記と言うと 必ずと言っていいほど『俳諧歳時記』になってしまう

『俳諧歳時記』の書名は 享和三年(1803)刊で 季題二千六百余を集めた滝沢馬琴以来のことを言い

以後それを補綴して 青藍(せいらん)による『俳諧歳時記栞草』 明治期の中谷無漄による『新修歳時記』

更に昭和八年刊『俳諧歳時記』(全五巻)が特に有名で 漸く「歳時記」の名称を定着させた

 

その起源は 室町時代 連歌の巨匠・飯尾宗祇『白髪集』であると言われている

四季折々の「季の詞(ことば)」を集めて整理したもので これを「季寄(きよせ)」と言ったようだ

以後 連歌の作法書には必ず季寄がなければならず 江戸時代に入り 寛永十三年(1636)に立圃(りゅうほ)によって

初の俳諧季寄書『はなひ草』が刊行されたのであった 季寄として特に注目されたのは 北村季吟の『山の井』(慶安元年 1648)で

再び彼が これを増補した『増山の井(ぞうやまのい)』であり 特に本書が「俳諧歳時記」の原型になったと言われている

 

こうした経緯を経て 滝沢馬琴により初めて『俳諧歳時記』の名称が確立し 

その命名は『日本歳時記』からの触発であったことは言うまでもない

つまり『日本歳時記』は単なる年中行事や故実の解説書ではなく 四季の草木・魚鳥・虫獣にまで及び

季語を重視する俳人達に 大きな影響を与え 参考書にもなった

 

こうして俳句の季題を集め 春夏秋冬の四季に分けて季題を収録し それぞれの季題に解説を加え 例句などもあげた

そうして連歌からすると 永い伝統のうちに 『俳諧歳時記』の形式が出来上がって行ったのである

『俳諧歳時記』は 無論俳句を創る人 学ぶ人の必携の手引書であるばかりではなく

我々日本人を取り巻く自然・風俗・習慣・故事・年中行事などの解説も載せているので そのまま「生活歳時記」になって行った

 

料理をする 菓子を作る 衣服を買い誂える 神社仏閣に詣でる 衣更する 通過儀礼をする 花を愛でる 冠婚葬祭

すべての生活の基本理念としてそれらを捉え それを継承し 新たにそこから創造し 季節感を大切にする習慣を身につけること

我々に課せられた最重要課題であって欲しいと 切に切に願ってやまない

 

(更に本ブログは、一見雑駁なご印象があろうかと思うのですが、この精神を軸に忠実にフォローしつつ書かせて戴きたいと~軒下が言)

                                                                                                                               (2004/12/28)

 

広告
カテゴリー: 歳時記 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中