人生初めての魂の感動 山田寺仏頭

                                     廃寺『山田寺 仏頭』
 
 
 
 
人生 初めての魂の感動! 山田寺仏頭
 
 
私の父は厳しい父で 普段一切贅沢をさせなかった
洋服でも 新たに買って着たものは少ないし 食事もいい材料であったが 極めて質素な食事であった
例えば小学校に入ると お手伝いさんがいながら 朝食の準備を私にさせ 卒業するまで続いた 小遣いも少なかった
弟には庭仕事をさせ 弟にもある程度厳しかったが 私よりやや甘めな育て方だったかも知れない
 
勉強も変わっていた 学校の勉強は当然のこととして 『論語』や宣長の『古事記伝』などを直接教えてくれた
和歌も『万葉集』から 定家なども ほとんど音読みであったが モノごころついた頃から 既にそう言う状況だった
小さい頃は何が何だかさっぱり分からず ただ必死に音読みについて行くだけが精一杯で
それでも不思議なもので 様々な文章や文字が いまだに頭の隅にこびりついて離れていない
跡継ぎの私に それなりの教養をつけたいと言う確たる信念があったに違いない
 
ただ時々厳父と二人で行く旅行だけは 日本各地の祭りや寺社仏閣が中心だったが 
それなりに大いなる楽しみであって 密かに心躍るものがあったことは事実である
更に小学校から 京都・祇園でのお茶屋さんでのお遊びなど 結構ませていたかも
そんなこんな色々な思い出の中でも 最も忘れられない思い出がある 
それは中学2年の夏休みのことである
奈良ホテルに泊まって 父は会津八一先生ばりの説明を得意げにしながら 
あちこちの御寺や神社に 汗いっぱいかきながら 二人で参拝して歩いた
 
そこで 私にとっては恐らく生涯忘れることが出来ない大事件が起きたのだ
大事件とは皆さまには大袈裟だが 私にはそう思えたから許されよ
奈良・興福寺の宝物殿に行った時のことである
阿修羅像とか 様々な凄い仏像がひしめいている中で 
昔あって 今は廃寺である山田寺と言う古寺から出土した『山田寺仏頭』(上記写真)を観た時の衝撃であった
私は そこをぴたりとも動くことが出来くなった
 
何と言うおおらかさ 何と言う清らかさ そして明るさ 若さ 力強さ 聡明さ この仏頭に ピタリと釘付けになったのである
 
英語を身につける為神田・YMCAに通ったり フランス語の勉強にアテネ・フランセに通ったりして
実は西洋文明に憧れ 隠れて旧約聖書なども読んだが それこそ何が何だか分からない世界であった
 
だがこの日本に 案外身近にある中に これほどまでに 人を震撼させるものがあったとは
私は 何時しか涙を流し ガラス越しに手を合わせていたと思う
日本仏教の黎明期の清々しい空気をも感じ取ったのであろうか 嫌 それは無意識だったろう
その時 じっと動かない私にいつまでも付き合ってくれて 一緒に佇んでいたのは 他でもなく父だった
 
この一件から 私は 己の誕生日が釈尊の誕生日でもあると言う事実からではなく 実は
この山田寺仏頭を観た感動から 急速に佛教に傾倒して行ったのだった
 
散々佛教放浪をしたと思うが 結局菩提寺の仁和寺が真言宗であると言うことから
日頃接することが多く 次第次第に弘法大師様の教えに心酔して行ったように思う
 
あの時の父の横顔が忘れられない 見たこともない滋味に溢れていた
一緒に 涙さえ出してくれた気が 今でもしている
越えようにも越えようがない厳父であって 
私には到底 父に到着なぞ出来ないままでいいといつまでも思っている 
 
                                                                                   2003/8/11
 
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カテゴリー: 文化財 パーマリンク

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