遊びをせんとや生まれけむ 登紀子の『花』

                                                                         初秋の白樺林
 
 
 
             花 
 
 
            水たまりに 薄陽がさして
 
            長い雨はもうやんだ
 
            道端におちた花の
 
            なんて赤いあざやかさ
 
 
              「赤い花を咲かせたのがあなたなら
 
              それをちぎって捨てたのもあなたでした
 
              ふみつぶしたあの時
 
              とび散った花びらのあざやかさを
 
              あなたはおぼえていますか」
 
 
            忘れていた何もかもが
 
            突然によみがえる
 
            あの日のあなたと私の
 
            なんてみじめなつよがり
 
            自分で描いた夢に自分で背を向け
 
            泣きながらふみつぶした赤い花
 
 
            届かない手紙のように
 
            別れの一つずつに向かって唄う
 
            咲いた花の甘さより
 
            落ちた花のあざやかさ
 
            自分で描いた夢に自分で背を向け
 
            泣きながらふみつぶした赤い花
 
                                加藤登紀子 詩
 
 
 
 
この詩を書いた直ぐ後 お登紀さんのお父上は 
 
ある坊さんから 『花不失――はなうしなわず」と言う書かれた色紙が贈られた
 
お父上は 散々自慢して 「どうやええやろう」と豪快に笑った
 
そこで この花と言う歌の流れで お登紀さんは お父上に梁塵秘抄(りょうじんひしょう)の有名な一節
 
「遊びをせんとや」と 色紙に書いて贈ったと言う
 
自らの人生をそのまま言われたような気がしたお父上は 当初これが気に入らなかったらしい
 
家族に済まない気持ちがあったのか 後髪を引かれながら 何か面白いことないかなぁといつもの口癖
 
放蕩もしたのかも知れない 奥さんに叱られ叱られ 最期まで 花を失わなかったお父上だったそうだ
 
お登紀さんの時代を見る目 そして何よりも人の個々に対する愛惜の情の深さは目を瞠る 
 
我が母とともに 大好きな歌手の一人であるように思えてならない
 
 
 
 
 
『梁塵秘抄』(巻第二 四句神歌 雑)の一節
 
 
遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん
 
遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動(ゆる)がるれ
 
(大意~遊ぶ為に生まれて来たのだろうか 戯れる為に生まれて来たのだろうか
遊んでいる子供達の声を聞いていると 感動の為我が身体も同時に動いてしまう)
 
                                                                                                         2003/10/18
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