熊野古道

                                                                     熊野古道 (中辺路)
 
 
 
熊野古道
 
熊野古道とは 熊野三山に詣でる為に 先達(案内する行者=せんだつ)と道者(詣でる人)が徒歩で 都から熊野まで歩く道のことであり
 
古道のルートは色々なルートがあって ここだと特定する道ではないが 最も有名な古道は 中辺路(なかへち)と呼ばれているルートであろう
 
岩田川(現在の富田川)から歩くルートはメーンルートの中辺路で 吉野山から入るのは小辺路(こへじ)と呼ばれ 又海を廻ってから行く方法もある
 
古道とはそうした熊野詣をする為に歩いた道の総称で 熊野詣をするまでは一旦死ななければならず 険しい山坂があるのは当然のことであった
 
特に盛んだった時代は平安末期の浄土信仰が最も盛んなりし時期で 院政が旺盛な末法の御世 上皇を始め 我先に熊野詣でをされた
 
モノの喩えによると 蟻が餌と巣の間を盛んに行列をなして往来したかのようだったとあり 上下貴賎男女を問わず訪れたものであった
 
然も京都・奈良など大都会から このような険しく鬱蒼とした山道を歩くのは 盗賊あり猪や熊の襲来もあって それこそ命がけのことであったろう
 
 
 
熊野三山
 
熊野三山とは 熊野本宮・熊野速玉新宮・熊野那智宮のことで 神社でありながら 佛教の末法思想に深く彩られた神社であった
 
熊野本宮の主神は 家都美御子神で 阿弥陀如来さまとされ
 
熊野新宮の主神の速玉神は 薬師如来さまと考えられ
 
那智宮の牟須美神は 千手観音さまを本地(本体)とされた
 
従って 本宮は西方浄土であり 新宮は東方浄瑠璃土で 那智宮は南方補陀落(ふだらく)浄土であるとみなされ
 
熊野全体が大きな浄土であって そこへお参りすることによって 人々は生きながらに極楽浄土に生まれ変わりたいと願ったものだ

           那智大社にある青岸渡寺の聖観音立像(明治の初期に 那智大社と青岸渡寺に分かれた) 但し中のご本尊は千手観音さま

 

熊野参詣のお作法

熊野詣には 独特のお作法があった 新しく生き直す為であるから 当然厳しい作法の必要があったのであろう

辺境の山岳へ行くのである 皆それぞれに精進潔斎し 生臭モノを断って 先ず出発の地でお籠もりをした

例えば嵯峨野の入り口にある野々宮神社などは そのいい例であろう

山岳地帯を牛耳っていたのは 山伏などの修験者であり それらの行者を頼らなければならなかった

それを先達(せんだつ)と言い 手始めに 行者とともに 精進の儀礼から始まった 食事は無論のことだが

言葉遣いや行いも慎んで身を清める必要があった 先達の指導のもとに 道中の安全祈願を先ずしなければならなかった

祓いや清めや水辺での垢離(こり) 王子社での奉幣の儀礼 更には悪口 綺語 二枚舌などは厳禁であり 忌詞は一切使えなかった

忌詞には 約30ほどあって それらは別に言い換える必要があったのだ

○仏→サトリ ○経→アヤマキ ○寺→ハホウ ○堂→ハチス ○香炉→シホガマ ○怒り→ナタム ○打擲→ナヲス

○病→クモリ ○血→アセ ○啼く→カンスル ○死→カネニナル ○葬→ヲクル ○卒塔婆→ツノキ 

○男→サヲ ○女→イタ ○尼→ヒツツキorソキ ○法師→ソキ ○墓→コケムシ ○米→ハララ等々である

熊野詣をする者には こうした言葉に言い換えするのを義務づけられ 妄語も当然慎むべきこととされた

先達から言われた注意事項を遵守し 杖を貰い 一歩一歩と歩を進めたが 浄土へ行くのに もう一つ大切なことがあった

それは今までの自分との決別の儀式である 例えば中辺路を歩く者は 岩田川(現在の富田川中流)を渡らなければならない

ちょうど三途の川を渡るように 素足で川の清らかな流れを渡り 一旦死んでから 道者(詣でる人)は清めながら死ぬことを意味していた

何度も川のせせらぎを渡りながら 道者は清められながら死ぬのであり そうして再び蘇るのであった

 

儀礼的に一旦死んだ道者は 愈々熊野の霊域に入る 霊域の入り口とされる滝尻王子まで行く

ここから先に9つの鳥居があり 九品(極楽往生を9つに分けた)すべてに対応した鳥居をくぐる仕組みになっている

その人それぞれの資質に応じて その人にあった鳥居をくぐるのであるが 可笑しいことに その区別が曖昧模糊としたものである

上品上生 上品中生 上品下生 中品上生 中品中生 中品下生 下品上生 下品中生 下品下生とある鳥居を 順にすべてをくぐって

己の生をステップアップ出来るようになっていて 道者は次第に浄土に生まれ変れるようになっている

                                                              ご神木と鳥居

 

9つの鳥居をくぐって浄土入りした道者は 熊野本宮まで2時間と言うところに大鳥居があって そこが聖域の発心門とされた

発心門をくぐり 発心王子に着くと 道者は そこまで使って来た杖の代わりに 新しい四面の金剛杖が渡される

何故四面かと言えば 発心門・修行門・菩提門・涅槃門のことで その4つをくぐって 成仏出来ると考えられていたからだ

 

熊野詣

現在の本宮は明治24年の大水害のお陰で高台に移ったが 本来は熊野川・音無川・岩田川の三本の川の合流地点の中洲にあった

本宮に到るには 音無川を徒歩で渡らなければならず 道者は必ず草鞋(わらじ)を濡らして渡ったものである

この清らかな水で 再び身を清める意味合いがあったのであろう 足元を濡らして 宝前に額ずく前の最後の垢離場と言えよう

夜になってから 改めて本宮に参拝奉幣するのが作法であった 熊野詣とは精進潔斎を本旨としたことが如何にもお分かりになるだろう

                                                  青岸渡寺から観た熊野那智社

 

本宮を詣でた後は 熊野川を船で下り 河口にある新宮に詣でる

新宮を出ると 再び海岸線に沿って歩き それから那智川に沿って 那智へ登って行く

那智で参拝を済ますと 今度は眞逆をたどって 金剛杖をつきながら 帰路に着くのである

こうして浄土に生まれ変わり成仏し 再び現世へ帰って行く 帰路は必ず来た同じ道を再びたどって帰らなければならなかった

これが熊野詣の全容であるが ただ成仏すると言う目的は元より このことによって命懸けで精進潔斎することの重要さは 今も少しも変わっていない

                                                       熊野詣で イメージ写真 

櫻・余情

熊野詣での道筋は幾らでもあるが 面白いことに 何故か櫻の植えた場所が 必ずそれぞれ参道にある

吉野山は 櫻がご神木であることは有名なのであるが 熊野は櫻と関係あるや否や

もし櫻の花が道中 道者を慰めてくれるものであればと考えられないことはないが やはりここでもご神木の一種ではなかっただろうか

下図写真のように 後白河院お手植の枝垂れ櫻が 今も生き生きとして残されている

                                                  後白河院 お手植の枝垂れ櫻

                                                                                                                                             2004/6/20 上梓

 

 http://www.kumanonachitaisha.or.jp/  熊野那智大社

 http://www2.ocn.ne.jp/~sanzan/NTTcontents/seigan/index.htm 那智山青岸渡寺

 http://www2.ocn.ne.jp/~sanzan/NTTcontents/hongu/ 熊野本宮社

 http://www.mikumano.net/meguri/singu.html 熊野速玉新宮社

 http://www.pref.mie.jp/BUNKAZAI/HP/sekaiisan/ 世界遺産 熊野古道

 

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