残照~能 隅田川

 

 

残照~能 隅田川

 

日本各地には子守唄が多く わらべ唄も数多くある 眠らせ唄や遊ばせ唄の類も子守唄の範疇に入ろう

 

こんこん小山の子兎は

何故にお耳が長うござる

おっ母ちゃんのぽんぽんにいた時に

長い木の葉を食べたゆえ

それでお耳が長うござる

 

こんこん小山の子兎は

何故にお目々が赤うござる

おっ母ちゃんのぽんぽんにいた時に

赤い木の実を食べたゆえ

それでお目々が赤うござる

 

佐賀県に残るわらべ唄である 子兎に寄せて 母親の子供に抱く心情をほのぼのと伝えている

ところが不運にも 別れ別れになった親子の情愛の悲劇は 今日より遥かに凄惨なものであったに違いない

能の世界でも例外ではない こうした悲劇に材を取った曲はかなりな数にのぼっている

母親が子供を捜して彷徨う曲は『隅田川』をはじめ 『柏崎』『百万』『櫻川』『三井寺』がある

逆に子供が母を訪ねて歩く曲に『飛鳥川』があり 父と子の邂逅を扱ったものでは

『花月』『歌占(うたうら)』『木賊(とくさ)』『弱法師(よろぼし)』などがある

夫婦と子供を扱ったものでは『藍染川』『竹雪』『鳥追舟』『水無瀬』があって

夫婦の別離では『芦刈』『加茂物狂』『砧(きぬた)』で 姉弟では『蝉丸(せみまる)』があろう

 

これらほとんどの曲の終幕では めでたく手に手を取って 故郷へ帰り 幸せに暮らす大団円ものが多い

ところが『隅田川』と『蝉丸』では 前者は子供は既に死んでおり 後者は姉弟が一度は逢いながらも 再び別れ行くのであり

大半がハッピーエンドであるにもかかわらず この二曲は悲劇のままで終幕する

こんなに別離の曲が多いのは 人買いや神隠しなどど言って 当時は相当に横行していたものであろうか

それが現代日本にも 強烈に通じそうであるから 何とも恐ろしい話であるのだが・・・・・・・

 

『隅田川』の母親は 人商人(ひとあきうど)にかどわかされ 東国へ下った我が子梅若丸をはるばると尋ね行く物語だ

彼女が我が子の死を知ったのは 夕暮れ時の隅田川の渡し舟の中である

対岸の大念仏を不審に思い 船頭に尋ねると 昨年の今日 人商人とともに都から下って来て あの川岸で

亡くなった子供の供養をしているのだと言う 旅の疲労が重なって倒れてしまった子供を

人商人が無情にも 路上に打ち捨てたまま 立ち去って行ったもので 子供の素性をよくよく尋ねてみると

まさしく我が子梅若丸であった しかも今日が一周忌

思わず落涙する母 気の毒に思った船頭は 梅若丸の塚へ案内すると 母は狂ったように

土を掘り返して もう一度在りし日の我が子の姿を見せて欲しいと泣き臥してしまう

船頭は嘆いても今はせん方もないこと この上は後生を願って 弔ってあげなさいと

鉦と撞木を渡し 母親を諭してあげるのだった 泣く泣く回向をしていると

何と塚の中から 我が子の声で 念仏に唱和しているではありませんか

母は夢かと思い もう一度今の声を聞かせてくれと一心に念仏を唱えると

不思議や 声だけではなく 梅若丸の姿が幻となって スゥ~ッと現れる

幻の我が子を抱きしめようと その胸に縋り 二度三度と縋った

しかしそれは丈なす草の影に過ぎず 空しさのみが残り 茫然と立ち尽くしてしまう

いつしか夜は明け しらじらと明けて行く 又もや涙がせきあげて来て そこで曲は終わるのである

 

昔の隅田川では 江戸の町が大湿地帯の真っ只中にあり 入間川と古利根川が合流して 一大河口になっていた

薄木が揺れる隅田川の抒情もあったのであろうが 文禄三年(1594) 徳川家康が江戸入りして五年目に 治水を換え

利根川を分離し 荒川と入間川を合流させ 更に荒川放水路まで作って 現代に到っているから 母子の物語のような広大な流域は今はない

但し隅田川の東岸・墨田区堤町2丁目に 木母寺があり 今もそこには梅若塚があって 

梅若六郎家(観世)では 例年四月十五日の梅若忌に供養を行っている

 

狂女モノでは よく笹を持って 舞台上に登場する この謡曲『隅田川』の母親も笹を持って登場するが

これには訳があるのだろうと思う 旅姿であるから 水衣(みずごろも)を着て 黒塗りの女笠を被り

舞台に登場するや 「カケリ」と言って 笹をかざし 狂女モノ独特の舞を見せる

『柏崎』や『櫻川』も『百万』も『三井寺』も 子供を尋ねて 旅に流離う曲すべてが 笹を持って カケリをする

『櫻川』の母親だけは 川に流れる櫻の花びらをすくう網を持っているが 我が子恋しさの物狂いでなければならなかった

我が子を尋ね歩く母親は ある種 芸能者として諸国を彷徨ったのではないか その為に神憑り的な巫女の物真似であった証左であろう

『隅田川』の船頭も 「面白う狂う見せ候へ 狂はずは この舟には乗せまいぞとよ」と言っている

祈祷やお祓いをする時に 榊=栄木も笹も常盤木も 呪力があるものとされていた

現在の演能では 笹に白い紙の幣(しで)はついていないが 本来ならあって然るべきであろう

神憑りすることで その日の糧を得て 同時に女の一人旅の安全を保証したのではなかろうか

 

この『隅田川』は世阿弥の一子・十郎元雅の作と言われている 中でも面白い記述がある

『甲楽談儀(さるがくだんぎ)』の「よろづの物まねは心根」と言う章に

梅若丸の幻影を 子方として実際に出すかどうか 議論しているのがある

「すみだがわの能に 内にて子もなく 殊更面白かるべし 此能は現れたる子にてはなし 亡者なり 殊更其本意を

たよりにてすべしと 世子申されけるに 元雅は得ずまじき由を申さる かやうのことは して見てよきにつくべし せずば善悪定めがたし」

この親子の論議は 600年以上経った今でも未解決であり 実際に子方を出す場合と出さない場合の演出がある

実際に我が子を探せなかった鬼ごっこであるが 鬼ごっこにしてはならないと言う戒めもあろうかと思う

 

さてこの曲の最後は「シオリ留」と言って シテ(母親)がしおれながら留めるのである

「シオリ」「シオレ」は「しおれる」から転化したものであるが 「うなだれる」ような状態を含んでいるようである

普通の曲は「留拍子」と言って 最後に 常座で トトンと足拍子を叩いて終わるが

『隅田川』のシテは その留拍子を打たずに そっと手を目にあてて シオリ留をして終了する

つまり母親の本当の哀しみは 今 始まったばかりであると言う象徴的な演出であろう

成仏することも出来ない 仏果を得ることもない 永劫の哀しみが表現され 底知れぬやりきれなさが横溢する

 

しかもお面は『深井(ふかい)』か『曲見(しゃくみ)』で 一般人の中年の女面をつけて登場する

これらの面は 我々の傍らに 普通に何処にでもいる女性としているせいである

梅若の母と言うだけで 固有名詞がないのは 極一般的にわざとして 普遍性を持たせようとしたのではなかろうか

 

話は変るが 子供を育てる自信がないと言っては 幼児虐待が当たり前の現代の日本とは 何なのであろうか

性の悦楽だけが突出したせいではなかろうか それにしても情けないと憤激をおぼえてならないのである

                                                                                                                       2002/10/11

 

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