生涯愚直にて候

 

 

 

 

 生涯 愚直にて候

 

 

 不思議なことに 当家では 

多くの書家とのお付き合いが 何故か多かった 

殿村藍田 木村知石 青山杉雨 村上三島 上條信山 今井凌雪 

手島右卿 金子鴎亭 それに女流書家の町春草の 一時代前の大先生方でした 

祖父が 書道界の何かをやっていた関係だったかも知れません 

今思うと 現在でも書の世界をリードする錚々たるメンバーでした 

私は門前の小僧習わぬ経を読むの譬えではないんですが 

そこそこに観る眼だけはついてしまっていました 

 

 日本の三筆とは嵯峨天皇・空海・橘逸勢であり 

三蹟とは小野道風・藤原佐理・藤原行成のことで 

いずれも過去類例のない凄い能書家であるわけです

 

我が信仰する真言宗の開祖の空海の字は 

まさに確信に満ちて 立派です

然しお大師様には ちょっと悪いのですが 

実は私には 密かに大好きな別な方の字があります

良寛 その人の字です

 

子供達が凧上げの為に 凧絵にしたいとそそのかされて書いた 

この『天上大風』の良寛の字には 強烈な印象を受けたのです

最初に観て仰天し いつかそれも沈殿し 愈々確固たるものになって来ました

即興的に書かされたので 自分のサインは端っこに追いやられていますが

何と言う軽さでしょう 何と言う深さでしょう 何と言う滋味でしょう

 

如何でしょう 皆さんの この字に対するご感想は?

 

こんな字を書く良寛と言う方は 

一体どんな方なのだろうと 私は徹底して調べました 

ここでは簡単・明瞭に書かせて戴きます

 

今から250年近く前 越後の出雲崎で 文人実業家・以南の長男として生まれます 

出雲崎の名門庄屋の家柄だったのを 僅か18歳で自ら受けた家督を次男に譲り

自分だけがさっさと 近くの御寺・光照寺で出家してしまうのですが 

詳細な出家理由は分かっていません 但し伝説はたくさんあります

 

幼少の時は信じられないくらい一本気でした 何かこのことが災いしたのでしょう

備中・玉島の円通寺で 本格的に 国仙和尚を師に 修行を始めます

 

22歳の時からのこの修行は熾烈を極め 一徹モノの良寛は ひたすら修行の日々で 

曹洞宗宗派の教義『山中独居』『只管打座』『托鉢行脚』の明け暮れだったのです

円通寺で修行すること11年 遂に良寛は 師匠から 印可の偈(終了証)を受けます

その2年後 良寛は円通寺を出て 諸国行脚の旅に出ます 四国・九州あらゆる処へ

でも その立ち回り先に関しては 殆ど資料がありません 

草枕の諸国行脚だったからでしょう

 

それが一転して 故郷出雲崎に帰って来たのは 

印可の偈の授受 国仙和尚の死 父以南の自殺など

多数の理由があったかも知れませんが これも詳細は分かっておりません

 

時既に39歳になっていました 故郷では友人知人宅を頼って生きていましたが

帰郷後9年目 懐かしい山である国上山の麓の『五合庵』に定住地を得るのです

最初は食いつめ者でしかなかった良寛は 

その温かい人柄と豊富な学問や達者な字で

次第次第に 人望を集めて行きます

 評判が評判を呼び 多くの文人達も 藩内外から 五合庵に訪ねて来ます

 

一般には良寛は俳句の達人となっていますが 実は和歌の方が遥かに多く

幼少の頃から 漢詩や儒学の勉強をしていましたから 漢詩も数多くあります

現在に 伝えられているそれら多くの書は 全く人格そのものの字で 肩の力が抜けた

良寛らしい素晴らしい書を 数多く遺してくれています

 

                        

                                                                  出雲崎 国上山の五合庵

 

 

良寛は愚直にも 一徹で 曹洞宗の教義のまま生きたと言ってもいいでしょう

禅坊主になってからは 妻も娶らず 只管打座の日々だったのです

但し可愛らしいことに 年老いてから 漸く恋らしいのがあったようです

 

良寛74歳 最期の弟子で大好きな人 34歳の貞心尼などに看取られ 

大腸癌で 生涯愚直にして果てるのですが

貞心尼との ほのぼのとした老いらくの恋心は 

又別な機会にお話致しましょう

 

それまで どれだけ多くの逸話があるでしょうか

 恐らく500以上はあると思われます 実話もあれば 虚構もあります

文人菅江真澄などは 良寛と書いて 

わざわざ「テマリホウシ」とルビを打つぐらいでした

子供達と 鞠つき遊びに興じる良寛を奇異に感じ

「てまり上人」とも言われていました

暗くなるまで 子供達と戯れ遊んでいるのが 大好きでした

 

話は変りますが 高橋竹山と吉田兄弟の差のようなものでしょうか

現代の書家の技法は大変なものですが 『書』を書く姿勢とこころ=全人格

恐らくそれらは この良寛に並ぶ人は 残念ながら 現代にはいないでしょう

 

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