こころの鏡 モネの睡蓮

                      

オランジェリーで撮影したMiyokoさんのモネの写真

 

 

 

 

こころの鏡 モネの睡蓮

 

 

 

立ち姿は 姿見で幾らでも見ることが出来る

身なりはそうして直せるものの こころはそれでは直せない

自分の周囲にいる人 あるもの これみな自分のこころの鏡と知るべきである

 

周辺の人に耳を傾け 

謙虚なこころ 素直なこころ 人もモノもすべてのものが

我がこころとして そこにありのまま投影されて来るパワーと不思議

 

最晩年のモネは 目が殆ど不自由であった

再館なったパリ・オランジェリー美術館の壁面に そのこころの鏡の絵がある

言わずもがな モネの睡蓮の絵である

 

パリ郊外のジヴェルニーの庭に 睡蓮の花を咲かせていた

ジャポニズムと言われ 日本庭園に憧れた庭は モネの生命であった

次第に視力を奪われて行ってから この池にモネは何を見たのだろうか

 

嫌 単なる風景を見たのではない

モネ自身のこころを見たのだろうと

謙虚であれば 自分のこころの在りようが見える

 

何も失うものが何もなくなったモネが 最期に見たのは

自分のこころの中の睡蓮であり 

その美を前にする 自分の謙虚さの中にあったモノを見ていた

 

謙虚さとは エネルギーの象徴であり

 謙虚であればあるほど 随所に自分が見えて来て

この絵が 描けたはずである

 

                                          写真提供 Miyokoさん

 

 日本に最初はそうではなかったが 盲目でも画家を続けた人がいた 曾宮一念氏 

梅原龍三郎氏 と同期 国画会に洋画部門を興こした方である 彼の絵はすべてが乾いた抒情性で 詩であった

全盲になってから お嬢様のお手伝い(絵の具の選択など)もあったが 40年以上も描き続けた 

数年前だったか 104歳で ひっそりと亡くなられた由 富士宮の名誉市民であり 刊行物も多いけ れど 

ちっともご自身をひけらかさない人であった 昔の人の気骨を思う 

処が困ったことに 馬鹿な日本 人画家が勝手にイタリア人画家の模倣しておいて 

国辱ものの弁明に終始している 見苦しい限りだ 

以前なら潔く切腹でもしただろうに 66歳にもなって 自分の姿さえ見えていない

 

 

http://www.kitagawamura.net/monet/(高知県北川村にある ジヴェルニー公認のモネの庭)

 

口絵 オランジェリー美術館 モネの部屋より

広告
カテゴリー: 芸術 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中