梅酒

 

 

 

 

 

         梅酒

 

 

     死んだ智恵子が造っておいた瓶の梅酒は

     十年の重みにどんより澱んで光を葆み、

     いま琥珀の杯に凝って玉のやうだ。

     ひとりで早春の夜ふけの寒いとき、

     これをあがってくださいと、

     おのれの死後に遺していった人を思ふ。

     おのれのあたまの壊れる不安に脅かされ、

     もうぢき駄目になると思ふ悲に

     智恵子は身のまはりの始末をした。

     七年の狂気は死んで終った。

     厨に見つけたこの梅酒の芳りある甘さを

     わたしはしづかにしづかに味はふ。

     狂乱怒涛の世界の叫も

     この一瞬を犯しがたい。

     あはれな一個の生命を正視する時、

     世界はただこれを遠巻にする。

     夜風も絶えた。

 

                                                              高村光太郎著『智恵子抄』より>

 

 

 高村光太郎の妻・智恵子が亡くなったのは 

昭和十三年十月五日 僅か五十二歳の命であった 

直接の死因は粟粒性結核 そこに千数百点と言う膨大な量の紙絵が遺された 

三歳年上の光太郎は 翌年『レモン哀歌』を発表 この詩『梅酒』を発表したのは 翌々年の五月 

更に翌年の六月に『荒涼たる帰宅』を発表して 龍星閣版『智恵子抄』の初版が完結する 

時代は第二次世界大戦に突入する寸前であった

 

 

 凡そ十七年前になる母が造った最期の瓶の梅酒は 勿体無くて未だ飲めない 

私は智恵子と光太郎の比類なき愛を思い 毎年六月中旬に 自分で梅酒を造る 

紅南高梅を使い 芋焼酎と氷砂糖 全部1対1対1でいいと言うのだが 

砂糖は控え目にして入れる 透き通るような琥珀色の梅酒は堪らなく好きで 

飲むと言うより 眺めることの方が多い 

年ごとに色合が違い まるで家族の年鑑を見る思いだ 

母が造った梅酒は 梅だけはとっくに取り出して食べた 美味しかったことをよく覚えている 

母の梅酒は風合いが一番で 愈々透き通ってメッセージを発し続けている 

「私は生きていたのよ」と 出来れば未だ見ぬ私の嫁になる方と 

弟夫妻と四人で 母の梅酒の封を切ろう 

処で 光太郎が味わった瓶の梅酒は 智恵子の体温さえも感じられたのであろうか

 

 漸く今朝から リハビリが始まる 早く家に帰り この毎年の行事をしようと思う

 

 

 

 初心者が梅酒を造る時は なるべく堅い梅の実を選ぶ 

ふにゃふにゃした梅の実は透き通った梅酒には決してならない 

よく洗滌した梅の実の水分を よく拭き取ることが重要だ 

焼酎の他 日本酒・ジン・ウォッカ・ブランディ・ワインなどでもいい 

沖縄の泡盛で造る場合はシークァーサーがよく合う 更に花梨やラズベリー・スグリ・金柑・酢橘・薔薇など 

材料も多彩にあることはあるが やはり日本のリキュールの最高は梅酒であろう 

焼酎1,8㍑ 梅1キロ 氷砂糖500㌘~700㌘<無論1キロでもよい> 

専用の容器に 梅 氷砂糖 焼酎の順で入れ 密封し 涼しい陽射しの当たらない場所に置く 

約三箇月で飲めるようになるが 新しい梅酒ほど 味に角があって まろやかではない 

古いのは古いなりに まろやかで ノド越しがよく美味しいものである

 

 

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