真砂女のこと

             マッチ箱裏書

 

 

 

 

真砂女のこと (俳人・鈴木真砂女と銀座・卯波)

 

 

 

 どうも 女性を見る時 この人がお婆ちゃんになった時 どんな方になるんだろうか 

その一点に集中して見る癖が 私にはある 勿論若い女性を見る時の視点のことだ 

素敵なお婆ちゃんを見て そのお婆ちゃんに足し算引き算をし 若い頃はどうだったのだろうか 

そう考える癖がついてしまっているのだから 仕方がない 

渋谷のセンター街をブイブイ言わせて歩いている女子高生でも 私は必ずそう見てしまう 

私は マザコンの前にババコンだったらしい 

例えば電車の中で化粧をしている若い女性 杖をついた老人が傍にいても 席を譲ろうともしない若い女性 

ルーズソックスは今では見掛けないが それを穿いて 山姥化粧全盛の時も 

あの手の若い子を見ると 吐き気がして堪らなかった 

中年になって 真っ直ぐオバタリアンになるような前兆のように見えてしょうがないからだ 

ところが素敵に老けた女性は 丹念に探すと幾らでもいて 

と言うことは 素敵な若い人もたくさんいるのだと思うと つい嬉しくなってしまう 

今日はそんな素敵な老女の人生をお話したい

 

 

 

        <小料理屋・卯波と真砂女>

 

 銀座にはお化けのような人が数多く生息している 

お化けって 足がないのではない 足がちゃんとあって 

銀座に根を下ろして しっかりと生きている人のことで 但し前世や過去を殆ど見せない 

それ故お化けかも知れないと愛惜の念を籠めて表現したつもりだ 

銀座と言っても 些か広うござんして 超一級のお店がズラリと並んでいるものの 

私の好きなお店は大抵こじんまりして永年の常連さんでいっぱいのお店に通うことが多い 

銀座は意外に 露地が入り組んでいて えっこんなところに こんな店舗があったのと言った具合だ 

新橋近くが銀座八丁目 日本橋寄りが銀座一丁目 

今日は一丁目の方のお話で 『卯波(うなみ)』と言う小料理屋の女将のお話である 

ちょっとした小上がりはあるものの カウンター席は僅か九席 あっと言う間に満員になってしまう 

そんな小さなお店に 小柄で なかなか瀟洒な感じのする女将がいた 

本名鈴木まさ 出身は千葉県鴨川市 古い伝統のある旅館の娘で 

今ではその旅館は鴨川グランドホテルに変貌しているが そんな出身を億尾にも出さない 

私は そんなお化けが大好きで 酒を飲みに行くと言うより 

女将に非常な興味があったから よく出向いた

 

 この鈴木まさ 大変な俳人で 俳号を真砂女と号した 

一丁目の幸稲荷神社を ひょいと入ったそのお店で真砂女と名乗った 

小料理『卯波』は 何でもない極普通の飲み屋 狭いので ネタケースもない 

直ぐ近所に魚屋があり 刺身の注文が入ると 魚屋で調達して出してくれた 

芋の煮っ転がしなんかもあったかも 特別な酒もない 

私が最初に訪れたのは 会社の跡継ぎをした直後だった 

女将が最晩年の頃になるだろう 何故こんな老女しかいないところに 男供は夜な夜な通うのか 

去年亡くなった当社にとって大切な人・ヤスさんから連れられ その真意のほどを見物に行ったのが最初だ 

入って その繁盛の理由が直ぐに理解出来た このお店を切り盛りしている女将そのものの魅力に取り憑かれて 

男供は通っていることが理解出来た お客も選ばれた人達のように見えた 

静かな口調で話し 小さな目 それがすべてを物語っていた 

直ぐに見透かされたような 一瞬の感じと気迫 

でもちっとも酔客の邪魔にならないばかりか 

いつしか居心地がいいお店になると言った具合だ 

 

 

 

          <波乱の人生の幕開け>

 

 鈴木真砂女は 明治39年(1906年) 千葉県鴨川市に生まれる 

生家は房総地域で名の通った老舗旅館であった 

割りと幸せな少女期を過ごしている 昭和4年 22歳になった真砂女は 

日本橋の問屋の息子と激しい恋愛結婚し 女の子を産んでいる 

ところがそれが一大不幸の始まりで 何と夫は博打に散々入れ込み 

挙句の果ては 風とともに蒸発をしてしまうのである 

失意に打ちひしがれた真砂女は 日本橋に居ずらく 仕方なく 実家鴨川に帰ってしまうのだった 

家業の旅館を手伝い 子を育て 懸命に働く真砂女だったが 

旅館の女将を跡継ぎしていた姉が 病の為急死してしまう 

家業の存続が危うくなる中で 両親から 涙ながらに訴えられ 

真砂女は止む無く 姉の義兄と再婚をせざるを得なくなる 

そうして28歳にして旅館の女将になり働くのだったが 

「夫はいい人だったけれど どうしても好きにはなれなかった」と言わしめたように 

真砂女の波乱の人生は再び始まろうとしていた

 

 

 

           <俳句 そして再び出奔>

 

 若くして亡くなった姉は俳句を嗜んでいた

真砂女は家業の仕事の傍ら 姉の遺稿を整理した 

それが真砂女が 俳句の道へ進む大きな切っ掛けとなった 

自らの幸い薄い人生を 何とか盛り立てるべく 俳句を読まずにはいられなかったのだろう

夫運 

          なき秋袷(あわせ) 

                  着たりけり (鈴木真砂女)

 必死に書き綴る俳句 

或る日不図したことで 久保田万太郎の眼にとまり 

彼の俳句結社『春燈(しゅんとう)』に所属することになる

 俳句創作の意欲が益々高まって来る 一方その頃真砂女は 

偶々旅館に投宿した海軍将校と激しい恋に陥り 

運命的な恋をする 然しその彼は7歳も年下で 何と既婚者だった

      羅(うすもの)や

          人悲します

                       恋をして (鈴木真砂女)

 やがて迫り来る戦火 出征する恋人を追って 真砂女は家を出奔する 

その後何度か家に出入りをするのだが 真砂女夫妻の心の溝を埋める手段は 万策尽きていた 

そんな針の筵(むしろ)の上に立たされながら 必死に働く真砂女 

数々の俳句を詠みながらである やがて戦争は終わり 恋人は帰って来なかった 

居た堪れなくなり 再度出奔 弟に家業を継がせ 東京に出て来た 

やがて50歳 ついに夫と離婚した

 

 

           <小料理屋卯波と俳句>

 

 真砂女は 取るものも取り合えず出て来た以上 

文無しの状態であったが 俳句を通じて 結構な人脈が出来ていた 

そこで当時大流行作家の丹羽文雄に相談 

丹羽のアイディアで サントリーの佐治敬三社長に相談 

丹羽が保証人となって ポンと資金援助して戴いた 

二人の紳士の名誉の為に ここで改めて明記しておきたい 

お二人とも鈴木真砂女の真摯なファンで 男女の仲を 遥かに超えたところが一貫していて 

何て素敵な間柄だろうと 今でも思えてならない 

そしてようやく果たした新しい戦場 小料理屋・銀座『卯波』開業となった 

板前を雇える資金もない 従って直ぐ傍の魚屋さんが 半ば板前代わりでもあった 

近くの酒屋が冷蔵庫代わり 地道に踏ん張る真砂女であった 

店と言っても 巾が一間しかない カウンター席が9つ 三畳と四畳の狭い小上がりが二つ 

そんなお店でも 運良く上々の客が入るようになった 卯波と言う店名は

       あるときは

           舟より高き

                        卯波かな (鈴木真砂女)

 から取られている 余裕などなかった 何も余裕のない中に俳句を作る 

それがモットーの鈴木真砂女であった だからこそ男顔負けの毅然たるいい句がたくさん書けたのだろう 

然も老齢の境地に差し掛かってからの独立独歩である 

並大抵な努力ではなかったであろう 

俳句の世界で 自分の実体験の切なさに基づいた男女の愛の句と言う新しい分野を切り開きながら 

俳句仲間や多くの文人によって この店は支えられた

   幸は

            逃げてゆくもの

                      紺浴衣 (鈴木真砂女)

 逆に どこに幸福が転がっているのか 分からないものである 

この転機が真砂女にもたらせた幸運はいかに大きかったか 

     鴨引くや

          人生うしろ

                        ふりむくな (鈴木真砂女)

 『卯波』特製のマッチの裏には そう書かれている 

北帰行をする鴨に当てて 故郷鴨川を思い出すことなく 

真剣に生きた真砂女の面目躍如たるものを感じさせる一句である 

借金も瞬く間に返した 幾多の句集は次々に賞を獲得し 

自伝を書き 真砂女の晩年は 全く余裕などなかったけれど 幸福な人生でもあった 

そして真砂女は96歳で 三年前(2003年3月)に亡くなるまで 

卯波と真砂女の俳句人生が 人も羨む大往生を遂げるのである 

 

 私が行った時は 大抵気の合う仲間達数人と 小上がりで 句会をやっている最中が多かった 

隅に座った真砂女が 何と幸福に満ち足りたお顔をしていたのだろうか 

どうも不慣れな手つきのお手伝いは この店の常連客が手伝っている様子でもあった 

娘は文学座の女優になり 孫が出来る やがて大きくなった孫が この店を手伝うようになる 

銀座旭屋書店では 鈴木真砂女の句集や自伝などの特別なコーナーが出来てしまうほど 

銀座では知らぬものがないぐらいまでなっていたが 

真砂女には最期まで お店を拡幅し 大きくする意図や意志はなく 

他人の温情で開店させて戴いたことを決して忘れないのであった

 

 

              真砂女遺影

 

           <いよよ華やぐ 真砂女かな>

 

 真砂女の生き方は 恋する女達に勇気を与え続けている 

この時代の女性にとって 殆ど類例のないぐらい激しい恋を重ねている 

「あるときは 舟より高き」人生の波間を漂い 子を連れ 人生の呻吟を 短い俳句に托し 

真摯に一筋に生きたのである こんな真砂女である 

作家の創作意欲を否応なく誘うことになろう 

作家・丹羽文雄は 真砂女をモデルとして小説『天衣無縫』を書き 

近年では瀬戸内寂聴が やはり彼女をモデルに 小説『いよよ華やぐ』を書き上げ 

鈴木真砂女亡き後も 何かと彼女を慕う声が盛んなのである

 

 ただ私が回想するに 決して派手な人ではなかった 

ただし小柄でも存在感があった 

それでも店主も客もお互いが邪魔にならない気さくなお店の感じがとてもよかったと思う 

うちに秘めたるものが大きい方ほど 静かな人なのであろうか 

いつも和服を着て割烹着を着用していた どこに客商売の雰囲気があるのかとも思われた 

季節感を大切にし いつも楚々としていた 

ホントに静かな人で 温厚なお人柄にも見えた 

だからこそ波乱万丈の人生が隠されてあったのだろう 

櫻に喩えれば 淡紅の寒櫻であっただろうか

うら若き真砂女は やはり静かな人で うちに秘めたるパッションが 

透き通って鮮やかに見え 内なる魅力で溢れていたのかも知れない  

もはや懐かしい人になってしまったが・・・・・・・・・・・ 改めて御冥福を祈りたい

 

 

 http://www.h7.dion.ne.jp/~unami/ (現在は孫の宗男氏が経営し 小さな店のままである)

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