花あしび

 

                                     私のパステル画 岩船寺から浄瑠璃寺への道

 

 

花あしび

 

 

堀辰雄と言う作家はすっかり過去の作家になってしまったのだろうか

どうも芸術の時流と言うのが分からないから 困ったことである

 

中学時代 最初に小説にはまったのは 他でもない

この堀辰雄であった 『麦藁帽子』『燃ゆる頬』『ルウベンスの偽画』『聖家族』

そう言った初期の作品が 初めは多かったように思う

 

その中でも エッセイのような『花あしび』と言う素敵な小品が好きであった

奈良の古い道を歩き 石仏を書いていたように記憶している

同じような傾向の作品に 『大和路・信濃路』もあったが 

ジャン・コクトーやアポリネールや若きレイモン・ラディッゲなどに影響され 

直接師事した芥川龍之介や室生犀星などに可愛がられ

一人の作家には 多くの他の作家が

影響しあっているのだと 初めて知った

 

古代王朝文学の再現と言う凄い実験もあった 『死者の書』

 

『菜穂子』『風立ちぬ』『美しい村』と言う長編もあった

何と言っても古い人の割には 斬新で美しい文章であったことに魅かれた

 

どうも一人に拘って読む癖は こんな若い頃からついていたようだ

 

そんな折 中学三年生の夏休み 初めて 奈良に一人旅に出た

バスを乗り継いで 岩船寺へ

そこから ゆらゆら歩いて二キロの山道を浄瑠璃寺へ

『花あしび』の道を辿ったつもりだった

 

細い小道で 道の脇には 微笑仏が微笑んでいる

磨崖仏もあった 何よりも風景が 優しかったし 嬉しかった

 

ようやく浄瑠璃寺に着いて 驚いた

彼岸と言う極楽浄土を願って 昔人達は祈ったのであろう御仏達

初めて 浄土と言う世界を意識した瞬間である

 

今はないが その時は市内に『日吉館』と言う古い旅館があって

そこで 初めて会津八一と言う高名な書家の存在を知った

会津先生も 大好きになった

 

私は若い時から 早熟だったかも知れない

考えてもみて欲しい 私と 半年年上の尾崎豊に 

世の中挙げて キャ~キャ~言っていた時分である

ロックやポップスに ほとんど興味を魅かれることなく

私は 変わっていたヤツだったのだろう

よく老成した子供だと言われた

 

25歳で家業を継がされ 必死になって頑張っている最中

尾崎は名を遺して死んだ そして当然無名の私は残った

私は無論無名のままでいいが 尾崎を思い出すと 何か胸が締め付けられる

確か あれは私が29歳になったばかりの四月の終わり頃だったと思う

 

尾崎死すの報があったのは お昼時の頃だったか

敢えて尾崎に背を向けて 必死に生きていた

 

それでも仕事中かお昼どきか 少しの暇をみて久し振りに 

堀辰雄の『花を持てる女』を読み耽っている途中 

テレビで 彼の死を騒いでいるのを見たのかも知れない

 

絵は 中学のその時に 描いた浄瑠璃寺への道の絵である

今度は 仕事を弟に引き継ぎ 尾崎のように 正直に生きる番かも

 

 

 

  花あしび』は確かに在る 然し一般に流布しているのは どうも大和路の中にある『浄瑠璃寺の春』

かも知れない 但し石仏の話がない 未完成の原稿の書を偶々読んだのかも知れない 新潮社文庫

本で 『大和路・信濃路』(税込み420円) 珠玉の短編エッセイが収録されている

 

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