端午の節句

 

 

 

 

      

端午の節句

 

 

 櫻若葉の季節が過ぎると あっと言う間に風薫る皐月 大空高く鯉幟が泳ぐ素敵な季節になります 

今年の北国は春が遅く 盛岡の石割櫻がようやく満開を迎え 弘前城の櫻は開花したばかりだと言って寄越しました 

列島は南北に長いなぁと改めて感じるとともに 北国の方々にも ようやくほっとする季節になったかと思うと 

私の胸にはようやく安堵の心が湧いて参ります 鯉幟の季節と言えば 現代では五月五日が 

総じて子供の日になっております

 三月三日は女の子の節句で 五月五日は男の子の節句と言う区分の

定着した考えはなかなかなくなるものではないのでしょうね

 

 

 <男の子の祭り>

 

 男の子の祭りとして 普通に行われているのは 鯉幟を戸外に吹流し 

菖蒲湯に入り 粽(ちまき)や柏餅を食べることが主流でしょう 

又お宅によっては 雛飾りのように 厄鬼を退け魔を除くとされる鍾馗(しょうき)の人形とか 

鎧冑(よろいかぶと)に身を固めた武者人形とか 

薙刀(なぎなた) 毛槍 幟 吹流し 軍扇などの模型を室内に並べ立てることもあります 

ちょっと狭い団地暮らしの中でも 小さな室内用の鯉幟(内幟と言う)があって 

菖蒲湯に入られることが多いでしょう 都市化が進んだ結果で止むを得ないものです 

いずれにせよ雛祭りと違って 男らしく簡素になっている方が味わい深いと言うものです

 

 幟を立てて 武者人形を飾るのは もともと武家の風習を伝えたものでした 

鯉幟も 戦陣に使われた吹流しの変形です 幟には家紋や武者絵や鐘馗絵などを描き 

幟竿につけて庭に並べ立てたものでした 菖蒲とは 尚武に通じ 緑色の鮮やかな葉っぱが 

剣状に群生して伸びて行くところから 男の子に相応しいとされ 

軒下に吊るした後 入浴用に使われたものだったのです

 

 中でも圧巻は鯉幟でしょう 竿の先端についている矢車 矢羽根 吹流しは 

かつて戦陣に使われたものだったのですが 口を大きく広げて 胴体いっぱい風を吸い込み 

空中に浮く真鯉 緋鯉などの鯉幟は 江戸時代頃から登場した割合新しい形式でした 

鯉の瀧昇りと言って 鯉は出世魚として歓ばれ 

男の子の出生を祝い 将来を托する意味があったものです 

古くは紙製でしたが 布地や 近年ではポリエステルなどの加工品になって来ています 

この鯉幟こそ 全世界何処にも 同じような形や習慣がなく 

私はよくお土産として 海外の友人宅に持って行き 随分と歓ばれたものです

 

 

<女の子の威張れる日>

 

 実は この端午の節句は女の子の威張れる日だと言う民俗の説があります 

五月五日が男の子の節句とされたのは 中国の風習に倣って 

宮中で行事が行われていたことや武家社会の伸張によって影響され成立したもので 

近世初頭に入ってからの習慣でした

 

 もともと農耕民族である日本人にとって 田植とは神聖な行事であり 

田の神に降臨願って 男達は太鼓を打ち鳴らし 早乙女(さおとめ)達が

田に入って稲の苗を植えて行くと言うのが 旧暦の五月五日でした 

その準備の為に 女達にとっても大切な日だったのです 

この日は『女の家』又は『女の屋根』と言い 男達は戸外に出払ってしまい 

菖蒲や蓬(よもぎ)で屋根を葺いた家の中で 女達は身を清め 物忌みを行ったのです 

田植を行う神聖な行事に従事する女達にとって大切な日であったからこそ 

女の威張れる日でもあったのでした

 

 ところが男達が威張れる日に変遷して行ったのは 

経済の中心が農村部より 都市部へ移行したことに起因しているようです 

特に徳川幕藩制度が充実し 農民達は武器を持つことを赦されなくなり 

商工業に従事することも罷りならんとされ 藩主の居城を中心とした都市作り=城下町が先行されたのです 

武力と商工業一切が 城下町に移転し集約され 農民の力は極度に抑制されるようになりました 

だから城下町で出来た習慣が逆に 農村部へ流れて行く現象が起きてしまったのです 

女の威張れる日から 男の威張れる日に変遷した顕著な例が 五月五日の端午の節句だったのです

 

 

<端午の習慣>

 

 端午はもともと端(はし)の午(うま)であって 毎月の最初の午の日を言いました 

「午」と「五」は同音であることや三月三日が上巳(じょうし)の日として 

節句となっていたことに呼応し 同じ数字が重なると言うことで 

五月五日を端午と呼ぶようになったと言うことです 

ですから五が重なるので『重五』(じゅうご)とも言われたようでした 

中国では この日を浴蘭節と言って 蘭の湯に入り その芳香を楽しむ日とされて来ました 

蘭の芳香は瘟気(おんき)や邪気を退けるとされ 菖蒲酒を飲んだり 

芝摘み 薬草摘みなどをする野遊びの習慣もあったようです

 

 端午にまつわる特に有名な故事は 

紀元前277年に汨羅(へきら)の淵に身を投じて死んだ屈原(くつげん)の話が有名でしょう 

屈原は楚の国の忠臣で 王に種々の諫言(かんげん)をしたのですが 

残念ながら聞き入れられず 逆に江南に流されてしまうのです と

ころが屈原の言う通り楚の国は 秦にあっさり滅ぼされてしまうのでした 

屈原は楚の国の運命に殉じ 淵に身を投じてしまうのですが

 忠君愛国の代表格として 屈原を人々は尊敬し 自由 正義 人民 祖国を愛し抜いた人物として 

古来から現代まで 中国では広く親しまれております

 

 その屈原が死んだ日が五月五日であり この日を記念し 

江水では競渡(きょうと)つまりボートレースが行われています 

又この日水底に沈んだ屈原を悼んで 竹筒の中にお米を入れて祀る習慣が出来たところ 

蛟龍(こうりゅう)が来て その食物を盗んでしまうと言うお告げがありました 

そこで盗まれないように 蛟龍の嫌いな楝樹(おうちのき)の葉っぱで包み 

五綵(ごさい)の糸で縛って 食べ物を沈めたと言います 

これが現在でも五月五日の食べ物になっている粽(ちまき)の原典となった基なのです 

日本で言う粽は餅米 うるち粉 葛粉などを水で練り固めたものを 

主として茅の葉で包んで縛り 蒸したものを言います

 

 以上のような中国伝来の習慣が 日本の宮廷で行われ 

その後武家政権にも伝えられ 中国式の部分に 

武家の習慣が上手にミックスされ 出来上がった習慣だと言えましょう

 

 

<子供の日から 母の日 そして父の日へ>

 

 五月五日の子供の日は 昭和23年7月制定の『国民の祝日に関する法律』によって定められました 

三月三日は女の子の節句 五月五日は男の子の節句と区別され 習慣づけられていたのです 

現在でも大凡その方向になっているのですが お役所の仕事とは 大方このようなもので 

五月五日を子供の日にしちゃえと言うような 大雑把なものだろうと思われます

 

 兎も角 この日は男の子 女の子を問わず 「子供の人格を重んじ 子供の幸福をはかる」と言う趣旨で 

五月五日から 十一日までの一週間にわたって 子供の為の行事が行われることになっております

 

 又この期間は 子供が母親に感謝する習慣にもなっており 

五月の第二日曜日に行われる『母の日』に繋がっております 

これは北アメリカのウェブスターの教会員である一女性が 

亡き母親の為に白いカーネーションを教会に抱えて来て 

皆さんに分けて与えたのが始まりとされています 

1908年来この日を国際母の日として提唱されて来たもので 

日本でも大正2年(1913年)以降行われるようになったのでした 

 

 これに対して 父の日はなかったのですが 

1940年 アメリカのドット夫人が提唱し 

6月の第三日曜日を『父の日』と設定し 次第に広まって来たようです 

いずれにせよ 子供の日とは 直接的な養育者である母親に対する感謝が籠められていると言ってもいいでしょう 

『母の日』も『父の日』にしても 『子供の日』の延長にあると言えるでしょう 

大型連休にあって 五月五日は 連休の遊び納めの意味も 一方にはあるのかも知れません 

皆様 どうぞ楽しい連休をお過ごしになられて下さりませ

 

広告
カテゴリー: 歳時記 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中