竹の子物語

 

 

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竹の子物語

 

 こんな病室に閉じ籠っていると どうも季節感がいまいちピンと来ない 

従って竹の子の時期には やや遅くなってしまったようなきらいがありますね 

でも日本列島は北から南まで長い列島なので 皆さまに甘え申し上げ 

遠慮なく竹の子のお話をさせて戴きとう御座います

 

 

 

<竹の子の文化史>

 

 竹の子にも文化史がありそうです 視点はやや違うけれど 

竹を扱う点で無視出来ない物語に『竹取物語』がありましょう 

奈良時代(10世紀初頭)には既に 竹取物語が成立していて 作者不明でありますが 

多分日本最初の物語として成立したものでしょう 万葉集にも出て来ます 

紫式部の書いた『源氏物語』にも「物語の出来はじめの祖(おや)」と書かれています 

それから1000年 ずっと語り継がれて来たものだと思えば 

やはりどこか多大な魅力があるに違いないのです

 

(竹取物語)

 昔々ある所に お爺さんとお婆さんが住んでおりました 

お爺さんは竹を切って 籠や笊を作って暮らしていました 

或る日のことです いつものように竹林の中に行くと 一本だけ光って見える竹がありました 

それを切って見ると 何とまぁ 中に女の子の赤ん坊が入っておりました 

お爺さんとお婆さんには子供がなかったので 「かくや姫」と名付け育てることにしました 

それからと言うものは 竹を取りに行く度に 竹の中にお金を見つけ 

あっと言う間に二人はお金持ちになりました 

赤ん坊はすくすくと育ち とても美しい娘に成長しました 

その美しさを耳にしたたくさんの若者が 到るところからやって来て結婚を申し込みました 

しかしかぐや姫はまったく興味を示しませんでした いつも物思いにふけり 空を見上げていました 

お爺さんは若者の求婚を無視出来なかったので 

不思議な贈り物を持って来た人に かぐや姫をやろうと言いました

 

 すると数人の若者が珍しい品物を持って来ましたが 

かぐや姫は直ぐそれは偽物だと見破ったのです 

そうして月を見る度に 哀しそうな顔をしていました 

「どうしてそんな哀しそうな顔をするのか」とお爺さんが聞きました 

「私は大丈夫です 実は私は月で生まれました 11月15日の夜 私は月に帰らなければならないのです 

お迎えが参ります」 それを聞いたお爺さんは「そんな馬鹿なと戸惑い怒り狂いました 

明日がその日に当たっていました お爺さんはたくさんの武士を雇って 

かぐや姫を守ろうとしました お爺さんはかぐや姫を何としても手放したくはありませんでした

 

 その夜 月が山の上に現れると 突然金色の光が放ち始めました 

武士達は一斉に光に向かって 矢を放ちました 

しかしその光に当たった武士は 力を失い その場に眠ってしまったのです 

天使が光の中から現れ 家の上に降りて来ました 

かぐや姫の手を取ると 天高く舞い上がって行ってしまいました どうすることも出来ません 

お爺さんとお婆さんはただ黙って見ているしかなかったのです

 

  以上が『竹取物語』の全部です 

かぐや姫 竹取物語 なよたけのかぐや それらは同義語です 

羽衣伝説も同じようなものから出ているのでしょうが 正しくは関連のお話なのでしょう

 物語の出来た経緯には 時の権力者の批判があったとか 

かぐや姫は実在したのではないかとか 様々な憶測がありますが 

何せ古い物語です 貧しい者達の実感だけ真実感として残り 

今日まで語り継がれて来たのではないでしょう

 

 ここでもお分かりの通り 竹には古代日本人の時代から 様々に関わり合って来たのでしょう 

特に食用となれば 若竹を食べる習慣は古くからあったと考えられるのです 

竹の子こそ日本人に最も馴染み深い食材の一つだろうと思われます 

とは言うものの 孟宗竹が 我が国に中国から輸入されたのは元文元年(1736年)のことでした 

それでは 以前食前に上る機会がなかったのか 嫌そうではないようです 

元禄時代『筍(たけのこ)や児(ちご)の歯ぐきの美しさ』(嵐雪)と言った句がありますから

 江戸初期には最低でも食卓に上っていたようです 

それより以前にも 山城の醍醐寺では『醍醐味やむし笋(たけのこ)の水加減』(空存)と 

蒸し竹の子を名物にしていたくらいですから 

輸入とは直接関わりなく 盛んに食されていたようです 

古くは『古事記』『日本書紀』に現れた笋 即ち「太加無奈」(たかむな)があります 

つまり古代にも竹は我が国にあって その若芽は食用にされていたことを伺えさせます 

但し中国との交流で一層多種な竹が輸入されたのでしょう

 

 日本人の暮らしに深いつながりを持つ竹の子は文学の上にしばしば登場します 古歌に 

今更に 何生つらん竹の子の

                            うき節しげき世とは知らずや  凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)

 と歌われ ここでは竹の子の節を歌われています 又

  おやのため昔の人はぬきけるを

                              たけの子のため見るもめつらし  大江匡衝(おおえのまさひら)

 と 「二十四孝」の孟宗に思いを寄せています 更に『詞華和歌集』巻九には

 世中にふるかひもなき竹の子は

                   わかへむ年をたてまつるなり    花山院

 これに返歌があって

 年へむる竹のよはひを返しても

                          此のよをなかくなさんとそおもふ  冷泉院

 と竹の子の贈答歌が載せられています

 或いは源実朝の『金槐和歌集』では 実朝が自らの孤独を歌った

 相生の袖に触れにし宿の竹

                       世々は経にけり我が友として     源実朝

 と 竹のモティーフは結構出て来るのです 

竹の子には 竹取物語だけではなく 様々な逸話も多く存在しています 

俳人西山宗因の「竹の子の親まさり」もそうでしょう 

越後の五合庵に住んだ良寛和尚にも同じような逸話があります 

竹かんむりに旬と書いて「たけのこ」と読みますが 

竹の子が生じてから旬有六日(十六日)にして 母竹に等しいくらいの大きさになってしまいます 

その地面を破って萌え立つ強さは大きな石さえ動かすと言うのです 

床板を持ち上げ 成長をし続ける竹の子に感動した良寛さまは 

床板をはがして 思うがままに竹の子を伸ばさせたと言います 

古来から 竹と日本人の間には 切っても切れないくらいの共存していたことを 

如実に窺わせているのでしょう

 

 

<竹の子の味覚>

 

 植物学者に言わせると 凡そ500種類の竹があるそうですが 

実際に食べられる竹は少ないようです 

モウソウチク ネマガリダケ ハチク ゴサンチク カンザンチク マダケ ウサンチク シカクダケ カンチクと言う

種類が主な食用の竹です この他ごく僅かにキッコウチク クロチク ホウライチク ダイサンチク等

十三種類ぐらい上げられそうです でも実際に八百屋の店頭に並ぶのは ほとんどがモウソウチクで 

僅かにネマガリタケ ハチク ゴサンチク(コサンチクとも)の三種類がお眼に掛かれるでしょう

 

 美味しい竹の子の代表として 実は東北・北海道にあるネガマリタケが珍重されています 

又鹿児島地方に「デミョウコサンカラモソ」と言う言葉がありまして 

数多くの竹の中で 美味しいものから四種類選んで 美味さの順に並べたものだと言われています 

多年鹿児島人の評価によれば 京都・徳島・千葉で争っている孟宗竹は 

味の面では最下位と言うことになりましょう 

さて諺のデミョウとは デミョウチク 即ちダイミョウチクのことで カンザンチクの方言です 

コサンはコサンチク 即ちホテイチクの古名です 

カラはカラダケ 即ちハチクの方言で モソとは孟宗竹の方言でしょう 

この四種類の名を 一つの単語のように結び付けているのでしょう

 

 と言う次第ですが 関東地区では永年孟宗竹を 先ず第一として食べ続けて来ました 

竹取物語には孟宗竹があった方が自然なのですが 実際は江戸中期 明和(1764年~)頃から出回り 

嘉永(1848年~)の頃に一般化したようです 姫竹のような細い竹に あのお姫さまが入っていられたのでしょうか

 

 味と言うものは 子供の頃から食べ慣れたものが一番美味しいわけで 

鮎にしろ竹の子にしろ 鮮度が第一で 産地の近くにいらっしゃる方は幸せです 

京都では「朝掘り竹の子」と言って 態々銘打って錦小路などで売られています 

実際掘り立ててであれば そのまま刺身として食べてもいいし 生のまま輪切りにし 

かつお節の強めの出し汁に 醤油を少し落とし 火が通ったら それだけで充分でしょう 

柔らかく 特有の歯切れと香気が立ち 味わい深いものですね

 

 掘り立てなら いざ知らず 半日までなら まぁまぁだが 

二日目あたりになると もうエグミが出て来る 

米糠などを加えて 茹でなければ固くて食べられない 

本当に竹の子好きになると 現地に出向いて そこで煮たり焼いたりするほどです 

藪焼き(やぶやき)と言って 竹の子山に行き こんもりして出ようとした竹の子に 

そこらじゅうの枯れ芝を集め 焚き火をし 地べたのあるうちから 蒸し焼きにしてしまうのです 

火が消え 10分ほどしてから 掘り出し 皮を剥き 適宜に切って 生醤油をつけて食べるのです 

甘味があって 実に美味しいものです

 

 五月の連休後 北海道に静内の櫻を観に行った時など 

北海道では行者ニンニクとネマガリタケを たっぷり堪能出来ます 

寿司屋さんでも ネマガリタケを出してくれます 皮ごと ちょっと炙って 

ささっと切れ目をつけて剥いてくれるのです 生醤油おつけ ぱくっと食べますが

 何とまぁ 爽やかな味でしょう 甘味もあって 大変美味しいものです 

山形などでは姫竹と呼ばれる細い竹の子も 同様に美味しい味がつまっていました 

多分同じネマガリダケかも知れません この竹の子は カツオのなまり節をほぐして 

生姜汁たっぷり入れて 醤油で煮ても美味しいでしょう 糸蒟蒻入りかなぁ

 

 そこまでしなくても普通に 若布と若竹の若竹煮 精進揚げ 油揚げと竹の子御飯など 

季節を感じさせてくれる美味しい食べ物です 特に私はアサリを大目に買い 

砂だししたアサリを塩入り湯で 湯がき 一旦取り出し アサリの剥き身を作っておきます

湯がいたお汁で 竹の子を煮て カツオダシを足し 充分に煮てから 

そのお汁で アサリの剥き身と一緒にし それから混ぜ御飯にして炊き込む方法の竹の子御飯に 眼がないのです 

アサリと竹の子は 最も相性がいいようです その上に木の芽とか 三つ葉を散らしても美味しいでしょう 

酢橘を搾ってもいいかも知れませんね 旬には旬の味わいを味わいたいものです

 

 とか何とか言っていますが 今回の入院の意図の一つは食餌療法であって 

筆舌に尽くし難い苦労をしています 具体的には書かない方が良いでしょう 

竹の子御飯は出ますかと聞いたら 「んにゃ その予定はないようですよ」とのすげない返事でありました 

入院二週間過ぎて 利尿剤でバンバンおしっこを出す作業に追われております 

哀しいが 心臓は随分楽になったようでもあり 

心臓に水が貯まることだけはもうなさそうな気がしています トホホで頑張ります

 

 

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