風の男・白洲次郎

                             櫻36歳の時の絵 油彩『幽春』(30号)を 白洲次郎・正子夫妻にささく

 
 
 
 
 
 
 
風の男・白洲次郎
 
 
 
 官僚の天下りとか 税金の無駄使いとか 叫ばれてから 随分と久しい 
 
こんなことは民間では決して赦されるものではないことが 官僚天国の日本を 大威張りで跋扈している 
 
然も現在巨大な借金(国民一人当たり700万円)によって 国民の生活が 様々な方角で暗雲に塞がれ 
 
圧迫されていると言うのに 一向に止む気配すらない そんな現状を見るにつけ思い出されるのは 
 
戦後間もなく通商産業省を創った男・白洲次郎のことである 私の祖父とお付き合いがあり 
 
私の幼少時分から 男になるなら 白洲のような男になれと言われ続けた男である 
 
徐々に成長するに従い 白洲次郎と祖父との付き合いの範疇から 次第に視野を広げ 
 
懸命に彼の足跡を調べた 調べれば調べるほど 凄い男で 最近NHK『その時・歴史が動いた』で 
 
白洲の特集があって 改めてその存在の意味を大きさを考えさせられた 多分御覧になられた方が多いだろう
 
 更に白洲は アメリカ一辺倒である現在日本の国策に 幾つもの矢を放つ異形の野人であり 
 
痛快男児そのものであったことも 注目に値するのではないか
 
 「日本は戦争に負けたのであって 奴隷になったのではない」と声高に叫んだ白洲 
 
東京近郊に23箇所もある米軍施設 何とあの国道16号線は軍用道路だと言う 
 
沖縄では 極端に言えば半分にも迫ろうとする勢いの巨大施設の存在は 
 
果たして本当の意味で 日本は独立を勝ち取っているのだろうか 
 
未だに占領統治下にあるのではないか と考えざるを得ないのだ 
 
泣く子も黙ると言う時の権力者マッカーサー司令官に 
 
日本人で唯一 一喝したことのある白洲次郎の気概も学んでみたいものである
 
 
 
 
 <白洲次郎の出発点>
 
 
 白洲次郎と言えば あああの文人・白洲正子さんの御主人ね と言う方が殆どであろう 
 
確かに正子以上ほど有名ではない だが経済人にとっては超有名な紳士であった 
 
裕福な神戸の家庭に生まれ イギリスのケンブリッジ大學に7年も留学し 
 
完璧な英語力とイギリス紳士のマナーを身につけた白洲は
 
学生時代『走る宝石』と呼ばれたベントレーのスポーツカー・ブガッティに乗り 
 
颯爽とヨーロッパ中を走り回って 見聞を広めた 
 
身長185センチ 後年三宅一生のファッション・ショーまで駆り出された 頗るハンサムな男である 
 
金融恐慌のあおりを受け 実家が倒産し 止む無く帰国したが・・・・・ 
 
 そして欧米通の一民間商社マンとなった白洲は 白洲の友人の薦めで 正子と運命的に出逢うのだ 
 
正子は 近代史で名高い蛮勇演説の 著名な海軍大臣・樺山資紀伯爵が祖父で 
 
当時アメリカ留学から帰国したての彼女であった 25歳までは遊んでやる したい放題のことはしてやると 
 
身辺に宣言していた18歳の正子は 白洲次郎にひと目逢って コロリと翌年には結婚への
 
意思を固めてしまうぐらい白洲は魅力的であったのだろう 時に白洲次郎は25歳 
 
「暴れん坊と言う評判の白洲との結婚を認めなかったら 家出してやる」と正子が脅迫まがいのことを言い 
 
白洲は26歳でその正子と結婚 この結婚こそが白洲の人生を大きく換えてしまうことになる 
 
27歳の時正子の紹介で 当時英国大使だった吉田茂と出逢う 
 
吉田51歳 二回りも違うこの二人は 逢って直ぐ唯一無二の友情を痛感したと言う 
 
 
 
 
 <GHQと息詰まる新憲法対決>
 
 
 吉田茂が英国大使であった時代 日本は東南アジア各地の資源を狙い 太平洋戦争に一直線であった 
 
吉田は戦争は負ける やるべきではないと主張し 軍部からは危険分子扱いを受けていた 
 
一方結婚した後戦争に突入する間際 白洲次郎・正子夫妻は「さぁ これからは農家の時代だ オレ農業をやるよ」 
 
そう言って 昭和18年すべての役職を辞め 退職金を充てに 都心を離れ 
 
都下・鶴川村(現在 東京都町田市鶴川)に移住 荒れ放題の農家に住まいすることになる 
 
武蔵と相模の中間にあると言う意味で その家を武相荘(ぶあいそう)と名付けた 
 
夫妻は荒れた農家の修理をし 細々と農業に勤しむ
 
 そうして広島・長崎に原爆が落とされ ポツダム宣言を受諾 無条件降伏を余儀なくされ 
 
無残な敗戦を迎える 戦後直ちに幣原喜重郎内閣が誕生する
 
 その時吉田は漸く日の目を浴びる立場にいた そこで唯一無二の親友・白洲次郎に白羽の矢をたてた 
 
白洲にとっては能『鉢の木』に出て来る「いざ鎌倉」の心境であったのだろうか 
 
直ぐにその要請を受け GHQ(連合国最高司令部)に対し 日本側窓口の責任者として起用され 
 
終戦連絡事務局の最高責任者に命じられた そんな折 新憲法の草案に関して 国務大臣松本が主に 
 
憲法問題調査委員会なるものが発足し GHQ司令官・マッカーサーから 新憲法の策定を急ぐように指示があった 
 
但し松本案は 明治憲法の域を出ず 白洲は何度ももっと斬新にして明確な草案を出すべきだと忠告をしたが 
 
「完全に民主憲法にしたら 私は殺される」と言って聞き入れられなかったらしい
 
 それに業を煮やしたマッカーサー総司令は 遂にGHQ民生局々長ホイットニーに命じ 
 
憲法の草案を独自に創ることになった 白洲には 目的は同じでも 日本民族の誇りと文化がある 
 
一直線で行ける筈がない でこぼこ道であっても 日本人に草案を任せて欲しいと懇願するのだが 
 
時の日本人官僚達は 鬼のマッカーサーと恐れ そればかりか 媚びへつらい 誰も異論を唱える者はいなかった 
 
松本自身 GHQ民生局が僅か一週間で作った原案に対し ひと言も発せず 昭和22年1月1日 
 
天皇に『人間宣言』をさせ その年の11月3日に憲法が公布され 
 
翌年5月3日に アメリカ製の現行・日本国憲法が施行されることとなった
 
 ホイットニー局長に「英語が上手いね」と言われ 「あなたの英語も もう少し勉強したら 一流になれますよ」と 
 
白洲は切り替えした マッカーサー司令官に 昭和天皇がクリスマス・プレゼントを贈答する際 
 
白洲次郎がその任に当たった時 天皇の贈答品を持って行くと マッカーサーは床に目を転じ 
 
そこに置いて行けと言った 激怒した白洲次郎は「いやしくもかつての日本の統治者であった者からの贈り物を その辺に
 
置けとは 何事か」と 流暢な英語で 激烈に言い放った 驚いたマッカーサーは 直ちに別なテーブルを準備し 
 
そこに改めて恭しく置いたと言う 鬼も恐れると言われたマッカーサーに対してであった
 
 GHQ内部文書では 白洲次郎を評して『占領下 ただ一人従順ならざる日本人」と記載され 
 
恐れられたのであった だがすべては徒労に終わった 
 
白洲が言う憲法とは 『独立』と言う明確な記載がないこと 
 
二千年に及ぶ日本文化を理解していないこと 天皇の位置づけが抽象化され 
 
少なくとも『象徴』と訳するようにと発言し それだけは取り上げられたと言うこと 
 
官僚はすべてマッカーサーに対し イエスマンでしかない プリンシパル=筋(生き甲斐)を通してこそ 
 
後世に語り継がれ 立派なものになると信じていたのだ 失意のうちに 再び下野した白洲 
 
吉田も次第にアメリカに対し抵抗を強めて行く それを見たGHQは 総選挙をさせ 
 
社会党・片山哲内閣が発足 続いて芦田均内閣を発足させたが 土俵が違う相手であって 所詮無理な話であった 
 
昭電疑獄事件などで あっさりと失脚し 仕方なく再び吉田茂に首相をやるように説得し 
 
第二次吉田内閣が発足するのであった 白洲次郎は悔しさを滲ませながら 
 
こうした動向を じっと鶴川で見詰めながら 息を潜めていた 
 
 
 
 
 <独立国家・日本たれ>
 
 
 独立国家・日本たれ 白洲が必死で模索した重大なキーワードである 
 
サンフランシスコ講和条約締結に際し 同行を依頼された白洲は 締結前夜 吉田茂が演説する内容を
 
チェックしたところ すべてが英文で書かれていて GHQ主導の 単なる作文でしかなかった 
 
烈火の如く怒った白洲は すべて破棄させ 一夜にして 新しい演説を創っている 
 
それは奉書に 筆で書かれた美しい日本文で 実に30メートルに及んだと言う 
 
戦争に負けたとは言え 同等の資格でいるべきだと言う白洲一流の信念の面目躍如たる面であったろう
 
 そんな気骨を見せながら 白洲は懸命であった 新憲法ではGHQに押され 結局敗退したのだが 
 
第二次吉田内閣が出来 白洲は 再び新しい目標を設定し直した 
 
当時GHQ主導の完全統制経済であることに目をつけ 闇商売横行する現状では統制は効かないと指弾し 
 
日本の国力をアップする根本的方法を模索するようにしたいと申し出た 
 
統制経済の指導をするGHQに アメリカの利権が大きく絡んでいたことは言うまでもない 
 
優秀な商品力を身につけ 国際競争力を我がモノとし 資源のない国でも 世界に冠たる日本でありたいと
 
 それまであった商工省は 酷い贈収賄の温床で 明治以来の積年のウミ(省益 官僚主義)があった 
 
白洲は あらゆる官僚の猛反対を押し切り 反対者を切り捨てても 新しく省庁を創ろうとした 
 
GHQに猛烈に反対し 日本独自の再生の道を歩みたかった 
 
外務省や 他の省庁から 優秀な人材を集め 遂に通商産業省(通産省)を 
 
昭和24年5月25日に創ってしまった 各省庁の枠を遥かに超え 全般に綱紀粛正を声高に唱え促し 
 
そのお陰で日本人独特の再生への道を 力強く歩み始めることになった 
 
今日の経済発展の礎を創った男と言っても過言ではない 通産省が機能し ようやく一人前になった頃 
 
通産省には残念なるかな 白洲の姿はなかった 何もないところに 必要なモノを創るのが本意であって 
 
本人は到って冷静であったのだろう いい意味での個人主義と 終始一貫した合理主義の塊だったのかも知れない 
 
そんな時 白洲をして 『風の男・白洲次郎』と称されるようになっていた 
 
 
 
 <解き放たれた白洲次郎>
 
 
 戦後の行く末を見定め 白洲は基幹産業を特に重要視した 
 
その為に東北電力の会長として君臨し 電力事業の発展に 大きく寄与している 
 
自らランド・ローバーに乗り 各ダム現場を直接見て回り 徹底したコスト削減をし 
 
経営の健全化に その後の生涯を捧げた 然し清貧であった 鶴川の農家を終の棲家にして 最期の仕事は 
 
軽井沢ゴルフ倶楽部の経営であったが 会員権がなければ どんな有名人でも 一切断った白洲であった 
 
ここでも後顧に愁いを遺すことがないように 筋目を大切にした 
 
筋が通らないのは 悪いことをしているからだと言わんばかりであろう 
 
ただ最期までスポーツカーの愛用は止まず 80歳を過ぎてもポルシェ911に乗っていたようだ 
 
祖父とはちょうどウマが合い 東北電力時代に 度々逢っている 
 
鶴川のご自宅で写した次郎・正子・祖父三人の黄ばんだ古臭い写真は 私の宝物の一つだ 
 
みないい顔をしていた 公の仕事を解き放たれた安堵感が そうした穏やかな顔にしていたのであろうか
 
 又白洲は 「日本に 本当の戦後が訪れるのは 戦争を無駄にせず デモクラシーも新憲法も 
 
日本人独自が作り 民族の誇りを取り戻した時 戦後がやっと終わったと 初めて自己満足出来よう」と申し述べている 
 
ここからが本当の教育が始まるとも それから言えば 白洲の闘いはまだ続いているのだと思う
 
 アメリカには 武器・兵器産業とオイル・マネーと言う闇がある 
 
戦争を常にしていなければならない構造があろう その多くは石油利権と結び付いている 
 
表の民主主義はいいとして 裏の闇の部分まで付き合う必要は全くない 
 
白洲の気概は 今こそ必要なのであろう 日本から発信し ヨーロッパ諸国 或いはアジアの諸国と連携し 
 
戦争を阻止しなければならない それが出来ないパートナーは 真のパートナーであろうか 
 
これは日本が 真に独立をしていないからではなかろうか 
 
不図そんな危惧を抱かざるを得ない 白洲の魂が欲しい いい時期なのである
 
 
 更に白髪のご老体は すらりとした高い身長を生かし 三宅一生のファッション・ショーに出演しているから 
 
満更堅物だけではなかったろう そうして昭和60年白洲次郎は 83歳で他界す 
 
遺書には『葬式無用 戒名不用』と書かれていた 
 
プリンシパル プリンシパルと ことあるごとに言い 筋目を大事にした好漢であった 祖父の教えは正しかった
 
 
 
 
<白洲正子のこと ちらりと>
 
 
 白洲正子のことは 別に改めて書かせて戴きたい 西行・実朝を愛し 能をやり
 
 『韋駄天のお正』と言われるほどの旅をし 骨董を蒐集し 小林秀雄・青山二郎・河上徹太郎・友枝喜久夫
 
・熊谷守一・梅原龍三郎・安田靫彦・秩父宮勢津子妃など 多くの方々との交流は驚愕に値いし 
 
彼女の周りには 常に話題にこと欠かない人物が集まって賑わっていた 
 
多くのエッセイや評伝は 深く鋭い洞察力に充ちていて 私が好きな人物の一人である 
 
困ったことに 私の趣味と極めて似通っていて 気持ちが悪いくらいなのであるが・・・・・ 
 
この夫婦は 私の理想の夫婦像である まぁ 今回は御主人次郎の方に 華を持たせようじゃないか 
 
 
 
 
 
 http://www.buaiso.com/index.html (武相荘ホームページ 是非一度お出掛けを)
                     (参考文献 北康利著『白洲次郎 占領を背負った男』)
 
 尚本文とは直接関係はないが 私のブログの大恩人で 絵描きのm-oliveさんを御紹介したい 彼女はデッサンの基礎など完璧に出来 生徒さんを抱えて教えていらっしゃる 非常に才気に満ちている方だ 巻頭の私の絵は 自己流の勝手主義で 一度も絵を習ったことはない 出来れば 彼女のような方に 一度習いたいものだと思っている 畏敬の念を籠めて 彼女のブログを御紹介しておきたい
 
 m-oliveさんのブログ http://spaces.msn.com/break-mama/ (深呼吸しよ!)
 
 
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