日本一の櫻守と日本一の櫻馬鹿

 

 

                                   移植された御母衣ダムの荘川櫻 樹齢400年以上 アズマヒガン種

 

 

  日本一の櫻守と日本一の櫻馬鹿

 

 

 上記写真は 荘川櫻(しょうかわざくら)と言って 

御母衣湖(みぼろこ=電力用ダム)の湖底に沈む運命にあった巨樹である 

この櫻にまつわる二人の櫻男を御紹介しておきたい

 

     

<日本一の櫻守>

 

 笹部新太郎と言う男が生まれたのは 明治20年 翌年に母親に死なれ 

山羊のミルクで育てられ 虚弱な体質であった 大阪・堂島の大地主の次男で 

頭脳明晰にして 周囲の反対を押し切って 東京大學法学部に入学している 

笹部の先祖は 大江山の鬼退治で有名な源家四天王の一人卜部季武であり 由緒正しき名家であった 

母のない新太郎を 父は相当に可愛がったらしい 学問などやっても仕方がないと言うユニークな教育があって 

笹部は そうした環境の中で育った 父はこう言う 「東大に入るのをやめろと言うのは 

何も学費を惜しくて 言っているのではない 学校を出た為に月給取りになり 

何時の間にか 卑怯な男になってしまうのではないか 立身出世もいいが 

心あらざることをしたり言ったりする それでは何の為の学問か 

2+3=5と信じながら まさに5だと言い切れぬでは 立身出世もないではないか 

そう長くもない人の一生だ せめて5だと言い切れる生き方をせよ 

自らの言いたいことを言えないのは 月給取りに根差しているからだ 

大學に行くのはいいが 月給取りだけはやめてくれ その代わり月給に代わる何がしかは残しておく 

そして白と信じることがあったら 誰に対しても白と言い切れ これは何にしても愉快なことだ 

頑なな意見として聞かないでくれ これが2歳やそこらで 

母に死なれ母の顔もろくに知らないお前への親のせめてもの慈悲だ」と 

この父の教えが その後の笹部新太郎の生涯を大きく左右することになる 

なるほど父の言う通り 学生はみな前の席を争うように取り 

そこからして立身出世の方策として 当時の笹部の目に映った学問であった

それから笹部は 中学時代から始めた写真にのめり込んで行く 

高等学校 大学と写真の趣味が昂じて いつしか櫻の研究もして行くことになったが 

写真はその武器として 最も有効であった 当時写真と言う高価な器具を惜しげもなく買って貰えたのは 

笹部家の桁外れの財力がなしたものであろう そうして東大を卒業して 一時政治家の秘書になるのだが 

政治の世界にも馬鹿馬鹿しく 何になるではなく 一直線に櫻の研究に勤しむことになるのだった

 

 厳父が死に 放蕩をした長兄が亡くなると 笹部は自家所有の土地 武田尾に実験林を作り 

京都・日向町に『櫻苗圃』を造って 研究から実践に移って行った 

依頼されれば 何処へでも出掛けて 講演をして廻り 熱く現状の打破を説くのだった

 

 笹部の櫻に対する考え方はこうだ

 ① 古代より日本文芸・伝統芸能に表れたる櫻は山櫻のことであり 昨今氾濫している染井吉野では断じてないのである      が 古歌の味わいにも 染井のイメージを重ねるしかないような現状はまことに愁うるべき

 ② 学者は顕微鏡の視野でしかなく 造園業者は金でしか判断出来ない

 ③ 役所 役人はその場限りの事勿れ主義で長期的な展望を持たない 植樹まではしても日常的な管理などアフターフォローには意見も予算もない

 

 30歳を過ぎた頃 笹部は 櫻のことなら 笹部に聞けと言うくらいの男になっていた 

40歳を過ぎると 徐々にその成果が現れ そうして実現した数多くの所産がある 

大阪造幣局通り抜けの管理・育成指導 江若鉄道近江舞子の千本櫻の植樹 

奈良公園『三社の森』の管理植樹 高槻「金龍寺」の櫻植樹 三重県湯ノ山温泉の櫻植樹 

奈良県橿原街道沿い15キロの山櫻植樹 吉野山の櫻の管理指導 

信貴山麓に苗圃の造園 神代植物園の造園と櫻の植樹 高尾のさくらの保存樹林 など枚挙にイトマがない

 

 根が付きやすく 直ぐ花が咲く染井吉野に 人心の圧倒的な支持があって 造園業者はその恩恵に浴していたが 

一方自分の土地に 山櫻の苗40種50000本を常に確保していた笹部は 

無料でボンボン差し上げてしまうものだから 商売の敵とされ 様々な邪魔や迫害にもあった 

それでも笹部はやめなかった 

今日全国に広がる染井吉野の名所の60%~80%は近々消滅の危機に晒されているが 

笹部はこの時から既に予言していたことになる 

研究者であるばかりでなく 自らの手を土くれにつけて 実践した文字通りの櫻守であった

 

 戦争が逼迫して来る 苗圃園で働く者達が戦場に散って行く 

結局多くの使用人は戦場から帰って来ることがなかった 京都御所までが芋畑になった時代である 

笹部はやがて活動に窮することになる そして戦後自身の土地を手放す羽目に陥り 

戦後はアドヴァイザー的な櫻守として生きざるを得なかった

 

 そして関西の財界の重鎮であった高碕達之助から 一本の電話が入って来た 

湖水に沈む樹齢400年の櫻の老樹を救ってくれと言うものだった 

一瞬躊躇した笹部だが 嘗てからの知り合いである高碕からの依頼である 断れる筈もなかった 

最も困難な荘川櫻の移植プロジェクトが こうして始まったのである 

6年にも渡ってダム建設の争議があった 長い期間に及ぶ争議の論点は 

樹齢400年になる荘川櫻があったから 反対されていたのだ 

櫻に対する愛着が地元には根強く 最後はこの巨樹の移植がダム活けいれの条件とされた 

笹部の苦闘が始まった 老樹になると 果たして根付くか それが最も懸念されたことであった 

巨大な根っこのカヴァー そうして巨大な車両に依る移動等々 何とかしてこれが見事に成功する 

櫻守としての名声は嫌が上にも盛り上がり 笹部の人生のハイライトにもなったのである 

昭和38年のことである この名声は 賽の河原の石積みのような櫻守に対して 

「櫻の神様」から頂戴したささやかなご褒美に過ぎなかったのではないだろうか

 笹部は 水上勉の小説『櫻守』のモデルにもなっている 又笹部自身の『櫻男行状』と言う自著がある

 ところで水底の村になった村民達も又 

再び咲いた荘川櫻のもとに三々五々参集し 涙し勝利したと言うものであろう

 

 

<日本一の櫻馬鹿>

 

 佐藤良二と言う美濃白鳥に住んでいたJRバスの車掌は 荘川櫻の移植工事をつぶさに観ていた 

すっかり感動した佐藤良二は 小説『櫻守』の主人公弥吉に憧れ 自分もそうなりたいと思うようになった 

名古屋~金沢を結ぶ日本一長いバス路線の車掌をやっていた佐藤良二は 

その名金線270キロの長きに及ぶ路線を櫻で埋め尽くしたいと考えたのだ 

それから休日はもとより 乗車勤務が終ると 自分で育てた苗木を コツコツと植え初めて行く 

寒さに強い苗木作りを 憧れの笹部に直接逢って 伝授して貰っていた 

いつしか一人で1800本の植樹を終えた頃 皮肉なもので癌に侵されてしまう 

その闘病生活をしながら そして家族の反対もありながら 佐藤は植樹をやめなかった 

昭和51年 享年47歳 12年間で 2000本の櫻を植樹した男は逝ってしまった 

このお話は 映画『さくら』にもなっているので ご承知の方も多かろう 

佐藤良二は類稀にして純粋無垢な男である 

又櫻が咲き 奥さんとお嬢さんが 満開の櫻の樹の下で 

「櫻になってお父さん 帰って来たよ」と言う映画の最後のセリフは忘れられない 

筆者は愛情いっぱい籠めて 佐藤良二を 『日本一の櫻馬鹿』と称した次第である

 

 更に佐藤は 荘川櫻の実生の櫻を 方々に残している 

アズマヒガンの荘川櫻の芽は 2リットルの種に対して 僅か3本の苗しか発芽しない 

その3本の苗も順調に育つとは限らないので どんな苦労があったか 想像出来て余りある 

今はその子樹達が マラソンの出発点と到着点になっているが・・・・・

 

 それから佐藤良二の遺志を継いで 同僚達が奮闘努力し 植え続けて行くのだが 

今では 既に無くなってしまった名金路線上に 官の仕事として30万本植えようと運動が受け継がれ 

55キロのマラソニックや270キロのさくら道・ウルトラマラソン大会へと発展して行った

 

 かく言う私も 馬鹿と言われるくらいになりたいものだと常々思いを巡らせている 

身体を一刻も早く治し 早く実践の側に立ちたいものである 

今回のお話の中で すべてには当てはまらないが 笹部の父親の言った言葉が酷く重かった 

父親の復権と言う意味で 大切なことであろう 

佐藤良二さんの櫻日記も 今回は書かなかったが 充分涙出来るものがあろう

 

 

 http://www.jpower.co.jp/sakura/index.html (荘川櫻紹介ホームページ)

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