櫻のもとへ祖母が逝く

 

 

                                 貴女が大好きだった三春の瀧櫻だよ

 

 

 

母の母 満開の櫻の日に 逝く

 

享年90歳 静かでしたが 貴女は強い人でした

 

 

 

櫻のもとへ 29日 祖母が逝きました

母が亡くなってから 母の母は逆縁になりました

日頃から大人しかったお婆ちゃん

 

娘が死んでから 一層無口になり

私が季節ごとに運ぶ花しか 微笑まなくなっていました

余程淋しかったのでしょうね お婆ちゃん

 

関東大震災 2;26事件 満州事変 太平洋戦争

赤貧洗うが如き 激動の中を 私の母を育てながら 必死に生き

三人の子供を育てましたが すべて逆縁で 私の母が最後に残った三女でした

 

お爺ちゃんは 南方の戦場から 眼鏡一つだけ遺品として帰って来ました

何でもいいから 帰って来た分だけいいのよと言い

靖国に葬られるのを頑なに拒否 遺品を近くに置いて 抱いて頑張ったものです

 

私が 『ワシントンD.C.櫻物語』を アップした後 間もなく 貴女は逝きました

そして 29日に御通夜 続いて今日30日に葬儀 そんな段取り 誰が決めたのか

そう訝しく思っていたら 祖母が日ごろから きつく言い伝えていたようです

 

あっと言う速さで ことは進み 気付かぬうちに すべてが片付いてしまいました

 

辛酸を 舐め尽くした後 最も可愛がった私の母の急死 辛かったことでしょう

 

何もいいことなかったね と 私が ぽつりと呟いた時

首を横に強く振って ううん いいことだらけだったよと

 

貴女は強い人でしたね そして誰にも迷惑掛けたくないって言う口癖

戦後再婚することもせず 学校給食のおばさんまでなって頑張りました

愚痴一つ言わなかった心棒の強い人でした

 

私の父は 貴女を見て 母を嫁に決めたと言っていましたが

その父だって お婆ちゃんより 先に逝った親不孝でしたね

母だって 何も告げずに 密かに 逝ったんですもの

 

5年前 お婆ちゃんを連れて 三春の瀧櫻を観に行きましたね

貴女は それはそれは歓んでくれて いつ死んでもいいと 手を合わせていました

三春の瀧櫻は こっちよりずっと遅いから 今日は写真で我慢して下さいな

 

みんなみんなで あっちで 仲良くして下さい

蓮の花が咲く天国に きっとみんないると思う

おまけに 満開の櫻の花をお土産に 逝ってくれたんだもんね

 

有難う お婆ちゃん

有難う お婆ちゃん

 

みんなによろしくね そして安らかに 眠って下さいね!

 

 

 

                                      櫻灯路

 

 

 

 

 

  <若干のご挨拶>

 個人的な祖母のことで済みません お許し下さい 普段カキコなさらない方々の 多くの皆さま方へ 多大なご心配をお掛け致しましたことを この場をお借りして 深く御礼を申し上げます 祖母は いつも気丈に振る舞い 死因は心不全でしたが 自分の死後の後始末まで 自分でして逝きました 当社の特別介護老人ホームで 大勢の職員達に囲まれて 最期は楽しく過ごしていたようです ただ 時間が経つにつれ 祖母へ愛惜の念が ふつふつと湧いて来ます 哀しみでいっぱいです 皆さま方には 心より御礼申し上げます

 

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