櫻守の夢一夜

 

 

                                                          江戸彼岸系八重の枝垂れ櫻

 

櫻守の夢一夜

 

 

 櫻の時期が近づいて 愈々しづこころなき 我が身である

花は未だ咲いていないが そろそろ書いても赦される時期であろう

櫻は儚いものだと思われ その象徴のように言われるが トンでもないのである

確かに僅か一週間か十日のうちに 花びらはなくなってしまうものの 

それは櫻の全部を観ていることには全く当たらない

櫻の名木と言われる樹を観たことがある人は 決してそうは言わないだろう

大地の根を下ろし しっかと生きているではないか どうしてこれが儚いのかと しかも千年も

山梨にある『神代櫻』は 樹齢千八百年で 根回りは大人十人でやっと一周である 

根尾の『淡墨櫻』だってそうだ 根回りは最低六人は必要であろう

つまり五百年 千年と生きる櫻がザラにあって 全国には多いと言うことだ 

 

http://www5.plala.or.jp/zensyou/new_page_98.htm (あなたのお近くの名木 一度是非)

 

 あなたの人生の方が遥かに儚いですよ 櫻は笑っているかも知れない

櫻の本来は生命力である 樹に耳を当てて御覧!地下水脈を汲み上げる音がするよ

記紀万葉や王朝の息吹さえするでしょと 問い掛けて来るかも知れない

万葉人は 櫻をこよなく愛し崇敬していた 

種蒔き櫻と言って 言わば農業の目安になったように 神域の花であるかのようだ

『源氏物語』第八帖「花宴」咲き満ちた左近の櫻を 王朝の繁栄を鮮やかに映し出している

やがて日も傾く頃光源氏は櫻の枝を挿し 花を愛でる舞楽を緩やかに舞っているではないか

 そのずっと後 左中将藤原定家は 左近の櫻の花影にいて

 

                                                   春をへて みゆきになるる 花の翳

                             ふりゆく身をも あはれとや思ふ (『新古今和歌集』巻十六「雑歌)

 

記紀万葉から王朝時代 古今・新古今と流れて来て 

西行によって櫻の歌は大成するのである

 

 風越しの 峯のつゞきに 咲く花は いつ盛とも なくや散りけん

 

 年をへて おなじ梢に 匂へども 花こそ人に あかれざりけれ

 

 眺むるに 花の名立の 身にならずば このさとにてや 春を暮らさん

 

 木のもとの 花に今宵は 埋もれて あかぬ梢を おもひあかさん

 

 風さそふ 花の行方は 知らねども 惜しむ心は 身にとまりけり

 

 春風の 花を散らすと 見る夢は さめても胸の さわぐなりけり

 

(いずれの歌も西行の『山家集』より)

 

そうして西行は櫻の歌人となり 生涯を櫻の吟詠にささげたと言っていいくらいだ

 

 

願はくは 花のもとにて 春死なむ その如月の望月のころ

 

と最期の歌を詠み 河内の弘川寺で その歌の希望通り如月(きさらぎ=2月 新暦では3月)

つまりお釈迦さま入滅の頃に亡くなっている 羨ましい限りの御最期であった

 

    山櫻

 

 櫻馬鹿と言ってもいい水戸光圀公のことや本居宣長のことも おいおい書いて行くが

散ることは 確かに儚い ただ営々と続く櫻の系譜とその歴史の生命体のただ中に

言わば大日如来様のもとに逝くように 自然体で吸い込まれ それぞれに自然に帰るのである

櫻を儚いとか 潔くとか言って ある程度固定観念化させたのは 旧日本軍の国体護持の

一心から よく取り上げられた良寛和尚の 『散る櫻 残る櫻も 散る櫻』 であったろう

良寛和尚は 潔く国家の為に死ねと教えたか どんなに哀しんでおられたか相違ない

 

 

 

 これからしばらくの間 櫻を書いて行きたい 目指す櫻山の途中経過報告 櫻の歴史 櫻の種類 

櫻にまつわる逸話 文学上の櫻 民俗学上の櫻 櫻に関する料理と小物 

海外の櫻 これからの櫻など 多方面に渡って書かせて戴きたいのである 

さてどのように進んで行くかは 筆任せにしてある

 

 それと櫻の関する本は多いが この本だけは是非読んで戴きたい本がある 

京都・嵯峨野に住まいする植木屋『植藤』の主・佐野籐右衛門氏が書いた『桜のいのち 庭のこころ』(草思社刊) 

彼は全国で ただ一人の櫻守である 家業を継いでから16代目 櫻守を継いでから3代目になる 

生きた櫻保全の実践者として 深い愛情と高い技術がある 彼から口述筆記されていて 

なかなか読み易い 読み応えもあるのである

 佐野籐右衛門著『桜のいのち 庭のこころ』(草思社刊)

 

  

  Miyokoさんのご実家にある八重櫻 名を『一葉』と言う 花の真ん中に葉が一枚

 

 

 

    <一夜の夢>

 

 嵯峨野の竹林の奥に 痛んだ倒木がどかっと置いてあった 一人の櫻守がどうしようか 

考えに考えた末 その倒木に櫻の苗を千本の接木して看ることにした 最後の一本をようやく接ぎ終わると 

何と見る見るうちに 樹は立ち上がり 古いコートを脱ぎ捨てるようにしながら 

あっと言う間に 綺麗な櫻の横縞が入った大樹になっていった 

それから数日後の春の宵 その樹に 櫻の花が見事に咲き始めた 

櫻守はいとおしくて堪らない 明けても暮れてもその櫻が大好きになっていた 

それから何年かした後 櫻の樹は櫻守に言った

 「お陰さまで 一人前に櫻の樹になることが出来て こんな嬉しいことはない 有難う!

その代わり 明日の台風で倒れたら 幹半ばのいい部分を切り取っておくれ!」 

櫻守は 突然の別れに絶句してモタモタしていると

 「あなたもいい年をしておいでだ あなたが 私より先に天国へ召されると 私はあなたの最期の夢を

永久に叶えることが出来なくなって来るんです だから先に逝かせて下さい そして私の言うことを聞いて下さい」 

大風が来て 翌朝櫻の樹は 根元から恐ろしい形状で倒れていた 

櫻守は泣きながら 言いなりに 大木の中ほどを切ると 空中の天然のノミが動き出し

 ほとんど時間をおかずに 観世音菩薩様のお姿に仕上がっていた 優しく微笑んだ御仏様が現れた 

大歓びをした櫻守は 家の中に運び込み 開眼供養して 大切にお守りして行った 

その翌年老いた櫻守は 櫻の命日に眠るように亡くなった だがお陰で 櫻守の家は 代々に渡って栄えたと言う

 

 

    <お断り>

 

(このお話はフィクションです 佐野家には立派な彫塑の櫻の一木造りで出来た観世音菩薩様がいらっしゃいます 

人の身長よりやや高く 微笑んでいるのです 普段は里山の御寺に置いてあるのですが

 櫻の時期だけ 御寺から 佐野家に運ばれて来ます 

何世代も同居する佐野家では 最も重要な観世音菩薩様のお祭りになっているようです 

明治五年初代円山公園の枝垂れ櫻が植えられ 

昭和に入ってから その樹が倒れ 二代目として 普段から育成していた現在の枝垂れ櫻を 

速やかに移植したものでした 今でも 全盛期の美空ひばりを彷彿とさせるような見事な樹勢で 

私達を楽しませてくれています 

現在佐野家のお屋敷内には 三代目の枝垂れ櫻が既に大きくなっています 

本体に何があっても直ぐ対応しようと言うものです 

櫻の時期 それなどを観に 佐野家に行かれたら 如何でしょうか 

広沢の池に程近い藁葺き屋根の佐野家は直ぐ分かります 

黄櫻の櫻茶など珍しいものを 奥様が作って直売しています 

観世音菩薩様に対しは ついそんなお話を作ってしまったのです 

言え言え 実は私の本当にあった夢でした 藤右衛門さん御免なさい)

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