京都のお茶屋さんで

 

 
 
 
 
  
京都のお茶屋さんで
 
 
 
 父は 厳しい人で通して 50代半ばで亡くなった
 
私はその父から ほとんど受け継いでいるような気がする 
 
ビルをどんどん建てて 商人と言うより建築屋みたいなところがあった 当社ビルには父の心血が注がれている 
 
曽祖父と祖父が土台作りをして 父がハード面担当で 私はソフト面で 現在の会社を完成させたと言ってもいい 
 
僅かな趣味は 能を華麗に舞うこと 書誌学や史学の勉強をすることであった そんな父は
 
僅かに自分を楽にさせる部分があるとすれば 芸事が好きだった所為で 
 
近松門左衛門モノの浄瑠璃や京都・祇園甲部で お茶屋遊びをする時くらいなものだった 
 
先代井上八千代の芸を特に愛した 井上先生とは面識はなかったが 独創的な武原はんさんも愛してやまなかった
 
祇園甲部の芸者衆さんは すべて井上八千代の門下生である 
 
シャイだった父は 母に遠慮してなかなか行けない そこで私が幼少時分から付き合わされた 
 
王道の教育とか 母によくそんな言い訳話をしていたのを憶えている
 
 
 
 父から連れられて 私が最初にお座敷に行ったのは 小学校三年生の夏のことだった 
 
鱧が美味しいって 初めて知った日だったから よく憶えている 
 
父の遊び方は颯爽として 如何にも格好よく見えた 口癖に ここはオトコを磨く場所だよと言って聞かせてくれた 
 
オンナの色香を 舞にしか求めなかったぐらい徹底していた 
 
普段ほとんど遊ばない父は ここでは大いに気を赦して遊んだようだ
 
 
 
 お茶屋では料理はしない 料理はすべて仕出屋さんから取る 
 
芸子さんはすべて置屋と呼ばれる家にいて お茶屋は料理を食べながら お酒を飲み 
 
置屋から芸子はんを呼んで遊ぶ場所である そしてここが一見さんは一切入れない 
 
何故かと言うと金銭のことがあるかも知れない 現金で払うことはない 
 
旅行の総合商社みたいな部分があって 
 
万一そこからクラブなどに流れる場合 クラブでも勘定を一切払うことはない 
 
タクシーもJRのチケットさえ 払ったことがない 従って身元がしっかり分かっていないと困るわけである 
 
紹介者が保証人のようなモノであり 私が学生時代に 全くの文無しで 馴染みのお茶屋に入って
 
楽しんだことがあったが 父にちゃんと事後報告さえすれば それでよかった 
 
京都の夜は如何にも楽しかったのである 
 
無論請求書は後で発送されて来るのだが・・・・・・・ 紹介して欲しいと 随分言われた 
 
だがなかなかご紹介したい御仁がいないのも事実である
 
 
 
 祇園の女性の生活は結構大変である 朝五時には起きて 食事をしたり お掃除をしたりで 
 
朝の用件は酷く多い そして歌舞練場に稽古に行く 確か八時には置屋を出て行っていたと想う 
 
午後三時過ぎに お稽古から帰って来ると 今度は夕方から お座敷に出る段取りが始まる 
 
白粉を首から塗って仕上げて行く 舞妓はんは ダラリの帯を締めるが 芸子はんは鬘や帯も普通にきちんと着る 
 
男衆(おとこし)さんから 帯を締めて貰って完成である 
 
未だ一年未満の舞妓はんは 下唇にだけちょっとだけ紅をさす 
 
言わば若葉マークのようなものである 舞妓はんと芸子はんの違いは 
 
水揚げ(現在では襟換えと言う)をしているかどうかの違いである 
 
カシは高額で 舞妓はんの貞操をお金での遣り取りがあったらしいが 今はそんな遣り取りは全くない 
 
現在ほとんどがカタチだけの仕来りが残っている 父も襟換えをしてあげた 
 
無論芸子になる子の着物やなんやかんやを揃えるのに 或る程度の資金を協力する 
 
父が襟換えをした子は 特に芸が上手だった 現在彼女は芸子もあがって 地方(じかた)さんを通し 
 
お座敷では三味を弾いているが 踊りを徹底してやりたいと言うことで 芸子を辞めた 
 
多分今後武原はんさんのような生き方をするのだろう
 
 
 
 座敷では色んな話題に花が咲く コツは色々ある 最近岩崎峰子さんが 芸子を上がって 
 
或る画家さんと結婚してから 祇園のことを書いたが 彼女のおっしゃることは 至極尤もなことばかりである 
 
父の遊び方では 人の悪口など厳禁だ 話題が豊富で 洒落ていて 軽妙なのがいい 
 
要するにさっぱりしていることだ はったりや法螺も厳禁だ それと謙虚であるべきだ 
 
どこに父がこんな面を持っていたのか お座敷で初めて観ることが多く 驚くことが多かった 
 
ついてくれた女性に感謝することも大切だ コツとはみな同時に楽しく腹蔵なく遊べることなのだった 
 
後味をよくして遊びたいとよく言っていた どんな子にも礼を尽くす 
 
ホントかウソか 近松門左衛門が言う『虚実皮膜論』のような ギリギリのところで留めておく そこが可笑しい 
 
一度母を連れて行って みんなで遊んだが 芸子はん達は先刻ご承知の上とばかり 
 
母をどんなか楽しくさせてくれたであろう 父は母に「遊びは真剣にやるよ」と言っていた 
 
それに対して母は「はいはい・・・・」とにこやかに頷くだけであった
 
 
 
  香り立つ至芸 時には即興の踊り 太鼓の音 音締めのいい三味の音 はんなりした雰囲気 
 
ご挨拶して入って来た時の動悸 適度なお遊び 一品ずつ運ばれて来る料理 品のいい香り高いお酒 
 
酔うほどに明るくなって行くお座敷 ほんのりと射して来る色香 芸子はんのうなじ 
 
舞妓はんの千社札のような名詞 座持ちの良さ 話の弾み 窓から見える櫻花 お香への聞き耳 
 
線香代と呼ばれる由縁の香一本 お香立て 煌びやかな和服 帯の素敵さ 半襟の拵え 京言葉 
 
女将の盛り上げ すべてが遊びと眞向かい 軸物の選定 おちょこの遣り取り 思い遣り 
 
気遣い 見送りの賑わい どれを取っても 祇園は超一級であり 
 
銀座広しと言えども そこまでのホステスは先ずいまい 
 
 
 
 岩崎峰子著『祇園の教訓』に出ていることを因みに書かせて頂きます
 
 
                      <置屋の教訓>
 
                      ① 何があっても にこにこしている
 
                      ② 腰を低くする(謙虚であること)
 
                      ③ 人に尽くすこと
 
                      ④ 堂々としていること
 
                      ⑤ ウソをついてはいけないこと などなど
 
 
                      <出来るオトコに絡んでのお話>
 
                      ① 15分で 人の気持ちをほぐせること
 
                      ② 3年前に出た話題も忘れないこと
 
                      ③ 男の花には早咲きと遅咲きがあること
 
                      ④ 靴を見ると その人の生活がすべて見えること
 
                      ⑤ 一流の男性ほど 子供の教育には手を抜かないこと
 
                      ⑥ お付き合いする女性で その男性の評判は決定すること などなど
 
 
 
 どうですか 興味ありませんか こうした花柳界には 実社会を凌ぐようなことが満載されていて 
 
実社会の真実の縮図とでも言うのでしょうか 父が言う意味と意図は あんな小さい頃から通っていても 
 
実際に理解が出来るようになったのは 三十歳も過ぎた頃からでしょう 
 
ロと色香の違いを嫌と言うほど知らされたのである 地方の温泉場ではいざ知らず 
 
ここではエロは完全に無縁で 色香があるのみだ
 
 
 
 時々海外から来た友人や仕事仲間をお連れするのだが 仕事やお付き合いが
 
きっちり出来る人はやはりここでもきっちりとしている この人はどうかなぁと判別するには 
 
ここに連れて来るのが一番手っ取り早い 駄目な者はやはりここでも駄目で 信頼関係は結べないのである
 
要するに 幾ら遊びとは言え 信頼関係が大事なのであって 現実の人間関係も然りであろう
 
 
 
 京都には この祇園甲部の他 先斗町と上七軒と島原町と宮川町と 五箇所の花街があり 
 
上七軒が北野天満宮の傍にあって 最も古い花街である そしてそれぞれに歌舞練場があって 
 
それぞれで発表会がある 特に祇園甲部の発表会は 都踊りと称され 
 
芸子さん達の「よ~~いやさぁ」の掛け声で開幕する一大イベントになっている 
 
毎年4月1日~30日まで 櫻とともに 京の街を賑わせてくれている
 
 
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