厳冬に 香りたつ

 

 

厳冬に 香りたつ

 

 

 
 厳冬の中で 健気に咲く日本水仙 場所は越前岬 だがこの大雪で 幾ら待っても 一輪の水仙も届いてくれていない 
 
咲き始めると 大雪が降り そして又降り その繰り返しで 今年は 咲いてもいい時期になっても ほとんど咲いてくれない
 
水仙広場にあるドームの中だけは開花しているが 路地物の水仙以外まったく興趣が湧かない 
 
思わずこの冬の裏日本の厳しさが身について離れない 
 
越前の人よ 花が咲くまで じっと私達も待っていよう 
 
あの香り高い越前水仙の花に逢うまでは
 
 
 
 越前岬は断崖絶壁である 水仙の花々が咲く環境はそんな場所である 
 
幸いにも大雪は積もらない 日本海からの横殴りの風や吹雪が通り過ぎて行くだけだ 
 
その冷たい風を掻い潜って 水仙の花達は毎年こんな時期に咲いてくれる
 
 
 
 日本三大水仙の里である淡路島と爪木崎とここの越前岬 花にとってダントツに厳しいのは 
 
この越前岬であるのは言うまでもなかろう 背は低い 一茎多花の越前の日本水仙は 香りは天下一品である 
 
僅か一本でも部屋にあろうと言うものなら 部屋中が 清々しい香りで満ちて来て 幸福感でいっぱいになる 
 
荒々しい日本海の荒波の 直ぐ傍に あの越前の断崖があり 棚田があり そんな狭く偏狭で過酷な土地に 
 
人々は営々として水仙を植え続けて来た 何故こんな場所を敢えて選ぶかのように 植えて来たのだろうか 
 
 
 
 それには一つの伝説が伝わっている 平安末期木曾義仲が挙兵し 都に攻め上る際 
 
この近く伊倉浦の長者・山本五郎佐衛門は 一族・郎党を引き連れて 義仲どのに参戦した 
 
次男の次郎太だけが留守居を預かった 或る日次郎太は 越前海岸で溺れていた美しい娘を助けた 
 
余りの美しさ故に 恋をし愛し合うようになって行く 都での合戦が終わり 敗走して来た一族の中に 
 
父は死に 兄一郎太は片足がなく やっとの思いで半数以下の者達が辿り着いた 
 
娘は兄に対しても優しく介抱してあげ 何時しか兄も彼女を好きになっていった 
 
そこで二人の仲は険悪になり 互いに罵りあうことになる そして決闘の日 
 
越前海岸で二人は血みどろの争いをすることになる それを見た娘は 余りの哀しさに海に身を投げ 
 
自ら命を断ってしまう 茫然自失の二人 ようやく二人は争いに終止符を打ち 
 
仲違いの終焉が来た翌春のことである 海岸に美しい水仙の花が流れ着いたのだ 
 
二人は正しく娘の化身なのではないかと そうしてその水仙の花を大切に大切に育てたと言うのである 
 
だが飽くまでも伝説の域を出ないだろう
 
 
 
 ギリシャ神話にも水仙の花が出て来る 誰からも愛された美少年ナルキッソスは 
 
非常に美しく 誰をもひきつけずにいられなかった 然し彼はどんな誘惑にも負けることがなかった 
 
取り分けニンフのエコーは彼を求め続け 愛したのだったが ナルキッソスのプライドがそうさせなかった 
 
報われない恋に やせ細るエコーは ついに声だけになってしまう やがて復讐の女神ネメンスによって 
 
ナルキッソスは 池に写った自分の姿に恋をしてしまう でもやがてそれは自分の姿であって 
 
報われないモノだと知ると 自ら池に投身自殺をしてしまう そうして彼の遺体の代わりに 
 
一論の水仙の花が残ったと言うものである ナルキッソスは水仙の学名であり 
 
ナルシスト(自己愛の強い人)の語源にもなっている
 
 
 
 ローマ神話では 或る晩 ペルセフォーネがこの白い花の水仙をつけて休んでいると 
 
プルートに誘われて 黄泉の国に行って黄色い水仙の花にしてもらったとある 
 
ウェールズでは国花になっていて イギリスでは四月第一日曜日をラッパズイセンの別名ダフォディルから ダ
 
フォディル・サンディーと呼んでいる 復活祭の花でもあるようだ
 
 
 
 どの伝説にも水辺と関係がありそうである キーツやワーズワースなどの詩人にも好んで詠まれ 
 
シェイクスピアの『冬物語』ではラッパズイセンを見事に活躍させている 
 
樋口一葉の『たけくらべ』ではラストシーンに登場する 
 
岡部伊都子は淡路島の白水仙をエッセーにし 
 
三好達治は越前岬の水仙を詩に歌っている
 
 
        かかる境にさく花を
 
     ああこの花を
 
     誰かは摘ます
 
      断崖の貧しさに
 
       黄なる蕊匂う水仙
 
               (三好達治 詩)
 
 
 阪神淡路大震災の時 我々東京の会社ながら 多くのボランティアをさせて戴いた 
 
何体かの御遺体を運んだり 瓦礫を片付けたり 樹木を切ったり 泣きながらよくやった 
 
毎日が悲嘆の連続であった あまりの惨状に 普段東京にいる我々は 明日は我が身と 
 
どんなに思ったか知れやしない そんな時越前出身の会社の若い人が 
 
一時現場を離れることを告げて しばらく見えなかった どこに行ったんだろうと思っていると 
 
何日かしてようやく彼が現れ 届いたのが 越前岬に咲く水仙の花だった 
 
2トントラックいっぱいに重ねて積んであった 淡路島はこんなにも近いのに 
 
震源地で それどころではなく 何も出来なかったからだ 残酷な震災で 途方に暮れている方々に 
 
元気を出して下さいと 一本ずつ泣きながら 人から人の手を握り緊め 彼と配って歩いた 
 
あれから当家には 毎年震災の記念日に 越前岬の水仙の花が一箱百本届く 
 
今年はこの大寒波の影響でやや遅くなっていると言う 
 
来たら 早速水仙の花を 仏間いっぱいに飾って 
 
多くの不慮の死を遂げた尊い御霊に対し回向してあげたいものだ
 
 
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