風化した正月

                                           正月の水引き細工の紐
 
 
 正月の『正』には 年の初めと言う意味があります 寒い時期に ぐっと身が引き締まる時 新しく物事が始まると言う正月の概念が出来たものとされていますが そこには年の神への畏敬の念も籠められていたと容易に考えられます 我が国では 年の神は 正月さまと呼ばれています 正月さまとは一年を意味するトシの神であり トシの神とは米作りの神のことでした 元来農耕民族であった日本人の祖先は 豊作への願望が トシの神の実在を信じさせたものでしょう
 
 正月に門松を立てるのは トシの神が寄り付き易い常緑の松であって 神さまは松の依り代(ヨリシロ)と言う目標物に降臨して来ます 依り代に憑いたトシの神を みんなでお迎えしてお祝いをする意味があったようです 何も門前だけではなく 床の間や庭先でも 地方によってはなされていていいのでしょう 依り代は 小高い丘に本来は立てたものだったかも知れません その依り代は常緑の木とされていて 松だけではなく サカキでもよくシキミもよかったろうと考えられています そうしてトシの神さまがやって来て その年の豊年万作を保証してくれる するとその年を生きて行く大きな目安になったろうと思われています
 
 
    <悪魔祓い>
 
 一方新年を迎える為に 注連縄(しめなわ)を張る地方が多くあります 門松は立てなくても 注連縄は大抵どこでも張るのです 注連縄の中 つまり自宅は既に神聖なトシの神がおいでだから 不浄の世界とは隔離された清浄な場所にいると言うことになり 悪魔退散の意味は この注連縄にはあるからであり 注連縄を境に 浄不浄の区切りが そこではっきり区別されているのです 日本神話の最高の神である女神の天照大神(アマテラスオオミノカミ)は 弟の素戔鳴尊(スサノオノミコト)が 乱暴狼藉ばかりやるから 遂に腹を立て 天の岩戸に隠れてしまう  その為に天界は真っ暗になり 困った神々は素戔鳴尊を地上に放擲し 天の岩戸の前で神楽を奏上し舞ったり 賑やかに騒いだりする 何事があったのかと 天照大神がそっと扉を開けたところ 手力男命(タヂカラオノミコト)が 大神の手を取って大神を外に出してしまう すると一変にぱぁっと明るくなったと言う有名な天岩戸神話でありますが その後天岩戸に注連縄を張って ここから先は不浄の場所であると区別したらしいのです それが注連縄の最初であったとか (貝原益軒『貝原好古編録』の拠る) 
 
 更に江戸時代になると シダやユズリ葉や炭などが この注連縄に加わって来ます シダやユズリ葉は 深山にあっても雪や霜にも強く そして炭は炭火を燃やすことによって 悪魔退散を願ったと言う意味です 中国では『荊楚歳時記』のよると 「先ず庭前に爆竹し もっと山臊(さんそう)の悪魔を辟(さ)く」とあります 青竹を燃やして炸裂させ音を立て 悪魔祓いをしたとあって なかなか徹底して行われているようです 国が変わっても 新しい年を迎える為に 強い新鮮な魂を持ったトシの神をお迎えする反面 邪悪なものを排除すると言う 同じ人類共通の願いだったのでしょう
 
 
    <正月に食べるもの>
 
 お正月三が日は 年内に作ったおせち料理を食べ 主食はお雑煮とし 屠蘇酒を飲んで祝うと言うのが 日本人の一般的な習慣になっています このおせちはトシの神に対するお供えであって 家族揃って食べると言うことは 新しい強いパワーを持ったトシの神とともに食べると言う意味である訳です お雑煮も然りです お供え餅を下ろしてから食べると言うのが本来の意味です
 
 お餅の場合は 鏡餅と言って 大小の丸いお餅をトシの神に供え 正月十一日(元は二十日)に鏡開きと言って これを食べる習慣があります 今では鏡餅と雑煮餅は別個になっていますが 元々は同じお供えであった訳で 従って正月三が日は 小豆飯か白飯を食べる古い習慣の家もあります 更に歯固めと言って わざわざ堅くなったお餅を食べ 歯と言う字と齢と言う字に引っ掛けて 長寿を願う風習もあります これもトシの神にお供えしたおこぼれを頂戴すると言う意味でしょう 更にお雑煮は 地方地方によって 著しく違います 丸餅だったり 角餅だったり 白味噌仕立てだったり 醤油がベースであったり 入っている具も様々で面白いものですね それと京都の八坂神社では おけら詣でと言って 一家の主人が神社から 荒縄に火を点けて 廻しながら自宅に持ち帰り そこから点火して 主が雑煮を造ると言う習慣も面白いものですね
 
 屠蘇酒の習慣は中国から伝来したもので 三国時代名医の誉れ高い華佗が調合した薬を入れたお酒を 曹武帝に献上したところから 広がったものと言われています 我が国には嵯峨天皇(809~823年)頃に伝わったと伝えられております その効力は絶大で 一人が飲めば家中の人達が健康でいられ 一家を挙げて飲めば 一里四方の人々も健康でいられると信じられていました 我が国では 数種の漢方薬を調合し屠蘇散を作り 三角の赤い絹袋に入れてお銚子に入れ これに酒を注いでからひたしておく そしてこれを沸騰して出来たのを 屠蘇酒(お屠蘇と呼ぶ)と言って 大中小の重ね杯に注いで飲むのが 本来やられて来たことなのです これは本来トシの神との関係ではなく 「不正の気を辟く」として 病気の入らない身体で トシの神を迎えるとする習慣であったのだろうと思われます
 
 
 
    <トシの神とともに>
 
 トシの神は農耕の神であります 神を迎え 新しい力を頂いて 正月の数日を過ごす この考え方は古代から続いて来たものですが 江戸時代には一層盛んになったと思われます 神社・仏閣への参拝も 元はと言えば トシの神をお迎えする行事の変形で 年賀状などは その最も簡略化されたトシの神のお祝いの一つであろうと考えていいのではないでしょうか
 
 お年玉と現在書かれてありますが 本来はお年魂(同じくおとしだま)でして トシの神さまの何かを和紙に包んで 子供達に渡したモノが 大正時代頃から 中身がお金に変化したものです 例えば秋田のナマハゲもトシの神の一種ですが 着ている藁細工の落とし藁を包んで 子供にあげて 一年を通じて 強い魂を持って頂こうとするものなのです 確かにお金もパワーを持っていますが 即物的で極めて淋しい思いがするのは 私だけでしょうか これらは時代とともに 当然のことのように風化して行く習慣・習俗ですが 少なくてもその意味することぐらいは こんな機会に知って頂ければと念じております
 
 尚お正月にお飾りをした後始末はどうするのでしょうか それは年明けの小正月(十五日頃)の頃に書かせて頂きます そして年明け早々に 小倉百人一首や正月の遊びについて 改めて書かせて頂こうと思っておりますので よろしくお願い申し上げます
 
 
 よく神社で頂いて来る破魔矢がありますね あの破魔矢は 家庭の中のインテリアになるか 酷い時は傘立てに刺さっていたりします 飛んでもありません あの破魔矢こそ 節分過ぎに 最も酷い災厄が一家のご主人さまに来るであろうと言う悪い方角に向けて 天井に貼り付けるものです 災厄と闘うもので 単なる縁起物ではありません 古いお守りや破魔矢やお札など 神社に受け付ける場所がありますから 昨年のお礼を込めてお納めすることも 重要なことです
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