さよなら さよなら さよなら

 
                                                                                                                                      団蔵うどん
 
 
 四国・八十八箇所のお遍路の旅は 徒歩で実に1400キロ歩く 徳島の霊山寺から始まり 最後讃岐の大窪寺で その永い同行二人の旅は ようやく終焉を迎える 最後の大窪寺の直ぐ傍に 八十八(やそば)庵と言うお店があって そこに団蔵ウドンと言うのがある(上記写真) 私も食べたことがあったが 凄く美味しいウドンであった 父が生前櫻が生まれた年に亡くなった団蔵と言う名脇役の人を話してくれた お遍路さんを終えた直後に 何故播磨灘から投身自殺をしなければならなかったか 彼のファンだった父は如何にも悔しそうな顔をしていたのを 子供の頃のことだが よく覚えている 父はその原因が分からなかったらしい そして頻りに悔しがっていた
 
 八代目市川団蔵は 地味な役者で 脇役だけで人間国宝になった方である 私は最近 偶然に 当時の朝日ジャーナルの記事を読むことが出来た そこにどうもそれらしいと言うか ヒントのようなものがあったので ここに記載しようと思う 団蔵が『八代目団蔵舞台生活八十二年引退興行』と銘打った歌舞伎座での引退興行を勤めた後 永年の夢だったお遍路の旅に 五月一日夜半に出た そしてその一ヶ月後坂出港から神戸に向かう汽船の上から 草履をきちんと揃えて 投身自殺を図ったのである 当時誰もがその死の理由を分からなかったと言われ 社会的に衝撃を与えたようである その直前の四月に 朝日ジャーナルには 団蔵との一問一答のインタビュー記事が載っている
 
 「歌舞伎は低下していると思います なんですか 器用になっていますが これで名人は出るのかなと思います 芝居は勢力争いではないのでして 本当の競争は舞台だけでやったものです 礼儀もしぜん保たれます 何か言っても あんな年寄りがと思われて 反感を抱かれるくらいなら 黙っていた方がいい そんな気持ちが私にも御座います 芝居は本来娯楽でして 人さまに見て頂くものです 今の歌舞伎はどうも料金が高過ぎましょう もっと大衆的になって 本当の芝居好きに見てもらいたいのです」
 
 そんな記事をインタビューされていたのを読んだ時 はっと息を飲んだ と言うと あの自殺は 意図的な歌舞伎界への反逆の表現を 身を持ってしたことのか 地味な人で 何も喋らなかった脇役の名人が 最期に 痛烈な批判を顕在化させたのだろうか 否はっきりは当然分からないのであるが 『我死なば 香典受けな 通夜もせず 迷惑かけず さらば地獄へ』と辞世の歌を残して亡くなっている
 
 団蔵が 坂出から乗船する数時間前 大窪寺のその八十八庵で 食べたウドン 「あああ 美味いなぁ こんな美味しいウドン 今まで食べたことがなかったよ」と言って 最期の食事を取ったウドンだった 庵主は その地味な役者の最期を祈念して 団蔵ウドンとして供養を兼ねて出しているそうだ それにしても 四国は暖かい人情で包まれているものである お接待と言い 私も何度も有り難いお茶や食事を頂いたことがあり 人情の機微がどんなに有り難かっただろうか
 
 普段歌舞伎嫌いで通っていた三島由紀夫は 団蔵の死を悼み 珍しく歌舞伎のこと つまりは団蔵だけのことを 雑誌に「団蔵論」を書いている 「団蔵の死は、強烈・壮烈、そしてその死自体が、雷の如き批評である。批評といふ行為は、安全で高飛車なもののやうに世界から思われてゐるが、本当に心を搏つのは、ごく稀ながら、このやうな命を賭した批判である。(中略)歌舞伎の衰退の真因が、歌舞伎俳優の下らない自惚れと、その芸術精神の衰退とマンネリズムとにあることを、団蔵は、誰よりもよく透視してゐた。」(『20世紀』1966年9月号と 大賛辞を送って憚らなかった
 
 この四年後 昭和45年 45歳の三島由紀夫は 市谷・自衛隊本部で 憂国の演説をしてから割腹自殺し 森田必勝が介錯 彼自らも壮烈に自殺を遂げている 三島の死は団蔵の死に触発されたのではないと 如何に言い放っても 憂国の士・三島由紀夫をして 団蔵の投身自殺と無縁ではなかったろう 団蔵の死は それだけに大きな死の意味であったに違いない それでは今の歌舞伎界は これを克服したのであろうか 勘三郎襲名 海老蔵襲名 坂田藤十郎襲名と お目出度い話ばかりが続くが 果たして克服されたように思えないのである
 
 子供心に聞いていたそんな事件に背景に潜む理由を 少しでも明らかにした時 私は父の仏壇に報告をした 父は聞きたくなかったのだろうか 黙っていた それでも献花だけが 幽かに揺れていたのを思い出される まさかそれだけではあるまいと でも父は脇役が大事だ 脇役なくして どんなことも出来るものではないと常々言っていた 団蔵を見る目はどんな目だったのだろう きっと楽しかったに違いない
 
 そして今年も多くの名脇役の物故者がおられる 中でも好きな俳優に ジョン・ミルズがいる 学生時代海外を放浪して歩いていた時 ロンドンの小さな劇場で ノエル・カワードの芝居に出ていた その存在感に圧倒されたものである 大好きな映画監督デイビッド・リーンと 映画を何本か撮っている 中でも『ライアンの娘』に出ていたビッコの馬鹿親爺の役は秀逸であった これでアカデミー賞助演男優賞を獲得したはずだ 見事な性格俳優だった 更に『奇跡の人』のアン・バンクロフトもいる 我が家のフィルム・ギャラリーの中にあって 何度も見た 凄い演技だった それと松村達夫も忘れてはならない 映画では『解夏』が最期だったが 寅さんシリーズでは名優森川信の後を引き継いで 『おいちゃん』役をやった さぞややりにくかったろう でも私は 彼の映画で『まぁだだよ』が一番好きだ 内田百閒役をモノの見事に好演していた 『ミス・サイゴン』で素晴らしい声を聞かせてくれた本田美奈子も早々にいなくなった 根上淳と言う俳優は知らないが 知る人ぞ知る著名な俳優であろう そのご冥福を切に祈りたいものである
 
 暮れになると 多くの物故者を思い出す 当社では私が最も尊敬し そしてお世話になったヤスさんが他界した 悔やんでも悔やみきれるものではない 多くの読者の方々にも それぞれに深い思い出を持たれた方がおいででしょう 思い出してあげることだけでも供養になるそうである こんなことを思い出すのは 暮れの哀しい習性である 哀しみを乗り越え 新しく生き直したいからであろうか 確かに生きているうちだけが 花なのだろう 今日は冬至カボチャか 白醤油と和三盆で味付けしてみよう
 
 
 人の命は短く儚いものであるが 惜別の情は
            永く人の心に とどまってやまない
                         さよならだけが人生だ 
                
 
 そう言えば あの紅白歌合戦で 夏川りみが 四年連続して『涙そうそう』を歌うようである 新記録らしい 彼女の澄んだ歌声は お空の彼方まで届きそうである 又泣くだろうなぁ きっと 今年の泣き納めになるのだろうか
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