謹んでお詫び申し上げます

 

                                                          鎌倉時代の偉大なる禅僧 夢窓疎石図 櫻描く

 

 

 

 

 
   夢窓疎石御尊像のこと
 
 
 
 御尊像は 夢窓疎石と申しまして 鎌倉末期 南北朝時代になるのですが その動乱の最中で大活躍をした禅僧です 伊勢に生まれ 四歳で甲斐に移住し 幼年期から平塩寺の空阿上人に弟子入りします その後比叡に上がって 一旦修行をするのですが 直ぐに下向し 十七歳で東大寺で受戒を受けます その後 後醍醐天皇を初めとし 七代に渡る天皇から勅許で 国師の称号を贈られます 徐々に禅宗との関りを持つようになり 特に臨済宗の高僧として 実力を発揮 そして鎌倉に下向し 諸師になるのです その後建長寺の一寧一山に師事 次いで鎌倉万寿院の仏国国師の門に入り 彼を継承します その後甲斐・美濃・山城・土佐・相模・上総など転々としながら 求道行脚の旅を繰り返します 実に数十年の年月でした 五十歳になった時後醍醐天皇の勅請によって 京都・南禅寺の住職となります 以後北条高時の招きで 鎌倉円覚寺の住職になったりします そして後の武田信玄公所縁の寺である甲斐恵林寺・京都臨川寺・天竜寺の開創となるのです 又元寇の乱の慰霊に際して 足利尊氏・直義に勧励され 和泉の国・久米田寺に利生塔を建て 全国に利生塔と安国寺を建立させました 夢窓疎石(=夢窓国師)は 鎌倉・南北朝。そして足利氏にも すべての敵味方から崇敬を集めた優れた高僧でした 何故このように崇敬を集めるに到ったか 政治と宗教を決然として分別・区別し 宗教の効用を説いて廻ったからです 詰まらない揉め事には 一切交わらないことも大きな要素でした この私のパソコン画は 疎石の鎌倉に残る御像の写しから 再び起こしてみたものです しかも諸国行脚の旅の僧をイメージして 裂帛の気合を入れて描かせて戴きました 今日では鎌倉・瑞泉寺 美濃・永保寺 甲斐・恵林寺 京都・天竜寺 西芳寺(苔寺)などに 自ら作庭したものや国師の息吹が感じられますが すべてが国指定の史跡になっていす 頑固一徹で『石立僧(せきりつそう)』として名高い御僧は 今日的意味を持って来るのは これからでなのしょう
 
 
 
      この度は 私事さまざまなことがあり 少々お休み
    させて戴きましたが 約六日間の入院加療で 無
    事退院して 元気になりましたので 改めてブログ
        再開のお知らせを申し上げます 尚この間多くの
       方々から熱い温かいメールを 沢山頂戴しまして 
       本当に有り難いと思いました 心臓の鼓動も従来
       通りの健康体に戻ったと思われます 今後とも精
       進して参りますので よろしくお願い申し上げます
 
                                  櫻灯路
 
 
 
 
 
 
 
 
( 尚 本ブログでのすべての迷惑行為はその都度全部削除致しますが その前にお相手のパソコン瞬時に特定出来る追跡機能をセットしてあります そのような行為のすべてが 証拠資料として採用され 別途保存されますので 一切の迷惑行為は 断じてお断り申し上げます ご注意の程を )
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