念ずれば花ひらく

 
                                                                                                       kuma-mituさんの渾身の書
 
 
 念ずれば花ひらく 苦しいとき 母がいつも口にしていた この言葉を わたしもいつのころからか となえるようになった そしてそのたび わたしの花が 不思議と ひとつひとつ ひらいていった 眞民
 
  http://kumaphoo.exblog.jp/ kuma-mituさんのブログより
  
 この字は ブログ仲間と言っては失礼ですが ブログリストにもあります 私が大好きな絵手紙を公開しているKUMA-MITUさんの字です 力が抜けた素晴らしい字であります 詩文を書かれた方は 詩人坂村眞民さんで この字は作家の懐に ズバリと入り込めた 素晴らしいいい字ですね 丁度いい機会なので kuma-mituさんから お題を頂戴させて戴いたつもりで この際是非 この老詩人をご紹介しておこうと思います 多くの方は くじけそうになった時など 坂村先生の詩歌がどれほども 素晴らしい勇気を与えてくれることでしょう そしてもう一つ来春から 坂村先生の母校である伊勢の皇學館大學の大學院に合格し 熱心な学究の徒で 上海からの留学生Hちゃん(本ブログに時々登場)の先輩にもあたるので この記事を その合格のはなむけとしたいのです そしてここに時々お見えになられる陶芸家ようへん先生も 坂村先生の大ファンらしいので 実直なようへん先生への敬意も この記事に籠めたいです 海外に建てた35基を入れると 彼のファンが 自発的に建てた詩碑は 全部で 実に730基を超えます 驚くべき数字であるばかりでなく 隠れたベストセラーとして 我々のこころを捉えてやまない詩人です
 
 坂村眞民は 明治四十二年一月熊本に生まれるのですが 僅か八歳の時 父親が急逝してしまいます 処が彼は長男で 何と下には四人の幼い兄弟がいたのです 五人兄弟の長男として 母を助け 人に言うに言えない苦労をしながら しっかりと成長します 昭和六年神宮皇學館(現在の皇學館大學)を 非情なる苦学の末に卒業します その後朝鮮にて教職につき 新任中から ここでも苦労の連続でした 日本統治下でのバタバタの最中だったのです 三十六歳の時に 全州師範学校勤務中に終戦を迎えます 何とかして朝鮮から引き揚げ 愛媛県で高校の国語の教師になり 六十五歳まで勤務し ようやく退職致しました そして安堵の生活に流れることなく その後詩作に専念し 短歌を志すものの 一遍上人に次第に傾倒し 佛教精神を基調にした詩の創作に入りました 昭和三十七年月刊詩誌『詩国』を創刊します 平成十六年から『鳩寿』と改題し 一度も休むことなく 今年の九月まで 千二百部を無償で配り続けました 現在先生はほとんど寝たきりの状態で 詩作は無理ですが お嬢様ご夫妻と介護ヘルパーさんの助けを戴きながら 驚くほどの記憶力で 健在でいらっしゃいます(坂村眞民の世界 ようこそたんぽぽ堂(ご自宅)へ 参照して書かせて戴きました)
 
 http://homepage2.nifty.com/tanpopodou/ お嬢様の真美子さん作成のHPです
 
 一見平凡な半生のようですが 坂村眞民は 心の師一遍上人のように 南無阿弥陀仏を唱え 捨ててこそ生きると言う 心に深く遊行(ゆぎょう)の精神を持って 魂の行脚と死すべき一時一時を真剣に向き合って 大切に生き 渾身の詩作に当たられて参りました 坂村眞民が終の棲家とした伊予の国(愛媛県)ですが 同じ地の出身である一遍上人とは 非常に親近感を感じられた時期があったのでしょう 半生も又似たような面が多いのです 然らば一遍上人とは 『時宗』の開祖で 鎌倉時代末期に 法然上人の孫弟子に師事し 自らも十歳の時に母を亡くし 父親の命により 出家せざるを得なかった方です 生涯定住することなく 万人に救いの木札を配り歩き 全国を遊行して果てました 遊行(ゆぎょう)とは 仏の道の説法をしながら 救いを与え歩き廻ることですが 『捨ててこそ』とよく説法したらしく 『捨て聖(すてひじり)』とも言われた凄いお上人さまでした その後 蓮如が出て来た後は 時宗は 再び浄土宗に吸収されるのですが お上人さまの足跡は 日本佛教史に 燦然と輝きを放っています あの大きな浄土宗さえ凌いだ時期があったのですから
 
 坂村眞民は 終の棲家とした伊予に 『たんぽぽ堂』(ご自宅)を建てて住まいし ひたすら若かかりし日々の辛い苦節を 魂の彷徨と慈悲の享受の中で ひたすら詩作に打ち込み お上人さまが木札を撒き散らすかのように 素晴らしい詩篇を発表し 無償で本を与え 人々に大いなる勇気を喚起し続けた人です 飽くまで男性的な筆致で書かれ 物事の本質をズバリと言い当てながら 爽やかな感動を与える詩魂です 何人にも媚びらず 何人からも非難一つされず ただ黙々と生きて来られた人ですが 人生の詳細はあまり説明されておりません だが幼少の頃からの地獄のような生活苦 どんなどん底に喘いでいながらも 高い向学心に燃え 苦学して教員免許を取り そうして大學を卒業し 朝鮮へ渡り 戦時中の教員生活 厳しかっただろうと想像するしかないのです 「ナンマイダァ~~と怒鳴り散らしながら モノを運ぶ若き日の アルバイトの数々もあったことでしょう そして恐らく何回も 死のうと思った時期があったか知れません 憶測でしか分からないのですが 随分と苦労が多かったのは事実です 詩作では 何事もなく さらりと言っておけて 明解なる詩歌のの特徴の中に それらの苦労の襞(ひだ)が 何気なく読み取れ 感じられるのです その凄みを 皆さまにはどう感じられるでしょう どうか皆さま 皆さまがもしくじけそうになった時 坂村眞民の詩が 大いなる勇気を 猛烈に奮い起こしてくれましょう
 
 坂村ご夫婦は九十歳後半なれど 健在です お嬢様である真美子さんの篤い介護が必要ですが 二人とも天寿をまっとうされようとしています 一つ;葬式はしない 二つ;香典・供物は一切戴かない 三つ;お別れ会など 一切の心配ご無用 私は天にいるのではなく 花咲けば そこに私が 鳥飛べばそこに私が いつも皆さまのそばにおりますと 遺言まで発表され ご夫婦は まだまだ健在です 後四年で百歳を迎えます お二人で 百歳を迎えられるまで どうにかお元気であられまするよう 心底からお祈り申し上げております (真美子さんご夫妻で作られているホームページには 惜しみなく 詩歌が出ております 数多くの出版もありますが 精神が疲れたり 破けそうになった時などには 是非上記ホームページを開かれて 詩国をクリックし元気を出して下さいね) 
 
 最後に 代表的な詩歌の三作を 出させて戴きます
 
          
          『ねがい』          『たんぽぽ魂』
 
 
        ただ一つの          踏みにじられても      
 
       花を咲かせ         食いちぎられても
                 
       そして終わる          死にもしない
 
        この一年草の         枯れもしない
 
       一途さに触れて                   その根強さ
 
        生きよう                      そしてつねに
 
            坂村眞民           太陽に向かって咲く
             
                        その明るさ
 
                       わたしはそれを
 
                       わたしの魂とする
                                  坂村眞民
                                  
 
            『 昼の月 』
 
           昼の月を見ると
 
             母を思う
 
         こちらが忘れていても
 
         ちゃんと見守っていて下さる
 
             母を思う
 
          かすかであるがゆえに
 
           かえって心にしみる
 
             昼の月よ
                     坂村眞民
 
 
   
    
 口絵は 坂村眞民氏 講演中
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