散ったお花のたましいは ふぅちゃん篇

 
 
  金子みすゞのそれから > 散ったお花のたましいは~ふぅちゃん篇
 
 金子みすゞ亡き後 一人娘のふぅちゃんはどうなったと思われますか 実は今でもお元気でいらっしゃったのです みすゞの死後 みすゞの遺書通り 僅か三歳のふぅちゃんは 何も知らないまま 子供がなかった堅吉兄さん夫妻に引き取られて行きました ところが皮肉なもので 直ぐ子供が出来てしまったのです 加えて 本店の大社長の松蔵が みすゞの死後一年後に亡くなってしまいます 商売を嫌って 東京に出て音楽家になろうとしていた正祐に跡継ぎは完全に無理でした 要するに跡目がなかった上山文英堂本店は 堅吉が跡継ぎをせざるを得なかったのです 上山文英堂本店の実母の元に 全員で入って来ます 元夫に宛てた遺書に みすゞは「あなたはお金は与えることが出来ても こころの糧は与えられない だから母に預けて欲しい」との意向が ようやくここで実現したのです 処がこの堅吉叔父は我が子と嫁の実家可愛いさの余り 援助を最大限にしてしまうのです 海外にも支店があって 自宅には当時として珍しい水洗トイレまであった大きな上山文英堂を 短期間で破産させてしまいます 皮肉なものです 駅前の小さな間借り屋での本屋が始まります 男性はすべて出征していなくなります ふぅちゃんは小学校の頃から 店番をするのですが 祖母は 例えば五十銭の本で僅か五銭の儲けしかなかった切り詰めた生活の中で ふぅちゃんを女学校に進学させようとします みすゞ亡き後 何故一緒に子供を道連れにしなかったのかと言う批判や風潮を 祖母はモノともしませんでした 明治のオンナです 愚痴を言う人ではなかったのです そんな風ですから ふぅちゃんは 母みすゞが自殺をしたことは全く知らずに大きくなったのです
 
 女学校二年生の十五歳になっていたふぅちゃんは 片付けをしている時 偶然母みすゞの遺書を読んでしまいます それまで天使になって天空に上って行ったと 夢のようなことばかり思っていたふぅちゃんでしたが みすゞが夫に宛てた遺書が見つけてしまいます みすゞの命日ではなく 祖母と二人で三月九日 つまり命日の前夜に 櫻餅を食べる習慣が続いていたのが ようやく理解出来るようになりました 二人っきりの『みすゞ忌』だったのでしょう それでもふぅちゃんは母が自殺だったとは信じなかったようです その後西条八十が雑誌に書いた『下関ノ一夜』と言う記事を読んで やっとふぅちゃんは事実を飲み込んだようです でもふぅちゃんは祖母にその理由を一切聞かなかったらしいです そうして翌年祖母が亡くなります ふぅちゃんは十六歳になっていました ふぅちゃんだって 昭和元年の生まれです 薙刀で武装し いざ米軍に襲われたら 青酸カリで服毒して死ぬことを教えられた世代のど真ん中で思春期を迎えていました 明治のオンナから続いていた気骨は受け継がれていたのです よし自立しようと 幾多の哀しみを振り払って ふぅちゃんは祖母の死を境に 下関を後にしました 母みすゞの遺書や遺品は一つも持って出ませんでした 私をたった一人残して逝った母のモノなんかと言う気持ちだったそうです
 
 東京に出たふぅちゃんは 正祐叔父を頼って そのお宅に入ります 最も激しい空襲の折 東京丸の内の日本交通公社に勤務します その一年ちょっとの後ふぅちゃんが十八歳の時終戦を迎えました 皇居前では 割腹自決をする人も見たそうです 品川の正祐叔父の家は焼け残りました せめてもの救いです このことは後に偉大な発見に繋がるのです
 
 間もなくふぅちゃんは 偶々東京にいた父親と再会します 父親は放蕩者ではあったけれど 悪い人ではなかったらしいです ただやはりこの父と母との結婚は無理だったと思ったそうです 僅かな期間父の元で ふぅちゃんは同居をするのですが 母みすゞと同じような年齢で 父の元から嫁入りしました 可笑しなことに直ぐその後のことです 結婚は失敗だったと気づくのです ところが既に妊娠をしていて まるで母の再現ドラマを見ているようでありました そこから本当の苦労をします オンナの子を産みましたが 二人で死んでしまおうと自殺を企てた時 はたと気がつきます 子供を道連れに ここで死んではならないと思い留まるのでした 母みすゞをチラリと思い起こしたからだったのです そして自立の道を選びました 親子三代に渡るオトコ運のなさに 苦笑いするふぅちゃんでした
 
 ふぅちゃんが五十二歳になっていました 娘も立派に成長しています その時正祐叔父さんから 一本の電話を貰います 矢崎と言う人が貴女を探しているから 逢って御覧と それが矢崎節夫 つまりみすゞの発見者です 矢崎は正祐叔父の家で 古臭い封書を見つけるのですが 正祐は ムカシのラブレターか何かであろうと 全く気にも留めていませんでした 戦災で焼け残ったのは 運命でしょう その封書こそ 娘ふさえに宛てたもう一部の詩歌集だったのです 矢崎はこれは凄いと絶句しました みすゞ死後五十年が経っていました 金子みすゞと言う詩人を その後五年掛けて 出版にこぎつけ 世間に公表しました 物凄い反響だったようです それから娘ふぅちゃんの話も聞こうとしていました ただふぅちゃんには何の思い出もありませんでした しかし自分の話した言葉だけを 母みすゞが綴った『南京玉』と言う古びた手帳だけは 不思議に持っていました 下関を出て来る時に 他の母の遺書・遺品を置いて来ていたのでしたが みすゞの詩歌集が出版されてから 周辺が俄かに賑やかになって来ます ふぅちゃんは『南京玉』を提供します 正祐叔父は それならば やはり黙ってはいられまいと思い直して みすゞとの交流を示す日記や手紙の整理を始めました その作業中に正祐氏は 何と突然亡くなってしまうのです それは みすゞの誕生日の四月十一日 その日だったのです まるでみすゞが呼んだようにです
 
 それにしても みすゞはもっと早く世に出られたものを 西条八十に送ったもう一部の詩歌集は どうなったのでしょう つくづく西条と言う大歌人の薄情さが出てませんでしょうか 或いは西条に みすゞの才能に 強く嫉妬していた面があったのではないだろうかとさえ思えて来ます 彼さえ みすゞからの文通に応えていたとしたら・・・・・・・・・・・
 
 ふぅちゃんは 母から残されたと思われる『南京玉』と言う詩集も 出版されます みすゞの死 57年後仙崎で みすゞの出版記念パーティがありました 仙崎の人達は何故今までお墓参りも来なかったのか 批判が出たそうです 然し本当に思い出がなかったのです 「この頃房枝と遊ばず・・・・」とか「オ母チャン、サヨウナラ、ヒトリデオカエリ」と突き放す母への『南京玉』の言葉の思い出しか ウル覚えになかったそうです ですから愛されていないんだとばかり思って 頑張って生きて来れたらしいのですが 『南京玉』の序文に 母みすゞが「この子の言葉は、人にはなんでもないけれど、私にとってはうれしいの」と書いてありました そう言えば 母より 祖母になついていたからだとはっと思い出して ふぅちゃんは涙します 時間が余りにも遠くに過ぎていました 今ふぅちゃんは八十歳を過ぎています オトコ運の悪かったオンナの三代記です それでようやくふぅちゃんは 母のことを静かに思い出すのです 父も早くに母親を亡くし マザコンだったらしいのですが みすゞは自分の夫を一切甘やかすことはしなかったらしいのです 持って行き場がない父は放蕩を繰り返したのだろうと そして自分にも思い当たるモノがあると言うのです 運命とはそうしたものでしょうか もし今度みすゞ母さんに逢ったなら 何を言いますか 或いは何を言われたいですかとの問い掛けに ふぅちゃんは笑って答えています 一応私なりに精一杯生きて来たのだからと 最新の『南京玉』の本の最後に 「今度逢ったら、ほめてくださいますか」と書いて 答えています
 
 ふさえへの詩集『南京玉』には 番号がついています 縦十三cm 横八・七cmの小さな手帳に書かれているのですが 一切の創作を禁じられていた手前 走り書き程度でした ただよく読むと 愛娘への愛情がみなぎっています 僅か三歳の娘から発せられる言葉の端々に 新たなる創作への道を探っていたのでしょうか 但しこの詩集の最後は余りにも淋しく終わっています 祖母になついてしまった娘のことが 粛々と綴られています 昭和四年十月頃から 亡くなる一ヶ月前の昭和五年二月までの死の記録です みすゞが哀れでなりませぬ
 
 
  八六 
 オ母チャン サヤウナラ、
 ヒトリデ オカエリ、
 ヤマカラ オカエリ、
 マチカラ オカエリ、
 
  八八
 ダレカ、ダレカ、ドコノコカ、
 オブウチャンノ子、
 ダレカ、ダレカ、
 オバアチャンノ子
 オ母チャンハドコノ子カ、
 ヨソノ子。
 
  八九
 アソンデオカエリネ、
 サヨウナラ、アソバンヤウニ、オカエリネ。
 
  九〇
 母さんとふぅちゃんーー一人なりし後 中絶せしを続く
 
  (二月九日、止む、
   この頃房枝われと遊ばず
   われまたものうき事多くして
   一語をも録せざりし日多し
 
 『南京玉』は ここで終わっています みすゞにとって 祖母になつく娘との距離をいかに淋しく思ったことであったでしょうか この一ケ月後みすゞは自殺して果てるのです 本文の終わり方が 余りにも淋しいので みすゞの詩歌を 一篇だけ紹介して終わりたいと存じます
 
 
       『おはじき』
 
     空いっぱいのお星さま、
     きれいな、きれいな、おはじきよ。
 
     ぱらり、とおはじき、撒きました、
     どれから、取ってゆきましょか。
 
     あの星
     はじいて
     こう当てて、
     あれから
     あの星
     こう取って。
 
     取っても取っても、なくならぬ、
     空のおはじき、お星さま。
 
 
 
 ☆ 参考文献  矢崎節夫著『金子みすゞの生涯』 
           酒井大岳著『金子みすゞの詩を生きる』
 
 
 口絵の櫻は 本文とは全く関係ありませぬ 奈良の大宇陀町にある『又兵衛櫻』です
 
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