散ったお花のたましいは

 
                                                                   散ったお花のたましいは 金子みすゞ20歳の時の写真
 
 
 
 
  < 巨星 金子みすゞの詩魂と生涯 >
 
 金子みすゞの童謡を 今は亡き母が大事そうに少ない詩篇をスクラップにしておいて 幼かった私に 何度も読み聞かせてくれました 人の哀しみをたくさん知ると 優しくなれるのよと言っていました このブログで何度か出て来ましたが みすゞの詩の朗読の後に 母は必ずと言っていいほど 花咲爺さんのお話は 実際にあった実話なのよと 私の耳にタコが出来るほど 教えてくれたものでした  断片でしか分からなかったみすゞさんの詩の全容が分かったのは 矢崎節夫さんの労作『金子みすゞの生涯』と言う本に出逢ってから やっと全容が分かったのです みすゞ没後50年の月日が経ってからです 更に近年雑誌『太陽』の別冊に特集にもなったので 読まれた方が きっと多いだろうと思います そうだったのかと 矢崎さんの労著にアタマが下がる思いをしたものでした 随分感心させられました 何でもない詩篇の一つも その成立の非情さの裏側に ドロドロしたドラマがいっぱい隠されていたのです そんなみすゞの悲劇に思いを致せば 何ともまぁ 哀れなことでしょう 母が読んで聞かせてくれたのは 幾つかの雑誌に発表になったものばかりです みすゞさんが投稿した文がほとんどで ホンワカしたものでしたが 中には人生を深く考えさせるものもありました みすゞの人生を顧みる時 初めて詩の意味するものを理解が出来るのですが この人ほど自身の人生と不可分な詩篇はないのでしょう 母も知らなかった多くの詩篇に逢った時 母ならどう感想を言っただろうかと 密かに考えながら 涙を流したものです 余りの素晴らしいみすゞの感性に圧倒されることが多かったからでした
 
 ところが数年前 田中美里主演で 映画『みずゞ』が発表され シネカノンに観に行ったのですが 少々怒りを覚えました 平成13年度文化庁優秀映画賞を戴いた作品ながら 大いに不満でした だって余りにも上っ面過ぎるような気がしたからです 映像だったからでしょうか みすゞさんのこころのうちに 肉薄しているように思えなかったからです 冗談じゃないよ もっと深い哀しみが もっと広い視野が もっと辛い別れがあったと 憤激したことを よく覚えています 母の教えのこころを も一度思い出そうと 私なりにみすゞさんを書きたくなりました
 
 先ず最も大切な略歴から 御紹介しましょう 矢崎節夫さんの本から お借りして書かせて戴きます
 
 
    ≪哀しみの略歴≫
 
明治36年4月(0歳)   山口県大津郡仙崎村 金子庄之助・ミチの長女として生まれる 
                 本名テル  2歳上には 兄堅助がいた
明治38年2月(2歳)   弟正祐生まれる 同時に父庄之助は母ミチの妹の嫁ぎ先である上山
                                 文英堂書店の清国支店英口支店の支店長の為に 清国に渡る
明治39年2月(3歳)    父庄之助は清国にて死去 金子家は仙崎にて 金子文英堂を営む
明治40年1月(4歳)   弟正祐は 下関の上山英文堂書店店主 上山松蔵夫妻と養子縁組
明治43年4月(7歳)   テル 瀬戸崎尋常小学校に入学
大正5年4月(13歳)   郡立大津高等女学校入学 校友誌『ミサヲ』第3号に《ゆき》発表
大正7年5月(15歳)   『ミサヲ』第5号に《さみだれ》を発表 同年童話童謡雑誌『赤い鳥』創刊
               母妹上山フジ 金子家にて死去
大正8年8月(16歳)   母ミチ上山松蔵と再婚 金子家は祖母ウメ 兄堅助 テルの3人となる
大正9年3月(17歳)      郡立大津高等女学校卒業 テル答辞を読む
大正10年8月(18歳)  上山松蔵倒れる テル九州大学付属病院で 一箇月半付き添う
               正祐 作曲を始める テル北原白秋の詩《片恋》を読む
大正11年11月(19歳) 兄堅助 テルの小学校の同級生の大島チウサと結婚
大正12年4月(20歳)  テル下関の母の元上山文英堂に移り住み 西の端町の支店で働き始める
      5月       正祐書店経営者修行の為 上京させられる この頃のテルは最も自由に
                本を読めて 詩作に熱中した時分だったのでしょう みすゞとペンネームを
                つけたのはこの頃でした
      6月       テル 『童話』誌上に投稿を始め 西条八十に認められる
      9月       関東大震災
大正13年4月(21歳)  西条八十渡仏の為 みすゞの詩は選ばれなくなった
      7月       堅助夫妻が病気になり 看病に為に仙崎に行く
大正14年  (22歳)   徴兵検査の通知によって 正祐は初めて養子であることが知られてしまう
大正15年1月(23歳)  正祐は テル 番頭の宮本啓喜との結婚話は上山松蔵の進めによるが 
                実弟正祐は猛反対 辞めろと直談判 松蔵は宮本の商才だけ買った
      2月       宮本啓喜と結婚 上山文英堂の2階で 新婚生活を始める ところが 
                宮本と正祐の折り合いは最悪で 結果松蔵は離婚させようとしたが 既に
                テルは妊娠していて 11月長女ふさえを出産す
      5月       テル夫妻は文英堂を追い出され 夫は失職 上新地町に移り住む
昭和2年8月(24歳)   祖母ウメ死去 この後テル発病す 女道楽の結果夫から移された淋病で
               病院費用もなくひた隠しした 下関で西条八十と数分間逢う
昭和3年  (25歳)   上新地の自宅に病臥 夫の始めた菓子問屋は成功したが テルは一切
               協力をしなかった この前後に夫より 詩作と手紙を書くことを禁じられ
               これ以降発表作はない
昭和4年  (26歳)   夏から秋にかけて 三冊の遺稿集を清書 一組は西条八十に もう一組は
               弟正祐に託す 生きた証を残そうとしたのか 夫益々女遊びが激しくなる
昭和5年2月(数えで27歳) 宮本啓喜と正式離婚し 上山文英堂に移り住む テルには 元夫から
               激しく 長女ふさえを返せと催促 眉夫から移された病気とは言え 病弱
               の身より しぶしぶそれを承諾さざるを得なかった
     3月9日     三好写真館で 人生最後の写真を写す 写真館には一人で行き 娘は実
                母に預けて行った 既に毒薬を飲んでいた為だろうか 夜は娘と何ら変るこ
               とがなく ただこの宵ばかりは 娘のふ~ちゃんと一緒に長湯をしている そ
               こで こころおきなく童謡を歌って聞かせた そして櫻餅を食べ 一緒に2
               階に上がって行って 明けて10日の未明に 還らぬ人になってしまった
     3月10日     この日元夫が娘を迎えに来ると言う日 カルモチンによる服毒自殺だった
                娘は命を掛けて守った 遺書は三通 夫と正祐と母親夫妻宛て 遺影の交
                換札も残されていたと言う ふ~ちゃんは兄夫婦に引き取って貰いたいとも
 
 この後50年後に みすゞの詩篇(512篇)が 矢崎氏の努力で ようやく見つかり 金子みすゞが見直されるようになったのです
 
 
       
    ≪みすゞ 詩魂の原風景≫
 
 本当は上記略年譜は 書きたくないんですよ でもみすゞの作品と密接な関わりがあるから 仕方がないのです 誕生して間もなく実父の死 叔母の死 実母はその後妻に行って みすゞが淋しさにおののいた日々 現実の母は 先に養子になっていた次男を お坊ちゃんと呼び 夫上山松蔵に対して 遠慮があったのか みすゞには冷たい仕打ちばかりでした 従ってお母さんの詩は たくさんあるのですが 現実の母と夢の中の母を区別して読んだ方がいいと思います 次男には どこから来て どうして養子になったか ずっと隠し通して来たのです みすゞの実家に 上山が営む本屋を出させています みすゞが大好きな長男が 支店を出させられます 僅か15歳で家督を継いでから 上山松蔵には 短期間で商売を覚えてしまったこの長男によって 実弟がいる本店も 乗っ取られるのではないかと そう言う危惧もあったに違いありません みすゞの実家と上山率いる下関の本店とは 厳しく峻別したのでしょう そのことによって 実母は何も言えなかったのです
 
 それが為に 実弟を みすゞ自身も 坊ちゃんと呼ばなければならなかった正祐に 恋慕の情を ヒタヒタと激しく燃やされた苦痛も半端ではなかったでしょう 無論この時も実弟とは知りませんでした 要領のいい番頭を みすゞと強引に結婚させたのも 上山松蔵が二人の仲を心配したに相違ありません 然し直ぐに このオトコは駄目だと松蔵が愛想をつかしたのも 結婚後だったとは そして時既に遅く みずゞは妊娠していました 更にその後の悲劇は 夫がオンナ遊びが激しく 淋病を貰って来てからです 既に本屋にも職はなく みすゞが病を治すお金すらありませんでした 次第に虫食んで行く病根 ようやく夫が新しい仕事が順調になり始めた時 何の手伝いをしようともしない妻に愛想をつかして 離婚が成立 娘を引き取りたいと言う執拗な嫌がらせ みずゞに これでもかと降り注ぐ地獄と煉獄の日々
 
 結婚前 一人で支店を任された時のみすゞは 絶頂だったのかも知れません 本もたくさん読めました 詩作も 誰の遠慮もなく出来たのです ただ一人のオトコ 実弟の正祐が 周囲をウロウロし始めておりました 二人は赦されぬ恋とは知りません 正祐は しきりに中央へ打って出ろとせっつくのですが みすゞには 向こうに行っても 同じ目に合うのだとしか映りませんでした 結婚をすることを知らされた正祐は 必死で辞めるように みすゞを説得します 相手は書店で 自分より能吏だったことを知っていたのでしょう 無為な説得だと知ると みすゞの詩に 音楽をつけるのだと言って ふらりと東京に出てしまいます それでほぼ二人の仲は終わるのですが このようにした周囲の苦心惨憺は みすゞにとって 結果は地獄の苦しみだったのでしょう
 
 西条八十とのことも書いておくべきでしょう 投稿して来たみすゞに 最大の賛辞を送ったのは 西条本人だけでした 彼のお陰で 日本童謡作詞家協会に入っていますが 島崎藤村や北原白秋や三木露風など 錚々たるメンバーの中で 女性で入っていたのは 与謝野晶子と この金子みすゞの二人だけだったことからも 如何に評価されていたか お分かりでしょう 西条は英国の女流詩人クリスティナ・ロセッティを想像していたに違いないのですが わざわざ下関まで みすゞに逢いに行った時 そこらの長屋のお内儀のような風体で 然も乳飲み子を背負っていました 但し西条は「彼女の容貌は端麗で 目は黒曜石のように深く輝いていた」と述べています 直ぐに山道を帰りますからと 僅か数分の逢瀬を最後に みすゞはそそくさと帰らざるを得ませんでした その後渡仏した西条からは 手紙が届くことがなくなってしまったのです
 
 本名のテルは 実母から殺され ペンネームのみすゞは 西条から殺されたと言う方がおいでになるくらいみすゞにとっては 衝撃的で致命的な音信不通でした 不運も哀しみも ささいな歓びも 評価され 読んでくれる方がいるから出来るものなのに 夫との離婚直前の約二年間は 手紙も作詩も 一切禁じられてしまっていたのです みすゞは生きる勇気を既に失っていました 夫の仕打ちは むしろほっとした期間だったかも知れません 最期の日 みすゞは娘を実母に預け 一人で写真館を訪れました 徐々に効いて来る毒薬カルモチンを既に飲んでいました 夜一人娘と長湯をします そこでたくさんの童謡を歌うみすゞでした 普通に娘と二階にあがり 二人で櫻餅を食べました そして母子は眠りにつくのですが 翌10日未明みすゞは還らぬ人になっていました 27歳になろうとする一箇月前のことです
 
 遺作集は 自身で清書したものが 三冊で一部とし 二部ありました 一部は西条八十宛て もう一部は遺児ふさえの為でしたが 何故かその一部は実弟正祐の元にあって 彼が生存中に 矢崎節夫氏によって 発見され 今日我々が目にすることが出来るのです そして死の床には 写真の引き換え券と 元夫宛てと実母夫妻宛てと実弟正祐宛てが残されていました ふさえは大好きな堅助兄さんに引き取って貰いたい旨が書かれてあり 元夫の方には その遺書以外何もありませんでした (三部作とは 『美しい町』『空のかあさま』『さみしい王女』 他に雑誌投稿詩数十点)
 
 みすゞの詩歌には 誰でも出来そうな簡略で簡潔な表現が多いのですが 最後に凄いオチがあったり 発想の飛翔があります これはどこから来るのだろうか それこそみすゞが経験したすべてのことが下地になっているとしか思えません それを裏返しにしたり 逆説的に明るくしたり 愛に溢れていたり そしてその芯には深い哀しみを湛えています 詩を書くことによってしか 現実を生きることが出来なかったのかも知れないですね そして最も評価されるべきことは 発想は自己中心ではないと言うことでしょう ある時は雪になり ある時はお魚になり ある時は花そのものになって 発想される点です その凄さが 金子みすゞをしてみすゞたらしめるものだと思えてなりませぬ 星野富広さんはキリスト教で救われました 宮沢賢治は法華経を信仰していました 光太郎にも 白秋にも 誰にも何かがありました 周辺の手助けやら 資産やらが だがみすゞの運命には それこそ何もありませんでした 母親も実弟も みな余所の人です あの大好きな兄ですら 結婚相手が小学校の同級生だったばっかりに やっかい者扱いされました 死後ふさえが養女として その兄夫婦の家庭に入るのですが 皮肉なことに その後実子が二人も生まれています ふさえも又孤独な人生を余儀なくされたはずです だがみすゞには あらゆるものに変貌し変身し 万物・宇宙と交信する世界観の卓越した感性があったと思われてなりません いい意味でも悪い意味でも どうしようもない諦念もありました 一つだけ宮沢賢治とどこか相通じる信仰があったのは あの生まれた地・仙崎が鯨供養などに熱心な信心深い土地柄で そこにおける強い信仰心が培われたからだとは言えないでしょうか みすゞは 我が子の為に死んではいません 自分の為に自己完結したに違いないのです ふさえには悪いのですが そうせざるを得なかったのは 詩人の業のようなものでしょうか ただひたすらに自分を誤魔化すことなく 真摯に自己に向き合ったみすゞでした だからこそ みすゞはこれからも ずっとずっと生きて行くでしょう 私達のこころの中に
 
 
   ≪みすゞ童謡詩歌 櫻の自選篇≫
 
   「私と小鳥と鈴と」            「さびしいとき」                 「お魚」
 
 私が両手をひろげても、         私がさびしいときは、     海の魚はかわいそう。
 お空はちっとも飛べないが、       よその人は知らないの。    
 飛べる小鳥は私のように、                         お米は人につくられる、 
 地面を速く走れない。          私がさびしいときに、     牛は牧場で飼われてる、
                        お友だちは笑うの。       鯉もお池で麩を貰う。
 私がからだをゆすっても、
 きれいな音は出ないけど、         私がさびしいときに、     けれども海のお魚は
 あの鳴る鈴は私のように         お母さんはやさしいの。    なんにも世話にならないし
 たくさんな唄は知らないよ。                         いたずら一つしないのに
                         私がさびしいときに、     こうして私に食べられる。
 鈴と、小鳥と、それから私、        仏さまはさびしいの。
 みんな違って、みんないい。                         ほんとに魚はかわいそう。
 
 
      「星とたんぽぽ」             「積もった雪」           「もくせい」
 
 青いお空の底ふかく、          上の雪              もくせいのにおいが、
 海の小石のそのように、         さむかろな。           庭いっぱい。
 夜がくるまで沈んでる、          つめたい月がさしていて。
 昼のお星は眼にみえぬ。                          おもての風が、
    見えぬけれどもあるんだよ、        下の雪                               ご門のとこで、
    見えぬものでもあるんだよ。        重かろな。                          はいろか、やめよか、
                         何百人ものせていて。          相談してた
 散ってすがれたたんぽぽの、
 瓦のすきに、だァまって、                   中に雪
 春のくるまでかくれてる、                    さみしかろな。
 強いその根は眼にみえぬ。                空の地面もみえないで。
    見えぬけれどもあるんだよ、                       「日の光」
    見えぬものでもあるんだよ。                    
                                         おてんと様のお使いが
                                         揃って空をたちました。
                                         みちで出逢ったみなみ風、
   「さくらの木」             「蜂と神さま」         (何しに、どこへ。)とききました。
                                          
 もしも。母さんが叱らなきゃ、    蜂はお花のなかに、                一人は答えていいました。
 咲いたさくらのあの枝へ、               お花はお庭のなかに、      (この「明るさ」を地に撒くの、
 ちょいとのぼってみたいのよ。           お庭は土塀のなかに、     みんながお仕事できるよう。)
                      土塀は町のなかに、
 一番目の枝までのぼったら、          町は日本のなかに、       一人はさもさも嬉しそう。
 町のかすみのなかにみえ、             日本は世界のなかに、           (私はお花を咲かせるの、
 お伽のくにのようでしょう。               世界は神さまのなかに、         世界をたのしくするために。)
 
 三番目の枝に腰かけて、      そうして、そうして、神さまは、    一人はやさしく、おとなしく、
 お花のなかにつつまれりゃ、           小ちゃな蜂のなかに。              (私は清いたましいの、
 私がお花の姫さまで、                               のぼる反り橋かけるのよ。)
 ふしぎな灰でもふりまいて、                        
 咲かせたような、気がしましょう。                                               残った一人はさみしそう。                     
                                         (私は「影」をつくるため、
 もしも誰かがみつけなきゃ、                        やっぱり一しょにまいります。
 ちょいとのぼってみたいのよ。  
 
    
     
       みずゞ この世の最期の詩歌
                  
                 「きりぎりすの山登り」 
 
              きりぎっちょん、山のぼり、
              朝からとうから、山のぼり。
                 ヤ、ピントコ、ドッコイ、ピントコ、ナ。  
 
              山は朝日だ、野は朝露だ、
              とても跳ねるぞ、元気だぞ。
                 ヤ、ピントコ、ドッコイ、ピントコ、ナ。
 
              あの山、てっぺん、秋の空、
              つめたく触るぞ、この髭に。
                 ヤ、ピントコ、ドッコイ、ピントコ、ナ。
 
              一跳ね、跳ねれば、昨夜見た、
              お星のとこへも、行かれるぞ。
                 ヤ、ピントコ、ドッコイ、ピントコ、ナ。
 
              お日さま、遠いぞ、さアむいぞ、
              あの山、あの山、まだとおい。
                 ヤ、ピントコ、ドッコイ、ピントコ、ナ。
 
              見たよなこの花、白桔梗、
              昨夜のお宿だ、おうや、おや。
                 ヤ、ドッコイ、つかれた、つかれた、ナ。
 
              山は月夜だ、野は夜露、
              露でものんで、寝ようかな。
                 アーア、アーア、あくびだ、ねむたい、ナ。
 
 どうぞ皆様みすゞの詩歌は やさしさで溢れています たくさんご紹介したいのですが ままなりませぬ 最近多くの図書も出版されているようです 直接本を 是非手に取って お読み戴けたら幸甚に存じます みすゞの御霊に合掌
 
  http://www.city.nagato.yamaguchi.jp/misuzu/ 金子みすゞ記念館
  http://www1.ocn.ne.jp/~yama88/b/index.html 金子みすゞ一押しサイト集

  http://www.kinokuniya.co.jp/01f/misuzu/   映画『みすゞ』オフィシャルサイト

  
広告
カテゴリー: 文学 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中