ふりうずむ雪を花にて60年

 
 
< 降り埋む雪を友にて春来ては日を送るべき深山邊の里  西行 
 
 当家にいるお手伝いさんのうち 最高齢の方は 80をとうに過ぎて 三代に渡ってお世話を受けている 今日は彼女のお誕生日だ さして嬉しくはないと言って 気恥ずかしげに 祝宴を辞退しているのだが サプライズで 他のお手伝いさんも一緒に 夕刻には ささやかながらお祝いをしてあげることにしている
 
 彼女には未だに 先の戦争は終わっていない 今日はそのお話を中心にしたい 戦時下の若い男達は 命令一つで どこの戦地に赴かなければならなかった 彼女23歳 恋人の男性は 2歳上の東京大學大學院生であったが 学徒出陣で ついに召集令状が来てしまった 大学院を卒業したら結婚しようと言って 必死に西洋哲学の勉学に勤しんでいた彼の その時の衝撃の強さはなかったらしい 日本はそこまで切迫していた時分で 仕方なく彼は 雨の神宮球場から出陣し 終戦になる3ヶ月前に 特攻隊として 沖縄沖で 敵艦隊に激突し玉砕して果てた 帰って来たものは 彼女から贈られた千人針の布切れ一枚と遺書だけであった
 
 ところが最後の夜に たった一度最初で最後愛し合った結果 妊娠をしてしまった 既に5ヶ月を過ぎていて 彼女は実際この先どうして生きればいいか真摯に悩んだ そして或る決断に達した 戦地に その報告もしなかった 実際にどこをどう転戦しているのか分からなかったからである そんな折の決断だったが 相前後して恋人の訃報をもたらされた 彼のご家族に迷惑を掛けることを嫌い そこにも行かなかった 自分の実家にさえ 妊娠の事実すら告げないで 訃報があった直ぐ後に 家を飛び出た 彼女のご実家は 多摩でも有名な実業家の家柄であったが 誰の迷惑も掛けたくなかった一心だったそうだ 家を出る際は「何とかして 私一人で生きてゆく不幸を どうかお許しください 逆縁にあったと諦めてください お父様お母様 私を産んでくれて ここまで育てて頂いたご恩 海よりも深く山よりも高く 決して忘れない生き方をします どうか探さないでください」と言うような書置きをして出て来たらしい
 
 どこでどう祖父と出逢ったのか 実際は定かではない 彼女も 自分の身の上には口が堅く かく言う私も ほとんどが父から 伝え聞いている話が多い 彼女は戦後間もなく男児を産んでいるが 大きなお腹を抱えながら ヤミ米を扱っていて 何らかのご縁があって 祖父と知り合い 当社に入ったのではないかと言われている その頃は当家の会社も 爆撃を受けて ガタガタの状態で 人を雇える余裕すらなかったはずだ だが最初から 当家で経営する会社の社員として扱いを受けていて 20数年前の定年退職に際しては きちんと退職金が支払われている 彼女は出産をし 祖母も一緒になって子育てをしたらしい 祖母から この人とは硬い信頼関係で結ばれているのよと聞いた 子育てしながら それからは会社には出ず その後そのまま当家のお手伝いさんになったと
 
 生まれて来た彼は 祖父が祖母と相談の上 認知したカタチで 当家の戸籍に入った 近くに借家を借りて ほとんどみんなで育てたとも言っていた 彼は幼少の頃から 猛烈な教育を受け 現在 単身赴任で NYで仕事をしている 最後南米の或る国の大使になった後 定年退職 NYで最期の仕事だと言って 国連関係の仕事をしているようだ 私にとっては血縁のない叔父に当たる 家族は大勢いて 子供に恵まれ 5人の子を成し 父が 彼女の功労に報い 近くに大きなマンションを買い与え そこで皆さんは過ごしているが 5人の孫達も立派に育ち それぞれに幸せな結婚をしている 確か孫が8人いらっしゃるとか
 
 彼女が一時実家に帰ったのは 一人息子が東京大學を卒業してからであった しかも実父の死に際であったと言う 祖母が付いて行った 先に実母が他界したことを 全く知らなかったとも言われている どんなに詫びたことであろうか 想像するに難くはない 何故帰れなかったか それは 何もかも明らかになれば 戦死した恋人の実家との関係悪化を危惧したからだったらしいが 私はその辺を よく飲み込めていない
 
 たった一度 彼女の感情が際立って炸裂した時があった あの雨の神宮球場で 「生きて虜囚の辱めを受けるな」と訓示し 多くの若者を戦場に送った東条英機が 戦後ピストル自殺を図りながら 死に切れず 巣鴨プリズンで絞首刑にあった無様な その人と 同じ靖国に合祀されようとした時だったと 父は静かに語っていた 泣きじゃくり ただただ英霊に対し無念で 申し訳がないと 彼女の大粒の涙を初めて見たとも
 
 私が子供の頃 彼は既に外務官僚だった 彼女が息子さんと話しているのを 偶然立ち聞きしたことがあった 「いいかい 貴方のお父さんは 知識も智恵もたくさん貪欲に 身につけなさい 友人も数多く作りなさい そしてそれらを全部吐き出して 残らず社会に還元しなさい 出し惜しみなど持っての他だと よく言っていた人だったからね」 私は何の為にそんな話をしていたのか 未だに分からないが その言葉だけは鮮明に覚えている
 
 私の代になって 年が年だから辞めた方がいいかどうかと 彼女から何度か打診があった 私は貴女がいたいと言う気持ちがあったら それを最優先したいと応えた 孫もいることだから 悠々自適の生活もいいのではないかとも進言した 私の顔色を伺いながら 彼女は私にしか出来ないお手伝いがあるかも知れないし 若い子が入って来るまで 頑張れるわと言うものだから 未だにいて戴いている 最近の彼女からの一言 死ぬまでここで働いていたいわ 私も新しい人を雇う気はさらさらない 年齢より 遥かにお元気で 矍鑠として 意欲的だ
 
 たった一度も結婚せず 働きづめの生涯 あの彼岸で 彼と一緒になって 彼女の長い戦後は ようやく終わるのかも知れない 昨日から 準備しておいた彼女が大好物の五目煮豆とふわふわ豆腐と 私が心を籠めて祭り寿司を作り お祝いとしようと思う せめて彼の分まで長生きして欲しいと願つつ
 
    表題口絵 江戸彼岸の櫻 老木でも こうした櫻が咲く (樹齢1600年淡墨櫻の花)
    この美しい櫻が 良寛の歌 『散る櫻 残る櫻も 散る櫻』と 軍部の連中から利用さ
    れた 良寛さんに対しても悪いし 櫻に対しては もっと恥ずかしい限りである
 
 
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