ゴーギャン生涯最期の絵とは

   

 
 
    プロヴァンス地方のアルルはパリと違って 光の満ちて素晴らしい光景が広がっている 絵描きになるからと 弟テオに宣言したゴンホにとって パリでは散々な思いしか残らなかった それもそのはず どうにかして救いたい貧農の農夫家族の絵やミレーの習作が多かったためだ だが次第に個性がもたげて来る 或る切っ掛けで『枯れた向日葵』を描いて ゴーギャンに譲ってから 何となく光が見えていた でも無論サロンなどの審査会を通るはずもなく だから人の薦めもあって アルルでは どうしても勝負をかけるしかなかった アルルに向うゴッホには 希望や理想が激しく燃えていた 仲間を集合させて 芸術村を作る予定のアルル 黄色い家はそんな希望の家だった 知り合いの画家すべてに アルルに来るように手紙を出したが  たった独りだけ応じて 真夜中のアルルの町に降り立った画家がいた ポール・ゴーギャン その人だった 1888年初冬の頃 
 
 ゴッホは唯一自分の絵を理解してくれる友人の来訪に 心から歓喜し歓迎した ゴーギャンを歓迎する為に 10月だと言うのに 生きた向日葵の絵を描いたり 自分専用の椅子より 遥かにいい肘掛のついた椅子を用意していたり キャンバスにする画布を大目に買い それを2等分にしてゴーギャンの来訪を 今か今かと待っていた ゴッホはゴーギャンの来訪に どれほど歓んだだろうか 早速翌朝にゴーギャンをスケッチに誘っている
 
 ところが ゴーギャンの絵の構成は 対象を見ながら 対象だけを描くタイプではなかった 人物や風景を構成し直して絵を仕上げ メッセージ性を高めようとするタイプだった 逆にゴッホは 現実をイノチの有り様まで観ることで モノの本質に 激しく迫ろうとするタイプだった ゴッホは自分の主張を決して譲ろうとしなかった 実際ゴッホは この間に多くの傑作を残している 『アルルの跳ね橋』『ぶどう園』『夜のカフェテラス』『糸杉』などなど そんな二人の隙間風があるにも関わらず ゴーギャンは5歳年下のゴッホによく付き合って 真冬でも 太陽が燦々と降り注ぐアルルの町や郊外を歩き廻ったが 辟易していたことも事実だった 時期はちょうど今の時期と同じ初冬のことだ 絵の主張に ゴッホは執拗に拘り過ぎた ゴーギャンは ゴッホに対し皮肉を籠めた絵も何点か描いている そんな根本的な主張の隔たりは 時にはアブサンを飲みながら 激昂して危なかった そんな危うい二人の破綻は 実にあっさりと訪れてしまう 自分の主張を信じて疑わなかったゴッホは ゴーギャンとの確執を 自分のせいではないと実証する為に 何と自分の耳を切り落とし 存在の実感を ゴーギャンに証明して見せたのだ そしてゴーギャンは去った クリスマスの直前の夜にことであった
 
 その後ゴッホは自ら精神病院に入り 2年後 最期は鉄砲で自殺を図ってしまう 黄色い麦畑に 真っ黒で不吉なカラスが飛びかう絵が ゴッホの人生最期の絵になった まる2日間息をしていたが 当時の医術では如何ともし難く 若干37歳の絶望的な死であった 27歳から37歳まで 駆け走ったように 炎の10年間に 実に3000点の絵を描き残し あっさりと逝ってしまった 1891年1月のことであった
 
 一方ゴーギャンはなすすべもなく パリに戻り しばらく滞在していたが 南海の楽園タヒチに 生来憧れが強く ゴッホ自殺の3ヵ月後 1891年4月にタヒチに移り住むようにした
 
 ゴーギャンと言う男は 1848年の2月革命の時に生まれ 新政府の弾圧を恐れ ゴーギャン一家は南米ペルーに引っ越す だが1歳の時に父親が急死し しばらくいた妻子は1855年にフランスに再び帰って来た その後ゴーギャンはオルレアンの神学校に入り 17歳で航海士の資格を取って インドや南米にも行っていた 普仏戦争には 海軍として兵士にもなっている 兵役を上がってから ゴーギャンは株式仲買人となって成功 スウェーデン人の妻メットと結婚し 普通の幸せな勤め人であった 絵は飽くまで趣味の範囲でしかなかった だが日曜画家としてでも 次第に絵にのめりこんで行った 印象画派展に 何度も出品していたが 妻や子供を実家のスウェーデンに帰して 今度はプロの画家となって生きようとするのだった いつしか ベルナールやドニなど仲間とともに 線で区切る単純明解な絵を目指すボン=タヴェン派を結成し その中心人物となって行った 
 
 そんな折偶々ゴッホがパリで 小さな画廊に掛けてあった『枯れた向日葵』を ゴーギャンが見て ゴッホの力量に驚き それを自分の絵と交換と言うカタチで 譲り受け 二人の交際が始まった
 
 若い頃のゴッホは 神職の父親の後を追い 牧師になるべく 遮二無二 神へ帰依する日々を送るのだが 貧民に対しては 余りにも度が過ぎていた 従って牧師も辞めさせられ 古書店の店員をやったり  色々したのだが どこも長続きせず 最後人を助けるには 絵を描くしかないと思い込んで 絵を必死に描く決心を固めていた ゴッホ27歳の時である 一方ゴーギャンはそれなりの実業家でならしていたが ゴッホには そんな実際生活では何一つ出来ぬままに 精神だけが 一途に絵の道に入っていたのだから 所詮ゴーギャンとは上手く行くはずがなかったのである
 
 1891年タヒチに渡ったゴーギャンは 世俗的になり過ぎていたタヒチに絶望をする 最早世界の楽園ではないと だが現地の若い娘を内妻として抱え 彼女をモデルにしたたくさんの絵を爆発的に描き始める 1893年に その画業を引っさげて パリに意気揚々と帰って来るのだが 絵の評価は 誰にも相手にもされない散々たるものであった 幸い叔父の遺産を相続し アトリエを構えるが 肝心の絵はさっぱり売れず 一度別れてしまった妻子が 再び帰って来るはずもなく 偶々見付けた女性と同棲を始めたものの 直ぐに逃げられ ついに娼婦と関わって 梅毒になってしまう それでも絵を諦めることなぞ 到底出来るわけもなく 再び1895年僅かな残金を手にして タヒチに渡航 でも現地の妻は 既に別の男性と結婚していて ゴーギャンはここでも憔悴し切っていた 妻メットとは 別れていても 文通が途絶えることがなかったが スウェーデンにいる妻メットからも ぷっつりと音信が途絶えしまう 貧困と病気と絶望の淵に アテもなく彷徨う日々だった だが絵を描くことだけは 決して止むことはなかった 哀しい話がある 地元住民に 借金代わりにさしあげた絵は 焚き火として 多くが焼かれたと言うのだ
 
 タヒチの首都パペータには 元々愛想が尽きていたが タヒチから更に南へ60キロ行った島に行き 最期の遺書のつもりで描くのが ゴーギャン畢生の大作『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこに行くのか』を仕上げ 死のうとするのだが 死に切れず 1901年更に奥地1500キロ先の小島マルキーズ諸島アトゥオナに渡り 最期の創作に精を出しながら 薬による自殺未遂と梅毒と感染症に悩む日々が続いた それでも高床式の住まいの部分を『愉しみの家』と名付け 1903年この島で ひっそりと亡くなってしまうのであった 死因はハヴァイキナ病と聞いているが 定かではない 村人の ただ一人として見取る人間はいなかった
 
 ゴーギャンが亡くなった最期のその『愉しみの家』の部屋に 唯一飾ってあった絵は 何と肘掛椅子に 優しく抱かれるようにして描かれた『ゴーギャンの向日葵』であった わざわざフランス本国から 種を取り寄せて栽培してから この絵は描かれたと言われている
  
 
 
  この絵の存在は 私が今年リヨンに行った時に フランス語の美術雑誌で知った もっといい写真があればいいのだが 『美の巨人』で放送されたことがあって その時放映されたままのテレビ画像の絵であるから この程度で我慢して戴きたい 二人の後期印象派の巨星の 正面からぶつかる個性が その後の二人に どう影響しあっていただろうっか 知る由もないが まさしくこの向日葵の絵は ゴーギャン最期の絵であり 改めて哀しみが滾々と湧き上がって来るのを覚える
 
 アトゥオナの墓地に荒れ放題にされていたゴーギャンの墓を救ったのは それから55年後ボンバートと言う画家が 小さなモニュメントを建てて そこで永眠している 今頃あの彼岸の彼方では ゴッホとゴーギャンはあいも変らず 芸術談義で甲殻泡を飛ばして 激しく口論でもしているのだろうか 悲惨なる二人の人生であっても ゴーギャンのこの向日葵で 何かこの二人が救われる思いがするのは 私だけだろうか
 
 我々の人生には 必ずと言っていいほど ライバルと言われる人は 一人や二人はいるものだ 特にオトコにとって必ずいると言っても過言ではない でも地下水脈が繋がっているかのような この二人のライバル関係は 割りとあり得うるのかも知れない 南無大師遍照金剛!
 
        
 
口絵 ゴッホの向日葵(左)とゴーギャンの向日葵(右)
向日葵にそれぞれの種類があって これら種類は別々
に 個性豊かに描かれたものであったろうと考える
 
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