スズシと言う染織

  
  人間国宝『志村ふくみ』の至芸 
               
    <スズシと言う染織>
 

            
                                                                   志村ふくみ作 紬『湖上夕照』
 
 
  体調の都合で しばらく休んだので 清々した所為だろうか 何事につけ 静かに落ち着いて 物事を見ることが出来るようになっている 私はこの休みに 久し振りに志村ふくみの本『一色一生』を読んだ 清水の舞台から飛び降りる気持ちで いつかだったか 或る方が購入した志村ふくみの和服をお借りして しばらく鑑賞に耽る 風合と言い 艶と言い 品格品性と言い あらゆる点で 優れた類稀な芸術家の一人であると思う いつまで見ていても飽きることはない 
 
 
  先ず志村ふくみの略歴である 1924~(大正13~
 
滋賀県近江八幡に生まれる 2歳で父方の叔父の養女となり 少女時代を上海と行き来して過ごす 17歳の時に 柳宗悦(やなぎむねよし)の民芸運動に参加していた実母に初めて機織りを習う 1955年離婚した後 実家の近江八幡で母の指導を受けながら 植物染料による染色と紬糸による織物を始め 本格的に織作家の道を歩き始めた 母と親交の深かった黒田辰秋や富本憲吉らの薫陶を受け 57年第4回日本伝統工芸展に初めて出品して入選 以後伝統工芸展に出品を続けて 奨励賞 文化財保護委員長賞などを次々と受賞 工芸の枠を越えた清新な表現は常に人々の関心を集める 日本工芸会の蕃査員 理事をつとめるが 近年退会 90年には「紬織」の重要無形文化財保持者に認定され 93年には文化功労者に選ばれている エッセイストとしても評価は高い 現在女性では 数少ない人間国宝の一人である(日本近代美術コレクション梗概から 抜粋から)
 
 
 
 嵯峨野にある定家の時雨亭は どこにあったのか分からない 一説には二尊院とも常寂光寺とも言う 私は私の夢で たった独りで守られて来た厭離庵(えんりあん)説を信じたい 厭離庵は非公開の尼寺で 一般人の境内参入を赦していない ただ秋の紅葉時には 古木でも 見事な山紅葉が 真っ赤に燃え上がり 厭離庵の小さな庭先の秋の風情は 京都一ではないかとさえ思われてならない その近くに志村ふくみ邸がある

 

 そんな秋の日 嵯峨野のあちこちの軒先に 嵯峨菊がたおやかな線画を描いている中を歩いて行く 風は微風 広沢の池からの風が 何とも心地いい 辺りは紅葉が真っ盛りで 久し振りに見事な紅葉の年であった たださすがに12月に入って直ぐとは言え 寒さは半端ではない 嵯峨野の中ほど 閑静な住宅地に 志村ふくみ邸がある

 何度か展示会でお見掛けし 或る方が是非にも欲しいと懇願し あらゆる手立てを取って お願い尽くして来た ようやく頂けるはずの着物が出来たとの知らせで 私が代理として志村邸にお邪魔することになったのである 市場にはほとんど出ない彼女の作品は 或る方を通してお願いして来た結果であろう どの着物も 文章などでは ほとんど表現することなど出来るものではない美の高み 究極の自然美とでも言うのだろうか それが手にすることが出来ると言う嬉しさは 幾ら代理の私でも 半面申し訳なさが伴わないわけではないが ふつふつと湧き上がる歓びを どう押さえるか 分からぬままに お邪魔してしまったような気がする

 約束の時間をやや過ぎていた 瀟洒な女性所帯のお宅らしい風情 中から数台の機織の音だけが 静寂に紛れて聞えていた 恐る恐る玄関を開け 少々高い声でご挨拶申し上げると お嬢様であろうか 若い方が応対に出られた 名を告げると お待ちしておりましたと言われ こともあろうに奥座敷に案内された そわそわしながら辺りを見渡すと 床の間に 富本憲吉の器がさりげなく置いてある その先に 隅には柳宗悦の揮毫が掛けてあった 濃い茶を出され 一服戴き掛けた時 にこやかに微笑んだふくみさんが登場した 手には 織り上がったばかりの紬の包みを持っていらっしゃる 

 「随分お待たせして えろぅすんませんどしたぁ」と 言いながら包みを解く

 夏物で 藍を基調にとお願いしてあったので 濃紺の色彩を想定していたが 全く外れさせてくれる 濃淡が実にバランスがいいのである 特に淡い藍色が何とも美しい その中にも様々な色彩が埋め込まれていた 思わず う~~んと唸りを上げてしまった そんな淡い色彩の横線が幾重にも色むらになっていて 開けた瞬間から圧倒されてしまったのだ 細かく見ると派手だが 少々遠目で見ると 実に地味に見える不思議な風合であった ふくみさんにとって 縦糸とは何で横糸とは何なのだろうかと 一瞬想像していた

 仕立て前の 織物を衣紋掛けに さらっと流し 晒して見る よく見ると細かい織柄が 横に這っていて やや透けて見える 夏らしい和服だが 品格とは こう言うことかと 改めて感動して しばし茫然としていた 文章でどのように表現したらいいのだろうか 私には分からなかった 代理でも お役目冥利に尽きると言うものだ

 「これは生絹(スズシ=透ける技法)で 織ってはるさかい ちょっと変わっておまっしゃろ 織柄で 横に走っている淡い藍染めは 甕覗き(かめのぞき)と言いましてなぁ 大袈裟に言うたら 命掛けの作業ですねん 藍の甕が ご機嫌ようないとでけしまへんのどすぅ うっとこの意図通りに仕上がるのは そうでんなぁ これも大袈裟に言えば 一生を通して一度か二度あれば でっしゃろかぁ」傍にいらっしゃった高い地位のお弟子さん筋か 熱心に解説しておられる ふくみさんは ただ黙って微笑んでいらっしゃった 天然自然の色合を頂戴し 感謝の念と謙虚さを忘れずに 植物から僅かに採取した草木の色を染色にし 日本古来の縞や絣の紋様を得意分野にしているふくみさんならではのお顔を見ると まさしく秋篠寺の技芸天そのものの ふくよかないいお顔立ちであった 今回戴く着物の柄は縞 先生は絣も織るらしいが 中に籠める思いのたけの次第で 柄を変えると言う 豊かな感性と想像力を掻き立てて 最後の柄を決定しているのだろうか 平凡な伝統の紋様でも 高く丁寧な技術力で 紬を芸術まで高めた人なのだ 横糸が何よりの証拠であろう つくづく素敵な女性だなぁとは ふくみさんの為にあるような言葉だろうと思われた

 

 酷い離婚をし 6歳と2歳の幼い子を抱え その子供達を養父母に預け さて何をやろうかと 何もやって行く当てもなく憔悴し切った後 ふくみさんは 僅か2歳で養女に出した実母に 逢いに行った そこで色々な方から 敢えて聞いて始めた染織の道だったのだ 実母は日本民芸運動の柳宗悦と昵懇の間柄で 柳から染織を進められた そんな縁でこの道に入った その間どんな苦悩があったのか 想像でしかないけれど それはそれは大変なことであったに違いない 先ず貪欲な読書欲で ゲーテやシュタイナーから 富本憲吉や今泉篤男まで師事 ふくみさんは 砂地に水を撒かれるようにして 次々に吸収して行ったものと想像出来る 彼女自身にもたくさんのエッセイはあるが その前後の本当のことは何一つどこにも語っていない 代々がこの道でやって来た家に生まれ育ったのではない 数え切れない失敗もあったかも知れない 想像を絶する苦心惨憺であったろう 私が そのお使いでお逢いした時は 既に70を超えていた時だったから そこに来るまで 実に40年の月日が流れていた この道しかないと思った時の人間の強さなのだろうか やってもやっても遣り尽くせないからこそ そこから生まれ来る歓びがあると言う そんなようなことをどこかで語っていたように思う 茨の道であろうがなかろうが ただ一筋にやって来られた 純粋に ただひたすらにである そしてついに人間国宝への認定 自然への感謝を片時も忘れてはいない彼女の姿勢 それだけを取り上げるなら ターシャ・テューダーを思い出さずにはいられないが 気丈な方なのだろう そんな苦労を一向に表に現さない 寸部の隙すらなかった

 

 「○○さんが 西行はんや実朝はんがお好きやて聞いてましたさかい 今回は実朝はんの御歌 夏衣 たつきの山の不如帰 いつしか鳴かむ こゑを聞かばや から頂戴しまして なんややる気ぃが出ましてなぁ 性根を据えて造らせてもろたんどすぅえ そやからどないでっしゃろ この着物をホトトギスとお名付けなさったら」とふくみさんが微笑んでおられる 私も軽く会釈をして同意し 仕立ては或るお宅に 能衣装まで扱える三人の婆やがいると伝え 了承を得て 志村邸を辞した 帰り際お嬢様に お金の件はあの方に既に渡してある旨を伝えた とっくに受け取っていたらしく「おおきにぃ・・」 快いご納得を戴いた様子 同意した金額より 幾らかでも大目に足して入れさせてよかったぁと 代理ながら 気持ちよく玄関先に立った 一般的には高額であるが あの手法と手間暇を考えたら 気が遠くなる仕事だ むしろこちらの方が恐縮した

 

  帰り道 荷物をしっかり抱えながら 歩いていると レンタル自転車に乗った観光客の一団が通り過ぎたと思ったら 突然大騒ぎになった はっとして後ろを振り返ると 風花が 天空からはらはらと舞い降りていた 嵯峨菊は無論のこと 大犬蓼も花薄も寒そうに凍えているように見えた だが誰に着せるアテもなく購入したこの紬は 一体誰に着せればいいのであろうか 彼によくよく聞いてみたいものだ
 
 ふくみさんの風合は 日本の情景そのものだ 秋なら紅葉や花薄や月や鳴く虫の音 冬なら柴の扉か花と散る雪 春なら辛夷か山櫻か霞 夏は合歓の花や郭公の声 すべてが日本そのものである 日本に咲く独特の草花を染色にし それをひきつづいて 一貫して丹念に織り上げているのだから 当然と言えば言えるが あの日本人独特の風合は そう簡単に出せるものではないだろう 当て所もなく始めたものであったのかも知れない だが彼女の作品は 多分時代を超えて 後世に残り得る作品を創り続けているのだから 驚愕に値する あの方に嫁でも来たら 袖を通させてあげたいのだろうか そう漠然と思ったが いずれ多くの人に公開した方が良さそうな気がする逸品には 違いなかった
 
 
 この紬は 女性の色香を ぐっと押し込め隠してくれる筈だ 色香とは隠れていてこそ 生きて来るものであろう 甕のぞきの涼しげな淡いの紺地に 所々横糸で 利休鼠や群青や浅黄色や薄紅の様々な色合の絹糸が 念入りに織り込まれている この風合や気品に溢れたこの和服を想像すると 私までが 思わずドキドキして来る 袷は生成りの麻 腰巻は生成りの木綿 半襟は 際どい柄の濃い紫紺に青海波の絵柄か 逆に唐織のような派手な柄か それともあっさり系の無地の白か 帯は特別に西陣の橋本に発注するように忠告しよう 白足袋に雪駄 白地に近い本麻の信玄袋を下げ 日傘は 当然飴色漆の和傘か それを着て貰って 二人で仲良く手を繋いで歩いて見たいのだろう 竹林の冷ややかな通りを過ぎて 嵯峨野の豆腐屋『森嘉』で数丁のお土産用の豆腐を買い 後はどこをどう帰って来たのかも定かではない 様々な想像で 私までが興奮していて いつどのように東京に着いたかも分からなかった 頼りない助っ人だったのである
 
 最近のふくみさんは源氏物語のシリーズで忙しくしていらっしゃる 81歳になられた今日でも 旺盛な創作意欲を持って あらゆる可能性に挑戦し続けておられる由 死ぬ気で「運・鈍・根」を実践し 益々お若くいらっしゃって 私たち日本人には実に誇らしい人だ 彼女から 多くの人が きっとたくさんの勇気と元気を戴いているのであろう
 
 
 玉三郎と珍しい対談 ふくみさんの人となりがよく出ている
 
 話題に出て来た甕覗きについて 吉岡幸雄氏の工房から
 
 
 
 
    志村ふくみエッセイ他の著作
 
  ☆ 『一色一生』全4巻    求龍堂刊
  ★ 『色を奏でる』      ちくま文庫刊
  ☆ 『織と文』        求龍堂刊
  ★ 『篝火 織と文 続』   求龍堂刊
  ☆ 『語りかける花』上・下  埼玉福祉会刊
  ★ 『心葉~平安の美を語る』 人文書院刊
  ☆ 『ちょう、はたり」    筑摩書房刊
 
 
    志村ふくみ・洋子親子共著
 
  ★ 『たまゆらの道 正倉院からペルシャまで』
                 世界文化社刊 
 
  ☆ 『母と子の織物の楽しみ』 美術出版社刊
 
 始終仕事をしていても 仕事はやり尽くせないから面白いと言う エッセイも相当な量と素晴らしい感性で書かれている 離婚後の彼女は その離婚をバネにして いかに真摯に生きて来られたか その成果が 作品であり各エッセイに他ならない
 
<口絵の志村ふくみ作の紬は 然る方が頂戴した不如帰の紬ではありません 文中密かに創作をした部分があることも 或る事情があってお断りさせて戴きたく>
 
     下の口絵は 根尾村の淡墨櫻 樹齢1600年
          朝靄の中の琵琶湖・海津大崎の櫻
 
 
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