金木犀の花が咲いたよ

 
 
   夢を見た この時期どこからともなく漂って来る香り高い金木犀の花の夢だ 夢にまで出るなんて 多分西の方から 既に咲き出しているのだろうか 甘い香りの中を 私は彷徨していた 切なくなって じわりと泣いて あっと我に帰って がばっと飛び起きてしまった ふぅと溜息を一つ 窓辺には ほとんど望月に近い月が見えた 待宵月なのだろう 早く自宅に帰って 手足を伸ばしながら 18日は仲秋の名月である 金平糖や団子や芋の煮っ転がしなんかを揃えて 芋名月をしたいけれど これじゃどうにもならない 金木犀は中国原産で 江戸時代に入った花だと通説があるが 私の見た夢の金木犀は 樹齢千年もある日本の巨木だ 三島大社にある樹齢1200年の金木犀ではないようだ 弟が今回皆様へのご挨拶の中で 金木犀の花のお話を出した 二人で子供の頃から 大きな木を見るのが好きだったから 三島大社にはよく行ったものだ いや正確に言えば 弟を常に引っぱり込んで 二人で見に行っていたと言う方がいいかも知れない 明日弟はパリに帰る 今回のことで弟夫妻は 東京に帰って来てもいいと腹を括り始めていて 何と有難いことかと 嫁さんに何度も何度も確認をした 間違いはなさそうである その弟夫妻と 昨夕話をしている時に 偶々金木犀の話が出て来たから 夢に出たのだろうか 囲いがなかったので 三島大社の金木犀ではないことは確か どこかの地方で観たような覚えがある 月の光を観ながら どこだっけとしげしげと考える 九州の何処かかも知れない
 
 九州南部には白木星が自生している 無論橙色の小さな花だ 白い色の銀木犀もあるが いずれも甘い香りを放ち 金木犀と呼ばれている 道を歩いていると どこからともなくこの香りがして ああ今年も秋になったかと思う 一説には平安時代渡来したとも言われている 中国南部の桂林が原産地らしい 桂は木犀と言う意味で その名が地名としてつけられたと聞いている 雌雄異株で 日本にある金木犀はみな雄であり 花は着けるが 実はならない 以前止むを得ず 京都の山奥の民宿に泊まった時 薔薇とか色んな果実酒があると言われ 珍しいのは 木犀を漬けた焼酎だと言う 薦めに応じて それを飲んだ 素晴らしい香りだった 「女将 これは落花した木犀ですね」と言ったら よくご存知ねと褒められた 落花したのを利用するのが日本式であるからだ 又別な機会に ヒイラギの葉をした金木犀を見つけた時は驚いた そこの主に聞くと ご先祖がヒイラギと木犀で雑種を交配したのだと言っていた 金木犀には まだまだややこしい話が多いのである
 
 私が中学に入ったばかりの頃であった 干支で一回り違う母方の従姉弟が 急に結婚した 私が小さい頃 櫻ちゃん、櫻ちゃんと言っては パリに絵の留学に行っていた彼女が 帰国の都度 必ず絵の素晴らしい画材を買って来てくれた 弟には 科学が好きな子だったので 古めかしい地球儀などをよく買ってくれた 二人とも大好きな人だった 彼女がパリから帰って来て 秋 こんな小春日和の日に 急にNYに嫁いで行くことになった 東京に明りがまた消えたと思った 東京でのお式の日 姉さんにご挨拶をした 「櫻ちゃんお世話になったわねぇ」と言う 私は「又 遊ぼうよね」と屈託なく返した そしたら「櫻ちゃん お姉さんはね お嫁に行く以上 もう帰って来る家はないのよ」とピシャリ 急に哀しく淋しくなって ふらりと式場を出て 庭を散策し その時 金木犀の圧倒的な甘い香りに出くわした モノ凄く切ない香りだった 何故かそこに屈んでオイオイと泣いてしまった 人は死ぬ時だけの別れではないのだと 初めて知った日だった 何故中座したのか 母から叱られた 黙っていると 母は 私の泣き顔を察したのか 「親との別れは 生涯3度 必ず経験するものよ 最初は生まれ落ちる日 つまり誕生して親との別れよ 次はその子が結婚した時 そして最期は親が死んだ時よ 今日のお姉ちゃんとのお別れは それとよく似てるんだからね」と 優しく言って聞かされた へぇそんなものか 私は不貞腐れていた あの日からもう少しで20年経とうとしている 2,3度顔を見たことがあったが 私は2度と近づくまいと決めた そんな偏屈な少年だったかも知れない あれ以来金木犀の花は 激しい哀しみを伴うように思えた 但しこの処 私自身を狭量なオトコだったと思い始め 時々胸が締め付けられ 酷く痛んだ 今は NYの美術館で 主任学芸員を務めながら 未だに絵を描き続けている従姉弟に そろそろ正面きって逢ってもいいかもと思い始めている その分大人になったのだろうか この花言葉は高貴とか気品と言うが
 
  そうそう あの金木犀は 元寇で滅ぼされた倭寇の海賊・松浦党の居城にあった 樹齢千年を越える金木犀だったかも知れない これを書いていて やっと夢の中身が思い出された 玄界灘の海の音を聞きながら 滅び去りし もののふ達の声明(しょうみょう)が 朗々と聞える 海鳴りに 実によく似ているからだ 虹の松原を渡る風も どことなく みなで唱えるお念仏のように聞える あそこは不思議な海の空間がある 百済に味方し白村江のつたない闘いも脆いものであった 元寇も倭寇も 闘いはすべてが虚しい 秀吉の栄華の夢は 汚れた儚さであった 旧日本軍の軍部独走の野望は 最も悪辣で卑劣で極悪だ 松浦党のもののふの生き残りが 思いを籠めて残したと言う樹齢千年の金木犀の花に 彼らは何を託したのであろうか 一切の戦争は すべてが虚しいと言ってくれているのだろうか 永久にそうであって欲しい
 
 詰まらない夢のカケラの話である
 
広告
カテゴリー: 旅行 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中