MOTTAINAI

 
 自宅で静養しながら 日頃貯まっていたビデオを見た その中で最もよかったのは 8月6日ヒロシマ原爆投下記念日に 毎年行われるさだまさしのコンサートだった 長崎・稲佐山の野外コンサートは無料であって 今年で既に19年目を迎えたと言う  イノチの尊さを考えるコンサートと 本人の弁であって なかなか出来ることではない
 
 
 午後3時から始まり色々なゲストが出て 最後にさだの独壇場になる 全部で10曲は歌ったろうか 聞き応えのある歌ばかりだった その中で最も煌いていた歌は『MOTTAINAI』と言う歌だった
 
 
 ワンガリ・モータイさんはアフリカの地に 3000万本以上の植樹をして ノーベル賞を頂いたことは記憶に新しいと思う 彼女が日本に来た時に 記者会見席上 ある記者から 日本にある「勿体無いって言う言葉を知っているかと問われて その意味を初めて知った彼女は モノを粗末にしない 使えるうちは どんな修理を重ねても徹底して使い切る 大切に思うこころ 古き日本人が持つ 素晴らしい 感性のそんな勿体無いの考え方に 彼女は大いに感動したと言う それから国連で挨拶する時も なるほどそれを声高にしゃべっておられた 世界中に MOTTAINAIの思想を大いに広めて行くと意気込みで 現在世界中に 彼女が始めたMOTTAINAIの語彙が氾濫し 運動を展開中なのだ さだは そのMOTTAINAIを 自分なりに応援したいと言って 軽くカントリー風の歌が始まった
 
 
 食べ残しは勿体無い 修理するより新しく買うなんて勿体無い 普通の勿体無いで始まるのだが 次第に曲調が変化して行き 熱気を帯びて来るのだ そして愛して欲しいのに 自分から愛さないのは勿体無い 愛が溢れているのに 心を閉ざして勿体無い 世界は愛で溢れているのに 勿体無いと続いて行く 親が死ぬ気で生んでくれたのに イノチを粗末にして 勿体無い 充分な身体に恵まれていて 働かないのは 勿体無い ありあまる愛に気づかないなんて 勿体無い~~と 勿体無いが 何時しか 完璧な人生の応援歌であり 愛の賛歌になって行くのだ その見事な熱気を帯びた上気して行く演奏に 私は溢れる涙を抑えることなど まったく出来なかった 凄い歌だった
 
 
 更に歌は続く 『舞姫』も素敵な歌だった ある日旅人に たった一度の恋をした舞姫は 彼が必ず帰って来ると信じて 誰に心を動かすこともなく 待っている 待っていることが人生だと 待つことがなかったら 恋は終わると 滔々と歌い上げるのだ その後『修二会(しゅにえ』もよかった これは完全なロック そして出て来る語彙は ほとんど歌には不向きだと思える 奈良・東大寺のお水取りの場面が歌い上げられる 良辨椿(ろうべんつばき)とか 韃靼(だったん)とか 東大寺や修二会に関する専門用語がバンバン出て来るのだ 耳を澄ませて聞く すると 道ならぬ男女が このお水取りに来て 最後の逢う瀬なのか 天もこげよと舞い上がる松明の火柱に いつしかオンナの姿は消えてなくなっていると 切ない歌であった 驚くべき創作能力 春浅き 花未だしの弥生三月 お水取りに 鮮やかな男女の別れがあり 抜き差しならない情念を 何とか清めてくれと 祈りにも似た思いの モノ凄いロック調の歌であった そして最後は『広島の空』 続いて最後に『長崎の空』を歌って コンサートは終了した 感動の4時間近い録画
 
 
 私は さだは嫌いな歌手だった 人の哀しみに付け込むようで嫌だった 父は洒落た歌手が好きで よく陽水や小田和正を聞いた 母が さだの信者だった コンサートがあると 二人ともワクワクして それぞれに出掛けて行ったことを はっきりと今でも憶えている それでは何故私が さだを好きになったのか しかも劇的であったが 意外にも母の影響ではなかった 父が死に 直ぐさま母が後追いをするように亡くなって間もない頃 私は跡継ぎで 急遽社長に据えられ 最も苦労を重ねている時だったと思う 慣れない仕事にウンザリとして ようようと自宅に帰り ビデオに撮ってあったBSを ただ漫然として見た 好きな番組は必ずビデオに撮っておく癖がある 『世界・我が心の旅』 さだまさしの登場だった さだは中学になると 直ぐ東京へ出て来た ただでさえ貧乏だった家の長男に ヴァイオリンを買い与え しかも日本の中心で修行させると言う親だ 後にさだは そのヴァイオリンで真っ暗な闇に蹴落とされるような挫折を味わうことになるのだが その後色々なことがあって 割りと早い時期にデビューを果たし 『精霊流し』で絶大な成功を収める しかしさだは 親が買い与えたヴァイオリンを 肌身を離すことはなかった ヴァイオリンに 銘が書いてある 父は有名な製作者のものだと言ってあって さだはそれを頑なに信用していた ビデオは その銘を頼りに イングランドへ渡り 製作者を探し出すと言うものだった 色々と詮索した結果 これはアイルランド製ではないかと言うことになり アイルランドに渡る そしてそこでアイルランド民謡の一団と出逢う ヴァイオリンはアイルランド民謡にとって必需品で よく素人の名もない人が制作を続けていると言う ようやく銘によって その製作者が割れる 息堰切って急ぐさだ ところが既に その制作者は他界してしまっていた 彼の墓地へ向かう哀しげなさだ そこでさだは 父の形見のヴァイオリンを取り出して 万感の思いを籠めて 弾く その時である 私は 初めてさだの真実に泣いた さだに泣けた それが彼に泣いた最初だった
 
 
 程なく小説『精霊流し』を読む 苦労を重ねながら ヴァイオリン奏者として踏ん張り 夢叶わず 故郷長崎に帰ってしまう 中に 例のヴァイオリンが質屋に質入れされる場面も登場する ほとんど自伝的小説だったが この作品で 私は さだをすっかり信用することになったのである 更に『解夏』では ベーチェット病で間もなく失明する男が主人公だ 最期に見たいものは 故郷長崎のすべての風景であった 時を惜しむように 恋人と歩き回る やがて夏が過ぎ 精霊流しが終わる頃 運命の失明になってしまう 処が何と不思議なことに 失明することによって 病いは治ってしまう 前向きな恋人との別れ 切ないけれど どことなく明るさを漂わせていた 小説『眉山(びざん)』では 徳島を舞台にして 癌病棟で苦しむ人に 底抜けの明るさを与えていた 小説『秋桜(あきざくら)』では フィリッピン出身の女性の話で まさに一人の女性の真実が詰まっていた 小説『水底の村』では ダムによって故郷を奪われた人達が 肩を寄せ合って逞しく生きて行く 小説『サクラサク』では 父親がムカシ見て感動をしたと言う櫻を探しに出る 家族の愛が描かれていた すべての作品は あの多忙な男が間違いなく 自分で書き そして発表すると言う離れ業なんだけれど それが次第に旨みを出して行って まだまだ興味が尽きない 過去だけにこだわってはいない 過去があって 現在大勢の人達に囲まれて やがて少しでも 夢未来が 仄かに暗くとも 見えて行くと言う一貫した手法だ そう言えばあの精霊流しの歌に そのすべての原型があるのかも知れない
 
 
 「去年のあなたの想い出がテープレコーダーからこぼれています~~」と過去の人を思い出させるように 一気に聞き手を引き込んでしまう そして次のフレーズに「あなたのためにお友達が集まってくれました~~」となるべく大勢の脇役を登場させ 賑やかになる 決して淋しい哀しいだけの曲ではないことに気づく 過去から現在へ そして遥かなる未来へ さだの歌の多くは その手法であり 彼の生理的な作家としての素質が 充分に表現されていたのだった まだまだ楽しみな吟遊詩人のさだまさしである
 
 
 しばらくぶりに 母が夏場に着ていた 沖縄産芭蕉布で織られた浅黄色の和服を 引っ張り出す 広間に広げ しみじみと見ている あの歌に合わせて買ったものかどうかは 今は知るすべもない 生地に 顔をつける 母の匂いや真っ白な肌の温もりを思い出す 浅黄色の和服が似合う人は そうそうざらにいるものではないと この和服を着て ナツツバキの白い花の脇を通る母を思い出して はらりと涙がこぼれた 「お母さん 御免ね 貴女が大好きだった無縁坂や精霊流しを 一緒に歌ってあげれなくて 情けなかったね 御免なさい」と思わず 口走った
 
 
 外は台風の予感がする風 そして今日はあちこちで 地蔵盆の日である 今では仏教の色彩が濃い行事になってしまった 或る坊主が地獄で苦しんでいたのを助けられ お地蔵さまにすがって そこから新しく生まれ変わる 蘇生再生の日が 8月24日だと言う 旧暦7月1日から始まるお盆の打ち上げの直会(なおらいと読む=お礼・ご苦労さん会)の意味が濃い もともとは民間習俗の行事の一つだ その最大の直会は あの越中八尾の風の盆であろう 又母を捜しに あの小さな町へ行こう 酔芙蓉の花を咲かせて 待っていてください
 
 
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