今宵 水盤の満月に叫ぶ

  

                                                                                                               処暑の名月 ’05
 
 
   今宵満月である 仲秋の名月にはほど遠いが 処暑の名月か 夜半の風がようやく涼しく この大都会のど真ん中でも 静かである 六本木も銀座も渋谷も 直ぐ近くなのに この辺は静かで あの喧騒はウソのようだ そして この満月を見ると 高野山で催される満月の会を思い出す ご本尊の大日如来さまは きっと満月に 仏法の功徳を見たに違いない 丸いことは ことごとくいいのかも知れない 又備前の水盤を出して 水を張り 満月を映し出し 綺麗にやや西の方角から昇り 今は真上に見えている 水盤では狭いのかと 独り問い質す 昼買っておいた女郎花と吾亦紅と薄と桔梗の花々を 萩焼の太めの鶴首に 差し入れた 夕刻作っておいた駄々茶豆のズンダと御神酒もお供えした 何となく月見の宴になったではないか
 
 それにしても お盆でやって来た彼岸の人達は 道中無事に帰ったなぁと 水盤の満月を見て思う 有難い 又逢おうね と そっと言い 月をしみじみと 今度は仰ぎ見る 煌々と照り まさにこの状況で 羽衣の出にあたる 序の舞の一つも舞いたくなると言うものだ お盆はいい 実にいい習慣である 更に様々なことを 月は思い起こしてくれる あの人この人 あんなこと 走馬灯のように 揺れながら 浮かんでは消え 消えては浮かんで来る 人生は長いようで短い 短いようでいて長い
 
 ポーランドにある老女が住んでいた 彼女はあの悪名高きアウシュビッツの塀の中にいた 楽器が出来た為に 彼女の命は奇跡的に助かって 戦後55年も生きて来たのだ 
 
 何故助かったか 収容列車から降りて直ぐ 仕分けをされ 何もせず ただ真っ直ぐにガス室に送られる病人や老人や子供達を これから楽しい処に行くのだと鼓舞するように ミニオーケストラで演奏するための彼女だった アウシュビッツ親衛隊が ユダヤ人の仲間を強制的に募って 楽団を結成させ なるべく勇ましい音楽を奏でさせたと言う 彼女はその楽団の一員であった そして大勢のユダヤ人が送られて来る 列車とガス室の中間地点で 死に行く仲間達へ ひたすら楽器を鳴らし続けた 来る日も来る日もだ 何故そうやらされたか 彼女はとっくに分かっていたが 自らも常に危うい状況であり その時その時を生きるのに必死であった 彼女の証言によると 恐らくは何十万単位の人々を相手に ガス室へ行くための演奏を続けたと言う
 
 幸いにも ドイツが降伏し アウシュビッツがアメリカ軍によって開放され 運よく彼女は助かった 団員全員で18名ほどだったが その中で開放され生きて収容所を出られたのは たったの3人でしかなかった 彼女は故郷ポーランドに住むことになる 身寄りもない 生き残った人との交流が 偶にある程度だった 年金だけのささやかな暮らし ただ彼女もそうだったけれど 他の団員も楽器を固く封印していた 祭りの時など 街を通る楽団にも耳をふさぎ 一切音楽とは縁を切ってしまった
 
 ある日 この世の見納めとばかり 仲間の老人から説得をされ 思い切って音楽会に行こうと決心をした 考えに考えた末のことだ 会はドビッシーの『月の光』 会場に入る 華やかな着飾った人達 その中でよれよれの洋服を着た老女達のグループ 緊張した面持ちで 彼女達は座っていた そして演奏が始まる と その時である あっと言う叫び声を張り上げ あの彼女は一目散に会場を後にしてしまうのだった やはり音楽を一切受け付けさせない 厳しいトラウマがあった
 
 アウシュビッツで犠牲になられた同じユダヤ人の墓地に 花束の一つも捧げらずにいる 行けない けど行きたい苦しみ 音楽も聞くことはない弾くこともない辛さ 日に何十回も聖書を 繰り返し読み続けながら 静かに強く問い掛けた あの時あの場所に 神はおられたのですかと それが旧約聖書を読む 彼女の隠しき切れない動機であった だが片時も 聖書を手放すことはない 仲間はベランダにある小さな花々だけ そして運命の時 ようやく静寂が彼女を包む 邪悪な世界との決別の時である 彼女は亡くなった 満月の夜だったと言う
 
 その老女に どんな救いがあったのか 皆目検討がつかない だが今宵の月は 彼女の心底を どこまでも聞いてくれそうな気がする あの長きに渉った自責の念と贖罪の彼女を きっと満月はやさしく見てくれていたのだろうと 私はすっくと立ち上がり 深々と頭を垂れ それから月に向かって 気合を籠めて祈った どうぞ神さま仏さま 彼女の魂をお救い下さりませと
 
 満月は実にいいものだ オルドリン飛行士が月の表面に立ったところで 月は月である 顕照(けんしょう=月が煌々と照るさまを言う)と言う一字で 満月のすべてが表現される みな救われるような気がして来る 切に合掌!
広告
カテゴリー: 歳時記 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中