その傷から貴女の優しさがしみてくる

 
 
 
    その傷から貴女の優しさがしみてくる
 
 
 多くの人々が 星野富弘さんの詩画集を見たと思います けれど私は 縁があり過ぎますから このブログで 彼を取り上げない訳には行かないのです 話は変わりますが 私は日光が大好きで 年がら年中日光の風景を描いているのですよ その風景を描くのに 以前は小田代ヶ原まで クルマで行けたのですが ランドクルーザーが流行りだしてから 森の中には ぴたりと入れなくなってしまいました そこでトコトコと森深く入って行きます ただ100号くらいの大きなキャンバスになると もうどうにもならなくなります そこで勢い小さな画布になってしまうのですが 秋 小田代ヶ原の草紅葉など 写生に出掛け まだまだ描けない苦しさで 打ちひしがれ帰って来るのがほとんどなのです でも 帰りには 必ず寄りたくなる ある場所をお教えします 東村の星野富弘美術館のところです
 
 開館してから ずっと通っています 今回オープンしたのは新たに全面的に新築された美術館で ようやくこの春開館したばかりのピッカピカの美術館なのです 勿論このブログの読者の多くの方は きっとご存知だろうと思います ただ何故改めてと申し上げますと 私自身が 絵のこころを改めて知りたいと言う一念がいつもあって 私には師匠もいたし 五体満足でもあるし 技術的なものはないわけではありませんが ただ一つ大事な何かが足りないと思うことが 凄く多いものなので そんな迷いがあった時は 日光からの帰り道でもある富弘さんの美術館に 本当によく寄ったものでした そこでは 富広さんが 何か一番大事なものを こそっと教えてくれているようで 又そう信じて 今まで何度も何度も足を運んで来たのでした
 
 星野富弘 1946年4月  群馬県勢多郡東村に生まれる

        1970年4月  群馬大学教育学部卒業後 

                  高崎市立倉賀野中学に体育の

                  教師として赴任

           同年6月 クラブ活動中 受傷(頚髄損傷)し手足

                  の自由を失い 群馬大学病院に入院

        1974年12月 病院内で キリスト教の洗礼を受ける 

        1979年5月  前橋市で初の作品展が開かれる

        1979年9月  同大學病院を退院

        1981年4月  結婚

        1991年5月  東村立・富弘美術館開館

          (現在入場者数 300万人を記録し 続けている)

 
 ざっとそのような略歴なのですが たった2ヶ月の教師の経験しかないんです クラブ活動の時の不慮の事故で 全身が言うことが利かない状態になり それから実に25年余 今日まで生きて来られました 全身不自由なままの生活で 最初は言うに言われぬ苦しみを経験したようです その苦しみの中で 僅かに生きることを赦された日の午後 病院内で洗礼を受け 少しでも生きる意味を見つたかったのでしょうか まったく身体が言うことを利かない分 口を開け 最初はよだれをたらしながら 口にくわえた筆を走らせ 絵や文を表現しようと躍起になるのでした それら書かれた内容の全容を ここで伝えることが出来ないのが 甚だ残念でありますが この美術館を 是非一度は訪れて頂きたいものです 迫力ある花の絵や それに符号させた詩に 人は必ずと言っていいほど 感動して泣いてしまうんです 小生も何度行っても必ず泣きます 
 
 不慮の事故にあって9年間入院して 入院中から筆を口にくわえて絵や詩を描いたのですが その文や絵で 多くの人々に 多大な感動を与え続けている彼は「苦しみに会えたことは 私にとっては しあわせでした」と聖書そのものの生き方をされてるのです ところが最初聖書を開くのに 相当な抵抗があったようですね 「あいつは苦しさのあまり とうとうキリスト教と言う神様にまで しがみついたのか」と言われるのが目に見えていたかららしいのですが そこを勇気を出して富弘さんは 聖書を開きました まだ描き始めて間もない頃の 蛇のようなニョロニョロ字で その折の文章を書き残しています 「思い切って イエス様の名を呼び 聖書を開いてみました そしたら 長い間苦しみながら 探していた 私に 語りかけてくれる言葉に会うことが出来ました 上を向いて寝ている私の眼にうつるものは 天井の七十枚のベニヤ板だけではなくなりました その灰色のつぎ目さえ 私達のために 血を流された 十字架に思えます 楽しい時に感謝し 心の沈んでいる時 名を呼べる方が 今までなかったよろこびです 主のおしえにしたがい 苦しみにさえ 感謝出来る日の来ることを信じています」(原文のまま) それから堰を切ったように 絵や詩があふれ出して来たのですから 驚きですね
 
 百日草の絵    「そこに2度と来ない 今日というこの日 この一日を
             百日のように生きたい」
 
 姫紫苑の絵    「いつもの道を歩けば いつもの白い花 今日はだれ
            も 憎まなかったよ」
 
 れんぎょうの絵   「わたしは傷を持っている でもその傷のところから あ
                         なた のやさしさが沁みてくる」
 
 がくあじさいの絵 「結婚ゆび輪はいらないといった 朝 顔を洗うとき 
            私 の顔を傷つけないように 体を持ち上げるとき 
            私が痛くないように 結婚ゆび輪はいらないといった 
            今、レースのカーテンをつきぬけてくる 朝陽の中で 
            私の許に来たあなたが 洗面器から冷たい水をす
            くっている その十本の指から 金よりも 銀よりも
            美しい雫が落ちている」
 
 水仙の蕾の絵  「幸せ という 花があるとすれば その花の 蕾のよう
            な ものだろうか 辛いという字がある もう少しで 幸
            せ に  なれそうな字である」
 
 クローバーの絵  「はしゃいでいるとき どこかで もう一人の私 泣いて
            いる 淋しいとき どこかでもう一人の私が笑っている 
            逢いたいなぁ もう一人の私」
 
 れんげ草の絵  「ちかごろ 花をふたつ描くことが 多くなった 妻よ ひ
           とつは おまえかも しれないね」
 
 などなど 膨大な作品群があって 館では 何度か展示換えもするようですが きっと見に行かれた方は 自分に似合う絵や詩などとめぐり合いがあるはずなのです 琴線が ゆるりと解き放たれ きっと見る者を感動に誘うことでしょうね
 
 
 入院中前般は お母さんの看病が多かったのですが 長い闘病生活の中で 何度も見舞いに来てくれた方と 縁があって 富広さんは結婚をします 彼の奥様は 身体がまったく自由が利かない方との結婚を 何故望んだのでしょうか それだけでも 実は感動なのですが 今や富弘さんと仲良く 東村で暮らしながら 日夜創作に励んでおられるています 是非一度は 富弘美術館に訪れてみてはいかがでしょうか
 
 
   口絵は 富弘さんの絵と詩の一部です 直筆の絵の中にご本人
        の 現在の顔写真を出しました いい顔をされています
        バックがエメラルドグリーンの絵が れんぎょうの絵です
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