吊り忍 涼しき

 当家には風鈴がなっていると いつぞや申し上ましたが 今掛かっているのは 吊り忍(つりしのぶ)です 風鈴に水蘚など絡み合っていて いかにも涼しさを醸し出してくれます ここ数年同じ吊り忍です 風鈴は南部産でいい音がします これには一日何度か水をやらねばなりません 手が掛かるのです
 
 人も手が掛かります いえ一番に掛かるかも知れません 忙しい合間を縫って 能の稽古に出向きます これも手が掛かるのです あやふやに10年稽古したものと 一所懸命に3年した人では 遥かに10年の人の方が上手なのですから 奇態なものです 今年の発表会では 私に仕舞はあ
りません ただ謡を 二人一組で謡う出番があります 一人はシテ もう一人はワキの役になります 舞台上で 二人で掛け合いの素謡(謡だけすること)をやるのです 今年はあの難曲『定家』に挑もうと言うのですから 大変です 多分現存する謡曲の中では 最も長い上演時間でしょう その全曲を謡うとなれば ゆうに3時間近くは掛かるでしょう よくしたもので 今回はそのほんの触りだけで 許して頂けそうです
 
 時雨の亭(しぐれのちん)で 雨宿りをする二人の僧(ワキ)が出ます そこへ一人の女が現れます 時雨の亭主の話を出し 何やら訳ありの女ででした 女はそこにある石塔を供養する日だと言う 出来れば供養をしてやっては頂けないかと 女の誘いにひきづられて行く旅の僧 随分蔦が絡まっていますね 一体どなたのお墓ですかと僧は聞きます すると女はそのお墓の主だったのです 式子内親王のお墓で 女はその亡霊でした 女は その蔦について 語り始めるのです 蔦は定家卿の蔦で 女の墓とは式子内親王の墓だと言い その二人の恋の物語をするのです 式子内親王のもとへ足繁く通うのが 定家卿でした 激しい恋の二人です ところが そんな二人に 人々から噂話が広まってしまうのです 二人の仲は 土台無理な話でした 後白河院の第三皇女である式子内親王と
公家の単なる次男だった定家と添遂げられるはずがないのですから しかも賀茂神社の斎院だった式子内親王とは 殆ど無理な二人だったのです 困った二人は 完璧に逢えない仲に引き裂かれてしまうのです 逢えない仲になった恨み辛みを歌に託す定家と式子内親王 それを受け止められず 悶々とする日々を過ごす内親王 そんなある日内親王は突然死んでしまうのです 嘆き哀しむ定家 そこで蔦となって 内親王のお墓に纏わり着く蔦となる定家でした そんな物語を終えると舞台中央にある 茶色の作り物(お墓 天辺に蔦の葉が繁っている)の中に入って行ってしまうのです (定家蔦と言われています)
 
 そこまでは前シテでは ただの女ですが 間狂言(前シテと後シテの間にアイキョウゲンと言う短い狂言が入る)が終わると その中で 後シテの衣装と面が変わるのです 面は前が若女ですが 後シテは泥眼と言って 眼に金粉が施されています 金粉が眼に入って 塗ってある面はすべてこの世もモノではないと言う約束があります ただこの物語にはまったく定家は顔を出すことはありません 定家を語りながら 出て来ないと言う難解なストーリーなのです
 
 後シテは前シテと同じですが 正体を現して来るのです 後シテは舞装束で登場しますが 蔦のしがらみから解き放たれたいと願うのです 僧侶は読経をします 熱意のある読経によって不思議蔦の呪縛から ようやく解き放たれるのですが 一夜明けて 朝になると 又再び 定家の蔦にからまれてしまうのでした 解き放たれた時の後シテの恍惚の序の舞(最も静かな舞)が美しく 舞う美しさは この曲の魅力になっていますが だがげに恐ろしきは 定家の蔦と言い残して 僧侶は立ち去ります これは夢現能と言われる能で 最も難しい曲の一つなのです 私はその最後の怨念がついて巡るところを謡います 後シテと言うことになるのです
 
 そんな秋のことを ただぼんやりと考えながら ツタのようにシダが覆う風鈴 吊り忍の音色を聞いています 吊り忍(つりしのぶ)とは シダ類シノブ科の多年草シノブの根茎をまとめた忍玉に 風鈴をつけたものですが 当家では何年か掛けて 立派な重厚な形にしたものです すべてお手伝いさんがやったものですが 涼しげな感覚は何とも言えません これもなかなかここまでは成長しないのでしょう 
 
 ふと世阿弥が言う 『初心忘るべからず』と言う言葉を思い出します初心とは漠然とした夢ではない 初心とは稽古を指して言うことである 稽古を おさおさ忘れるでないと言っているのです 具体的で重い言葉ですね
 
 
              口絵    右 前シテ 若女(わかおんな)
                     左 後シテ 泥眼(でいがん)
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