二人のカミーユ

 7月の祭りで熱くなったこの身体の火照りを直すには 少々静かにしていなければなりません 私は不図考えます 感動屋の私がこれまで色々なことに 随分と感動して泣いたものですが 女性の不幸の話は多彩にあって 私は困ってしまうくらい多いのです 中でも 思い出深い二人がいます 同じ名前の二人のカミーユの話です 今宵はその話をしましょう 一人は以前書いたロダンの弟子であり恋人であるカミーユ・クローデルですが もう一人のカミーユはモネの最初の妻となったカミーユ・ドンシュウのことです
 
 今日はモネの話を中心にします モネは1840年にパリで生まれるのですが 5歳の時 セーヌ川河口の街ノルマンディー地方のル・アーヴルに移り住みます 少年期のモネは傲慢で思い上がりの激しい子供でした 勉強は大嫌いで ほとんど出来なかったと言ってもいいほどです 然しそんな少年にも たった一つだけ特技があったのです 似顔絵でした 当時の有名人の顔を皮肉たっぷりに描いて 言わば風刺画に近い絵だったのです街の時計屋に その絵を飾って貰うのが何よりも嬉しかったのです そんなある日 突然モネに転機が訪れるのです 風景画家ウジェーヌ・ブータンとの出逢いでした モネの才能を すぐさま見抜いたブータンは 盛んに風景画を進めました モネ18歳の時です 忽ち風景を描ききり 得意満面なモネ 翌年にはブータンの勧めによってパリに行き 美術学校に受験するのですが ものの見事に失敗に終わってしまいます 帰って来いと言う父親の進めに 一向に耳を貸そうとせず モネは頑固に パリに拘るのでした 父親からの仕送りを停止されます 生活は困窮を極めますが ある画熟に入り そこでルノワールと知り合うことになるのです 実はこの時期は モネにとって最も大切な時期だったのかも知れません 間もなく『オンフレールのセーヌ川』で 初めて入選します 時に30歳でした 
 
 実家には帰れない だが風景を描くには 故郷が一番よかったのです 何故かと言えば そこに恩人のブータンが依然として 風景を描いていたからでした 多くの借金の申し込みをした街だったせいもあり 直接ル・アーヴルに行くのを避けて 対岸の街オンフレールに落ち着きます それから気違いになったように 近くのエトルダの海岸などを描きまくります モネの描き方はほとんどこの時期にモノにしたと言ってもいいでしょう
 
 今日のお話はその直ぐ直前からです 一人の女性と知り合ったのです それがカミーユ・ドンシュウでした カミーユはモネの支えになりました ヴェトゥユに移り住んだ時 モネは両親の反対を押し切って 彼女とさっさと結婚しています カミーユは散々な苦労をして生活を成り立たせて行きます それでも尚困窮したモネはアルジャン・トゥイュに移り住むのですが そこでも家賃など払えず 苦しい生活の連続でした その時です 僅か9年後カミーユは力尽きて死んでしまいます 2男を残しました 身内の参加もないまま カミーユはヴェトイユ村の丘の上に埋葬されます その直前 彼女の死の顔を モネは必死になって油彩に描き映します 身内の死こそ 2度と逢えないことかと思い知らされる死だったのです
 
 ところがこのカミーユが病床にあった時 モネは実業家夫人と激しい恋をしていたのです カミーユの死の床で モネは一体何を思ったのでしょうか その後のモネは 腑抜けにでもなったように 見る見る色彩が色褪せて行きます やはり苦痛が シンシンと染み渡ったのでしょう
 
 日傘の女は実は3枚あって 最初はカミーユをモデルにして描かれているのですが 皆さんがご存知の日傘の女は その不倫相手の女が第二の夫人となるアリスの 二人の娘だったのです 然しその日傘の女はやはりどうしてもカミーユに似て来るのでした モネは考えます そして何故似て来るのか憔悴し その結果 顔に表情をつけないようにしたのでした 後の二枚がそうです カミーユとの間に2人 アリスとの間に6人の子供を作るのですが モネは結局終の棲家としてジヴェルニーに移り住みます そこで日本式庭園を造り 池に睡蓮を植えます 40歳余の時移り住んでから 約40年間 最期86歳で亡くなるまで そこを出ることはなかったのです ジヴェルニーの庭で 睡蓮の絵を実に数百枚も残しています 睡蓮の花が咲く水底に モネは何を見たのでしょうか
 
 サロンとは 新しい画家を受け入れない集団でした モネは非サロン化を目指し画家仲間と印象画展を開催します その展覧会で『印象、日の出』が大絶賛を博します 新しい絵のウェーヴの誕生した時でした その絵はル・アーヴルの対岸の街で描かれているのですが この絵こそ カミーユの
協力と支えがなかったら 生まれることは 先ずなかったことでしょう
 
 今日のポイントはモネの業です ロダンの業もそうでしたが 奇しくも相手は二人のカミーユだったのです モネは不倫をしながら絵を描き続け ロダンは激しく結婚を迫るカミーユに 冷たい仕打ちしかしませんでした 内縁の妻の元へ帰ってしまうのです ロダンのカミーユは その後30年間精神病院で過ごして死にます モネのカミーユはただ犠牲になって果てるのです どちらとも哀れでなりせんが その時代のせいもあったのでしょう 男性本位の社会だったからです 女が芸術することなんて トンでもない時代でした まして戸外で絵を描くなんて あり得ない話です モリゾと言うその時代の女流画家がいますが いかに優れていたか 或いは反逆の女であったか 充分お分かりでしょう 戸外で描かれたさくらんぼの絵が最も有名ですね 彼女とは違って その二人のカミーユは 男から運命を左右された女です 今ではあり得ない話なのでしょう
 
 女性は美貌の保つ期間を考え 他の男に心を動かすことは 実は罪ではないのかも知れません それは充分に考えられるのですが 男には今や浮気をする理由も自信も 完璧にないでしょう 男女同権になり それが 現代で大きく変化したと思われてなりません いえ それが哀しいとか嬉しいとか言うことではありません 私の飽くまでも私見です
 
 パリ中心街サントレ地区のコンコルド広場の直ぐわきに オランジェリー美術館があります モネが最期の八年を掛けて描いた睡蓮の絵が ぐるりと回廊になっています この時の感動は決して忘れられません 同時にあの村の頂きにある 誰も来ない 小さな鉄柵で囲まれたカミーユのお墓を思い出していたのです モネの睡蓮の回廊で 私は思わず泣きました ル・アーヴルには モネの痕跡は現在ありません アンドレ・マルロー美術館はありますが 何もありません ルーブルとオルセーとオランジェリーとマルモッタンの各美術館に モネの絵はあります だが私は あのカミーユのことを思い出さずにはいられなかったのです カミーユのお墓に ささやかに 線香を焚き 般若心経をあげてまいりましたが それはカミーユのどれほどの慰めになったのでしょうか 疑問に思いながら 一心腐乱に
 
 
          口絵 四国北川村にあるモネの庭に フランスから
              寄贈された 青い睡蓮の花
 
              印象派展に出品された『印象、日の出』
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