夾竹桃(きょうちくとう)の花が咲き

 夾竹桃の花が咲き 梅雨明けの天空高く さやさやと花が咲き乱れている 公害にも強いこの花は大渋滞の車列を尻目に 鮮やかな薄紅色をしていた 
 
 昭和10年7月1日 この日太宰治は内妻小山初代と一緒に船橋の駅頭に立った この年太宰にとっては思わぬ屈辱と挫折感を味わうことになる 第一回目芥川賞の発表を心待ちにしていた太宰に 何と落選の通知が来たのだ 特選に選ばれたのは石川達三の『蒼氓』であった 分が選ばれるものと信じて疑わなかった太宰の憔悴ぶりは 計り知れないものとなったのである パビノール中毒や貧困が始終太宰を苦しめていたが この落選の通知こそ 船橋で知ったのだった その後太宰は この船橋の家で『ダス・ゲマイネ』『虚構の春』『狂言の神』など 初期の傑作を生んでいる 更に『めくら草紙』『喝采』『黄金風景』がここを舞台にし最後に『人間失格』の締め括りに登場させているのだ 生涯20数回の転居を繰り返した太宰が 最も愛着を感じた船橋の街に 現在は太宰の石碑が 夾竹桃と一緒に建てられているから 紹介しよう
 
 太宰治「15年間」より/たのむ もう一晩この家に寝かせて下さい、
 玄関の夾竹桃も僕が植えたのだ、庭の青桐も僕が植えたのだ、と
 或る人にたのんで手放しで泣いてしまったのを忘れてはいない
 
 何気ない夾竹桃 誰しも愛でることがない花かも知れない だがこの花にも 花らしい伝説があるのも忘れてはならない
 
 地の神の娘白妙姫は 肌が真っ白の娘だった 美しい白妙姫に神々が次々に言い寄って来る そこで父の地の神は 植物の若い神を選び婿として 白妙姫に引き合わせようとした やって来た植物の神は一目見るなり「貴女の白い肌は私の好みではありません 生きているとは思えないからです 私は夾竹桃の花のようなほのかな紅色がさすまでは ここにはやって来ません」と言い残して去ってしまったのである 愕然とした親子は泣き喚き ただおろおろと哀しむばかりであった 白妙姫は痩せ衰えるばかりである 父の地の神は娘が哀れでなりませんでした そこで父は天帝に このことを告げ 相談をしました 何とぞ大いなるご慈悲をと願ったのだ 天帝は これでは親子心中するに違いないと察し 玉座にあった夾竹桃の花をわけ与えた そしてその花の用法を教えて帰すのだった 歓び勇んで帰る父 父は天帝の言う通り 花を揉んで 露や靄を作って娘の顔や身体に鮮やかになるまでこするのだった いつしか生き生きとし生まれ変わった娘の頬は 薄紅色の夾竹桃の花のように 鮮やかにまるのだった 娘は匂いたつ花のような美しさになった 噂を聞きつけ再びやって来た植物の神は 娘の顔を見るなり 仰天し思わず結婚の申し込みをした それから二人は幸せに暮らした とさ
 
 又あの先の大戦で 原爆を落とされ 焦土と化した広島に 最も早く花を咲かせたのは この夾竹桃であった 原爆犠牲者の慰霊をこめて 昭和48年 広島市の花に選定されたのであった
 
 花にまつわる話は どれも同じように似ているが 夾竹桃にまつわる話も 例外ではない あんな単純なハッピーエンドでいいのだろうかと思わぬわけではないが この季節になると 夾竹桃で 色々な話を思い出すから 面白いと思っている あなたの街の夾竹桃は どうでしょうか
 
                          
                       口絵 紅白の夾竹桃
 
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