山のぼせに 雪が降る

 会社の仕事をそこそこにして 表参道の紀伊国屋で買い物を済ませ 酒のアテなどを何種類か作り 風鈴の泣く音を聞きながら つい堪らず博多の山笠の衣装を身に纏った 今まさに博多・祇園山笠の盛り上がりが始まる時である オトコどものあの祭りはとても好きな祭りである 博多祇園山笠である 随分通った 中洲の大将が そんな私を見て一度舁けとのお達しがあり 舁き山(かきやま)を舁いた そのお陰で長法被と水法被が 今も手許にあるのだ 長法被はこの時期 正装であるから どこへでも出掛けられる 下はステテコ一枚 上に綿のダボシャツを着て長法被を羽織る それから博多織りの兵児帯をきりりと締める あっと言う間に博多もんの完成だ これを着ると さすがにしゃきっとして来る そう言えばあの大将は元気だろうか 『山のぼせ』の極致を行くオトコだった 山のぼせとは家事には一切関わらず 祭りのことだけやる人のことを言うのだ 正月も祭りが終わっても そう言う人は貴重な人材でなのあって 博多の祇園さんが そのお陰で成り立っているのかも知れない
 
 今日は12日 いよいよ盛り上がるに違いない 追い山ならしと言って実際に櫛田神社の本番と同じコースを試走するのだ 本番の状況が手に取るように分かる そしてあそこをどうするこうすると話し合うのだ 明日13日は集団山見せと言って 博多から福岡まで一気呵成に走り切る 福岡に入るのは この日だけである 呉服町から 福岡の天神まで距離にして約4キロを走り抜くのだ 勇壮で 通りに立つ見物人を圧倒する 度肝を抜かれた観客は 時を忘れ 興奮の坩堝の中にあるのだ
 
 14日は各町内で最終チェックを兼ねて山を舁く稽古をする 流舁きと言うやつだ 慎重に且つ大胆に 研究をする そして舁く人の順列を指示し 当日の順番が決まる
 
 愈々本番の日 目指すは 櫛田神社の清道旗だ そこを一周して時間の計測をする 短時間であればあるほど凄いことだ 清道旗をぐるりと廻って 博多祝い歌を歌う 祝いめ~でぇたぁの 若松さまよと歌う この名誉ったらない 最高の名誉である それを歌えるのは一番山笠にだけに与えらる 他の山は見ているしかない 本来早朝5時丁度のスタートだが 歌う時間一分だけ見込んで4時59分にスタートをする 今年の一番山は千代流だ それから恵比須流 土居流 大黒流 東流 中洲流 西流 最後に上川端通流と5分間隔で 雪崩を打って走り去る 流とは 町の団のことであり 流を中心にすべてが執り行われる その順番は毎年年番であり 一番山は次の年には最後に廻る 走った後本部からマイクで ただ今のじ~か~ん38秒とか流れる 然しオトコ達は 怒涛の勢いで走り 自分達の町内まで走り切る 途中バケツの水が見物人も構わず 舁き山目掛けて掛けられる 勢い水と言って 欠かせない水であり ヒートアップしたオトコ達の脳天にはイノチの水であるのだ 重さ1トンで 舁くためだけの山である 町内に戻ると 豪華で華麗な飾り山が巨大な容姿で迎えてくれる モノ凄い激しい走りの祭りなのである
 
 1台の山には 約3000人のオトコ達がつく 舁いでいない者は 両手を真下に垂れ下げてオイッサオイッサと掛け声を出す 締め込み一丁だ濡れてもいいように水法被と言う綿の襦袢のシャツを羽織る 地下足袋は爪の多い長い足袋だ 腰のフンドシには山を舁く時に使うための 荒縄(舁き縄と言う)がくくりつけられている 山が動き始めたら 決して止まらない 転倒者が出ても決して止まることはない 走り走り 走り切るだけである 交代で 舁く時の合図は背中を ちょいと叩く まさしくそこには 粋でいなせな博多のオトコ達が どっさり溢れているのである
 
 この祭りの時は 決してきゅうりを食べない 櫛田さんの神紋は きゅうりの輪切りと似ているから 旬のモノでも口に含まないと粋がっている おかしなことに この祭りの間約一ヶ月間 学校給食にも出されない 忌みがそこまで浸透しているのだ 京都八坂さんからの神を勧進して 櫛田さんで祭りを行われるのだが 八坂さんと同じ神紋であり 京都でもこの時期きゅうりは食さない だがこれには訳がある 八坂さんに御神輿を寄進したのは織田信長で 実は織田家の家紋が その神紋であって 神輿にそれがついていたのである その実この神紋はきゅうりではない その神輿についていたその神紋は 正しくは木瓜(ぼけ)の花であり 織田家の家紋に違いないのである そこが堪らなくおかしいのだ いずれその紋はきゅうりの断面に確かにそっくりである きゅうり断ちと言う習慣である 庶民が抱いた神様に対する敬愛と愛着の表れなのであろう
 
 飾り山にも舁き山にも 牡丹の造花を必ず飾る 何故牡丹かと言うと佐賀県松浦郡肥前町にある天然記念物の牡丹と関係が深い そこを守護していた殿様が 秀吉の九州平定の折 町割りに参加しなかった 三河の上と言う殿様は 秀吉の怒りに触れ 殿様の城は焼き討ちにあってしまう その時大切にしていた牡丹の花を奥方秀の前が家臣に言って城から持ち出させたのである 何故秀吉が怒り心頭に来たかと言えばその秀の前に横恋慕したからであって 三河の上は それがなければ出ていたであろうし 死なずに済んだかも知れない それを聞き付けた博多の人達が 二人に同情を惜しまず 秀吉の目をも恐れず 牡丹の花を飾ることにしたのである その名残で 言わば博多もんの心意気の原点の一つになっているのであろう 粋なもんである
 
 毎年本番の櫛田入りは テレビ中継される いわゆるこの祭りは度派手な祭りであって オトコだけの祭りなのである 山のぼせのおっちゃんは 普段何もしない ただ祭りの寄り合いとか言って 家を常に空ける そこをカヴァーするのは奥方で 文句一つ言わないから不思議である さすがに男性上位の九州の風土であろう 然しよく見ると 山のぼせのオトコ達が多いこと多いこと この祭りを のぼせもんの祭りと言っているから おかしい 12月水商売は取り分け掻き入れ時で 猫の手も借りたいくらいなのだが 中洲の飲み屋の大将は平然としている 寄り合いだからと言って ふらりと店を出たっきり帰って来ない さすがに呆れ顔の奥さんでも ただ笑ってすましているだけ 丁度その日 私は仕事で博多に入ったばかりだった ところが大雪で 飛行機も遅れた 夜遅くダンナ様がご帰宅遊ばせた時 眉の辺りに こんもりと雪が積もっていた おかしかった この日重要な会議があったと言うのである 路端で焚き火をし 手を翳して会議をしていたと言うのだ 可笑しかった その夜私は正式に長法被を授与された
 
 おっちゃんが 山の台の上に乗って 台あがりと言う名誉役を頂戴し 赤い鉄砲袋を持って 威勢のいい若者達を束ねて 盛んに大声を出していたのは 夏まで半年も掛かった 毎日家業の仕事もしないでいる 山のぼせの極意のおっちゃんの面目躍如なのである そうそうには台あがりになれる
ものではない 先ず人望が篤く 喧嘩や争議をばっさりと切り捨ててくれる人でなければならない そんな大切な大役なのである 名誉のためにその飲み屋を ここで無料で紹介しておきたい 博多中洲の『川田』である 玄界灘で獲れる新鮮な魚貝の色々を 安値で食べさせてくれる
 
 そもそもこの博多の山笠も 京都の祇園さんと同じである 鎌倉時代に大流行した疫病の退散を祈願した祭りで 八坂さんとまったく意味は同じなのである ところが土地が違えば こうも違うのである 優雅で豪華な京都の祇園さんに対して こちらは勇壮にして オトコを全面に出した祭りであるのだ 全国に広まった祇園さんではある 処違えばまったく違う雰囲気を持つのだ 舁き山も飾り山も その原点は亡くなりし者への鎮魂の施餓鬼棚であったと言う
 
 今年も おっちゃんが台あがりするのであろうか あの雪の日 眉毛にたんまり雪を積もらせたおっちゃん大将である 山のぼせの名誉とは あの雪の日の会議で頂いた 眉毛の雪であるかも知れない ただそれだけのために
 
 最後に 博多手一本でしめたい
 
    よ~~~   シャン シャン
    まひとつしよ   シャン シャン
    祝うて三度  シャシャン シャン
 
           
 
     口絵 今年の飾り山         追い山ならし
         水法被着た博多もん    疾駆する舁き山
         櫛田神社・神紋    舁き山で 鉄砲を持つ台上がり
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