うるはし七夕 星降る夜空

 七夕は古来お盆の行事の一端であった それが外来文化によって 幾変質を余儀なくされる 畑作の感謝をし 来るべき 秋の稲作の収穫を祈念するために 祖霊をお迎えし祀らう行事であった 仏教が伝来し その要素の影響を受けてから 第一の変質があった それまでは 女の子は髪を掬い 町屋では硯を綺麗にし 神に供える食器類を洗い チガヤやマコモで作った『七夕馬』を屋根にあげ 祖霊を迎えると言った習俗であった 盆とともに来臨する神々のために 衣つくりとして選ばれた神女が 村を離れた海浜や池や湖等の水辺のほとりで 作られた「棚」で 「機織」をした そこから棚機(たなばた)の語源になったと考えられる つまり本来はお盆の行事の一端だったのだ
 
 ところが仏教行事が色濃く反映され 人々の生活習慣に濃密に関与ようになると お盆はあたかも仏教の行事だと言う印象を与えるようになる 従っておの行事には 七夕だけがぽつりと取り残されてしまうのであった 平安時代なって 古代中国伝来の星祭である乞巧奠(きうでん)や織姫・牽牛伝が 日本の宮廷に急速に流布されるようになると 七夕の儀式だけが お盆の行とかけ離れて独立することになったのである
 
 織姫・牽牛の物語は諸説あるが メルヘンであるに違いない 天の川の上方にある織姫星(琴座の主星ベガ)と 下方に位置する牽牛星(座の主星アルタイル)がともに 一際異彩を放って光り輝いて対峙しているのを 比較的隔たって見える時と異様に接近して見える時があることから 悲恋の男女に見立てたのであった 旧暦7月7日に最接近する日が成就する日とされているが 残念ながら 天の川に隔てられ 逢うことはない メルヘンをぶち壊すようで心苦しい  (旧暦の七月七日は新暦ではほとんど八月であって 今のように新暦の七夕では 牽牛・織姫の星達は いまだ接近には程遠いのである 旧暦まで待たなければ最接近の二つの星を観測することが出来ない 真夏の夜の楽しみだ)
 
 乞巧奠(きこうでん)とは 旧暦7月7日に起こった中国の行事であった「巧」とは女の願いである裁縫が上達することであり それを乞う奠(まつり)のことだ 中国では牽牛が農事に従事する星で 織姫は養蚕や糸針の仕事につく星と考えられた 今でも庭先にテーブルを持ち出して 菓子7品針7本 五色の絹糸七筋を供え 星祭をすると聞いている
 
 それが日本に伝来してからは 清涼殿の庭に 長筵を敷き その上に塗りの机を四脚も揃え モモ ナシ ダイズ ウリ 六角豆 干し鯛 薄アワビなどを揃え ヒサギの葉に五色の糸を通した金銀七本の針を指し琴を鳴らし お香を焚き 星を眺め 歌を詠むと言った優雅なものであり 中国のとは 似ても似つかないものとなったのである つまり我が国の場合は 裁縫が上手になりたいと言う婦女のつつましい希求ではなく 七月七日の七に因んだ七種のお遊びをし 七調子の管弦に興ずる遊びの要素の強いものとなったのである
 
 一方庶民の間では 独自の発展を遂げていた 七月七日の七夕の夜牽牛と織姫の二神が束の間の逢う瀬を楽しみ 翌日は天空の帰って行く その際 禊(みそぎ)を行い 穢れ(けがれ)を持ち去って貰うと言う考え方で七夕竹の風習が出来て行ったのだ 七夕には 竹に五色の紙短冊で 
手習いの文字を書き 願いをしたため 人形(ひとがた)を竹に結び お祓いとする そして川や海に流してしまうのである これを七夕送りとか七夕流しと言って 地方地方によっては幾らか異なった行事をやるようになったのだ
 
 流し雛と言う行事があちこちに未だに存在する 紙で出来た人形(ひとがた)の雄雛雌雛の一対を 身体の弱い部分か悪い部分にこすりつけて 穢れを祓って貰おうと言うのである 米俵の蓋タラバス(丸いふたのこと)に お雛様を乗せ 川や海に流してしまうのだ この一般民間流し雛も七夕
も考え方は まったく同じ考え方で出来ているのだ 更に疫病にかからないように 疫病を流すと言う意味で 素麺を食べた風習さえある 流素麺のもとなのであろうか
 
 いずれにせよ 一般民間の七夕は七夕竹にささやかな民間人の願いを籠めて 穢れを流す風習であった 今では神道臭いと言われがちであるが 祓いと清めが庶民の強い希求の行動に他ならないのである
 
 仙台の七夕や平塚・茂原など 大きな七夕飾りを誇るように飾っているが それは商店街の人寄せのためであり 本来の行事とはかけ離れていると言っても過言ではない 益々華麗に華美になって行き 人目を引く それら大型の七夕飾りが 川に流されたりすればまだいいものを あちこちへ転売されると言うから驚きである ささやかな庶民の夢を知るべきであろう
 
<七夕供花>
 
 もう一つお話しなければならないことがある 今から600年前後崇光院の日記であり 萬里小路家に伝わる伝承の話でもある七夕供花の話は大事なことである 萬里小路定房が具注暦の裏地に書いた日記『看聞御記』に重要な要素の記録が多く残っている 中でも七夕供花のことが 毎年書かれてあって 室内に屏風を立て唐絵を飾り そして違い棚には瓶花を飾るとある この七夕の行事に行われた飾りは その後も取り払われることなく一般に公開されたようである 座敷はそのままにしてあり 瓶花常時交換されたと記録にある 実はこの花こそ 華道の始まりとされているのだ 七夕飾りの花としてではなく 一年中飾る花であり続けた 花をせる ただそのことに寄って 華道が始まり 嵯峨野御所や仙洞御所に永きに渡って伝わり 今日の隆盛につながった華道源流の記録として ここに紹介だけしておきたい
 
 
 浪漫あふれる七夕の夜 あなたは何を考えるのですか 牽牛・織姫の伝説を信じて 真夏の空に熱き思いをいたすのでしょうか それとも厄流しを 見よう見まねでしてみるのでしょうか 暑さに向かう折です 旧暦の夜空ではありません 新暦では愈々二つの星の距離はまだ遠いのです 二人の幸せも大事ですが 世界に平和を祈念し 少なくとも戦争がなくなることを祈りたいものですね
 
                       口絵 七夕飾り
                           高岡の七夕流し
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