鬼の話

 民間信仰の研究は 凄く大事なことです 文字を持っていつも変化しやすい文化の中にある特権階級の人達は実に少数でした ピラミッドに例えれば その頂点にいる人達が文字を持つ文化の担い手でした 処がピラミッドの底辺にいる数多くの人達は 何も持たなかったのでしょうか いや 実は彼等なりの素晴らしい文化を持っていたのです それが習慣・習俗と言われる文化なのです 長い間変化しないまま 研究もされていなかった そこに目をつけたのが 民俗学の創始者柳田國男先生でした このブロフでは 一般の奥様方も分かり易く 理解しやすいように 書いて行きたいと思っています どうかよろしくお願いします 特に今月からは夏祭りのピークにあたるので 一度是非お話しておきたかったのです そこで祭りのパターンと言うのと 民俗ってなんで大事なんだと言うことを話す為 手っ取り早い素材である鬼の話をしたいと思います
 
 先ず祭りのパターンと言うものですが 祭りとは何でしょうか それは神仏をまつらうところから 来ています 神仏に対して畏敬の念を持って敬いそして日頃のお世話になっているのを 感謝する表現が お祭りなのです
 
 先ず祭りをするには 神を勧進しなければなりません 幟とか大きな木だとか山とか塩とかそれらを目標に神が降りて来ます その目標物を神の依り代(よりしろ)と言っています 町や村の外れに大抵小さな祠があります そこは普段神さまがいない場所ですが その近くには必ず神の依り代(村の入り口のノボリなどがあって そこに向かって神は降りて来るわけです お旅所(おたびしょ)と呼ばれる一時休憩所が その小さな祠にあたります そこに天上から降りて来た神様をお迎えします そして神様を神社本殿まで 神輿(みこし)等を使って お連れするのです それから人と神様が一緒になって 饗応におよびます 散々接待して 人も神さんも楽しんだ後 今度は同じコースと方法によって 神様を送ってさしあげなければなりません 最後は神送りと言う行事で終了です ほとんどのお祭りは 必ずこうした手順と順序で行われます ごく一部を取り上げて神輿の部分だとか 山車(だし)のこととかが クローズアップされていますが それはごく一端だと言うことです 本来は違うんだと 覚えておいて頂きたいのです
 
 神の依り代って言うのは いっぱいあるんです お湯だったり山だったり御幣もそうでしょう 川や海や大きな樹木もそう ノボリやハタもそう 紙細工もそう 時には子供だってなるんですから おかしいでしょう ちゃぐちゃぐ馬っ子なんかは そのいい例です すべて畏敬の念から 来てるものです 神様が依りつき易いと考えたのでしょうね さて これからお話する鬼の事ですが 鬼も神の依り代なんですよ だから民俗の中には怖い鬼はいないのです すべてが神様だから 人々の心に再び強いパワーを与えて行く 言わばスーパーマンなのです
 
 平安文学や中世文学では 既に鬼は恐怖のどん底に落とす存在だったのです 恐ろしい存在は 彼等なりに表現すれば 鬼と言うことだったのでしょう 処がよく調べて見ると 恐怖の鬼なんか 民間信仰の中には滅多にいないのです 節分の時の鬼は 邪悪なものでしょうと言うかも知れませんが 所によっては 福は外 鬼は内ってね 言うじゃありませんか 
 
 男鹿半島のナマハゲは 子供にとっては怖い存在でしょう でもあれは違うのです あの鬼は年神様と言って 正月に現れる特別な鬼なのです 言わば神様です 三信遠(三河信州遠州)地方は お祭りの宝庫です 豊橋から出る飯田線沿線にありまして 霜月神楽・雪祭り・花祭り・遠山祭りなど それはそれは多彩にあります そこは主に霜月神楽と言って一年で疲弊した精神や身体に 神々が強いパワーを植えつけに来るお祭りがあるのです このお祭りに出て来る榊の鬼 月見の鬼などが スーパーマン的鬼の代表格でしょう 大釜にぐらぐら煮えたぎったお湯の中に 鬼は自らの手を入れて ぱっ~と水蒸気をあげる それをかぶると 災厄を逃れ 新しい年を息災に過ごせるようになるのです まさしく神のチカラだと言うわけでしょう 観客に湯花(水蒸気)を掛けて 新しい年が来るのを 身体と魂も新たに元気でお迎えしなさいよと祈って還るのです 次から次に現れた鬼は その役目こそさえ違え 皆それぞれに 人々の災厄をすっ飛ばし 安寧と幸福をもたらす善なる神様なのです これを霜月神楽や湯立ての神事とかと呼ばれています
 
 東大寺のお水取りの鬼も 国東半島・六郷満山の修生鬼会の鬼も皆それぞれの役回りがあって 決して邪悪なモノではありません むしろ万一邪悪なモノであっても それらを逆に正義の味方にしてしまうのです 鬼を神様に仕立てて行くのです どうですか おもしろいでしょう
 
 それでは何故頂上の人達に 邪悪な鬼として表現されるようになったのでしょうか それは一般大衆は黙っているけれど 大衆がやっている鬼祭りなどは いかにも奇異に感じたでしょう それは地響きにも似ています 敢えて 鬼を邪悪なモノにしておかなければ 自分達の利権や利益が 大衆
から奪われ なくなってしまうからです 地鳴りのような響きの祭りを 恐怖の眼差しで見ていたのは明白です 下からの突き上げに気づいた公家や武士達は 一般大衆達が持っているパワーに恐れをなしたから そこを敢えて オニと言う邪悪なカタチにしてしまったのです そうした文物に表現されていないスキマの部分を コツコツ発掘し発見して行くのが民俗学の使命であり重要なことなのです 今後のあらゆる創造にはこの民俗のチカラが 大いに発揮されるはずです
 
                口絵 五所川原の立ちねぶた(2葉)
                    秋田・男鹿半島のなまはげ(2葉)
                    三信遠地方の霜月神楽の鬼(4葉)
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