再びロダンと日本人・花子

 再びロダンの話である 岐阜で生まれて 後にヨーロッパに出た花子と言う日本人女性と ロダンとの奇妙な関係の話である 

 

 花子は 富裕な農家の生まれだったが 然る事情から 里子に出され 挙句の果て 旅芸人の一座に売り飛ばされたり 青春期は悲惨な生活を送っていた 苦労してやっと男との巡り合い 結婚までするのだが その夫にまで捨てられてしまう 路頭に迷った花子は 時に募集していたデンマーク・コペンハーゲンでの博覧会の出し物に出す踊り子に応募していた そうしてようやくチャンスが訪れ 渡欧する 花子達は 日本ではまったくの無名ながら 歌舞伎まがいの物語に 精魂籠めて芝居をすることになる 時に花子34歳の時であった ところが花子の芝居は見る見るうちに 大盛況となり 一躍有名な一座になっていた それから20年間花子の一座は 欧州各地18カ国を渡り歩きながら旅公演を続けて行く 或る時マルセイユで公演の時であった 評判を聞きつけ偶々来ていたロダンは 花子の 格別な形相の芝居に 愕然として 直ぐに楽屋に出向き 早速モデルとして交渉をすることになった 花子はそれに応じて 以来時がある度にロダンのアトリエがある ムードンに出向く 花子の何に驚いたのか それは花子演じるハラキリの芝居であった 出世影清などの出し物の際に 花子は仰々しい所作入りの切腹の場面を演じて見せたのだ 花子の死に顔の魅力に 完全に取り憑かれたロダンは モデルになれと花子に懇願するのだった ロダンの作中 モデルがあるものとして 最も多い数の60体を ロダンは創っている 花子38歳ロダン66歳の時であった 晩年のロダンは 何故花子の死に顔に取り憑かれたか ロダン自らの運命を密かに感じていたからに他ならない 狂気のうちに 逝ったカミーユ ローズとの運命の入籍 そして自らも死を意識することの多かったロダンの 心中あまりある 花子の像で 最晩年に創られた像は 花子の顔のフォルムが失せ 全くカタチになっていない すべてが完全に崩れて 虚構と実像との 境い目すら 感じられないものであった ロダンは 自らの死と向き合って 花子を制作した意図は 黙々とムードンに存在する花子像だけが 知るのではないだろうか 花子はロダン存命中に何度か 旅先からロダン宛 たどたどしい日本語で手紙を書き 一座のために借金の申し入れをしている ロダンは寛容であった ローズと最期の時を迎えようとするロダン するカミーユは疾うに狂い死にしている カミーユの死の情報が ロダのもとに どう届たかどうか まるで掴めないが その愈々の時こそ 切腹をして果てる花子の顔が 実存としてロダンにはあった ロダンは77歳で亡くなっているが 僅か10余年の花子との付き合いであった 花子と愛人関係なる筈もなく だが誰一人 それを知るものもなく ただモデルとしての花子がそこにあった 花子の死に顔に 一時の安らぎを感じたのか 花子の顔を 最期の最期まで彫塑し続けた ロダンの死後 花子は 第一次世界大戦前後の慌しい最中に ロンドンで 日本料理屋・湖月を営んでいたが ただ一つ記念にロダンから 自分の顔の像を得ている 現在新潟市美術館に保管されているに顔の花子像は ロダンの切実なる最期の 安穏すら感じないではない

 

 花子は54歳になっていた 母親の死に際に ようやく日本にたどり着いたのであるが それからの花子は 妹が経営する芸者置屋で 孫娘と 静かに余生を過ごしている ただ花子が亡くなったのは ロダンと同じ77歳と言うから驚きだ 何かの運命の綾があったのであろうか

              

             口絵は 新潟市美術館所蔵 死に顔の花子像

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