桜桃忌

 この時期 必ず思い出すことがある 太宰治の桜桃忌である 昭和23年6月13日に 山崎富栄と心中する 二人は紐で縛り付け 玉川上水に入水したのである 山崎の遺体は直ぐあがったが 太宰のはそれから一週間後 太宰の誕生日にあわせて 遺体があがった その日が19日 今年 その日は父の日だったこともあり 三鷹まで行かなかった 三鷹市下連雀の禅林寺に眠る 太宰のお墓参りの日だった 亡くなった翌年 このお寺に詣でた多くの文人達 井伏鱒二・壇一雄・佐藤春夫・亀井勝一郎などが法事に集まった 法要後本堂で 死の直前に上梓された 短編小説『桜桃』から この忌日を命名された そして彼等はみな クランボをつまみながら 供養したと言う では多くのファンが全国から訪れて 寺は一日中賑わっている 又ここには太宰が敬愛していた森鴎外先生のお墓が 森林太郎との墓碑銘で 直ぐ傍にある

 

 太宰と言うオトコの死にざまは情けない限りであって 山崎富栄から引きずり込まれて入水したと言う 警察の現場検証があるらしいのだ『斜陽』『津軽』『走れメロス』『人間失格』など 多くの著作は未だに多くのファンを魅了してやまないが 実は 私も或る面ではファンかも知れない 生まれて来て 済みませんと言い続けた あの冗談とも取れるセリフは 我が青春そのものだったからだ 私が家業を継ぐかどうか精一杯に 悩んでいる時に読んだ 毒されたと言ってもいい ただ彼はとにかく目茶可愛いのである やさしい 人の情けの機微もある 皮肉たっぷりの小説が多いが 中でも故郷津軽を旅した時に書かれた晩年の作品が好きだ 勝手なオトコ 理不尽なオトコ 情に弱いオトコ と幾らでも非難したり コケにすることが出来るだろう だが彼ほど 熱狂的に 時代を経ても尚 多くの人々に影響を与え続けている作家はいない 紛れもなく日本文壇にとって 傑出した存在であるに違いない 

 

 そんなこんな書いてると 山形から 偶然にサクランボが 届いて 驚いた 佐藤錦と南陽である キラキラと 一粒一粒が光っている 何と20キロもの 頂きものである 仏壇にあげる分を除いて 社員全部には渡らないかも知れないが 一粒ずつだけでも 分けてあげようと思う  

 

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