遺言 白洲次郎に見る

 

身長188センチの私が これしか勝てない尊敬するオトコがいる 

彼も身長は180を楽に越えるが 昔の人では珍しかったに違いない 

その人は白洲次郎 徹底した反骨のオトコであった 

第二次世界大戦を 大向こうから批判し 勝てるわけがないと言い続けた 

戦中になると 東京近郊鶴川の農家に引越し 以来60年間をここで農業に拘りながら過ごしている 

武相荘とは この農家のととで 現在一般公開している白洲ご夫妻の棲家のことだ

 

 最も功績のあったことは 戦後締結したサンフランシスコ和平条約の締結にむけた仕事だ 

戦後間もなく 当時の吉田茂外務大臣に乞われ GHQ(占領国司令部)に出向く

神戸出身の白洲は 若くしてケンブリッジに留学した 堪能な英語力を買われてのことだった 

だが単なる通訳ではない 条約の基本を創っている 及び今日の日本国平和憲法を 

日本側の代表としてその創案に着手 どうにかこうにか完成させたのだ 

これからの日本は産業振興だ大事だと通産省を創設している

その後白洲は 東北電力に関わり 電力会社間の電力会社再編を果たし

ている 更に数々の民間会社に関わり すべて成功裡に終えているから 驚きだ 

 

 GHQの専らの評判は 簡単に言うことを聞かない唯一の日本人で ほとほと手を焼いていた 

従順ならざる唯一の日本人として 一貫して反骨神を貫いている 直情一徹

 乱世に生きる野人として評判だ 

ある日駐留軍上官が 白洲の英語力を褒め称えた 

その時 貴方はもっと勉強すれば一流なれると返す刀で切り替えしている

 いつも地方に住み いざ鎌倉と言う時に中央に打って出る来る

 まさにカントリージェントルマンのお手本のようなオトコだった 更に 常に政界入りを進められてい

にも拘らず全く感心を示さず 専ら民間で過ごすことの凄さ 東北電力会長の時はいつも作業

着とヘルメットを離さず ランドローバーに乗って 常に現場に拘っていた

 

 晩年心血を注いだ軽井沢ゴルフ倶楽部では どんな偉い人が来て会員でない以上すっぱり断り 

例えば田中総理大臣が来ても セキュリティをコースに入れることはなかった

 歴代の総理大臣は 皆この洗礼を受けている 

従業員の私生活から仕事まですべてに渡って 徹底して礼儀作法を重んじさせた

 プリンシプルプリンシプルと言うのが口癖で 原則を貫き通した凄いオトコだ 

80歳越えるまで 真っ赤なポルシェ911にって走り周り 

時にはファッションモデルとなり ジーンズをはいた最初の日本人と呼ばれた

それはそれは 凄くて素敵なオトコ白洲次郎だ

 

 最期病院でのことである ナースが注射をする際 利き腕を聞いた時利き腕は右 夜は左と答えている 

それが最期の言葉となった いかに酒好きの白洲らしいエピソードである 

遺言は 簡単な和紙に書かかれてあり 葬式無用 戒名不要 とあった 

まさにダンディズムそのものであろう 

後を追う正子は 日本文化に関するたくさんの著作があるが 

ご主人と同様に 一切葬式なし 戒名なしで 綺麗さっぱりと 

この世にグッドバイしている

 

(武相荘の梗概参照す) http://www.buaiso.com/

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